2025/8/9 川﨑依邦の日々「ノーモアウォー」
8月9日(土)
ここのところ、夏の8.6、8.9のヒロシマ、
ナガサキのことをテレビでよく見る。
本日はナガサキ8.9の祈念式典である。
恐ろしい。
二度とあってはならない。
ノーモアウォーである。
しかし、今ガザやウクライナで続いている。
広島弁でいうと「いびせいのう。(恐ろしいとの意)」
「おえりゃせんのう。(いつまで続くのかという意)」
「ピカドン。(原爆のこと)黒い雨」
ノーモアウォーである。
2025/8/8 川﨑依邦の日々「最前線物語」
8月8日(金)
本日は、NHK BSのレターボックスサイズの
「最前線物語」という映画を見る。
戦争の最前線の死闘を見る。
殺し合いのリアルに触れる。
アメリカ映画である。
1980年の作品である。
イスラエルのガザでの戦争やウクライナの最前線を想う。
今でも命のやりとりは続いている。
映画のラストシーンのセリフ
「生き残った者が勝者」という言葉が心にしみる。
そして何より戦争のリアルはむごい。
私は戦争の最前線には行きたくない。
生ある限り生き続けていきたい。
2025/8/7 川﨑依邦の日々「人生交差点」
8月7日(木)
本日は小雨、くもり。
銀行に行く。
天神橋筋六丁目まで行く。
天神橋筋六丁目の交差点は、にぎやかに人々が交差していた。
それぞれの想いを抱えて行き交っていた。
「人生交差点」という言葉が浮かぶ。
私も人生の節目で様々な交差点を行き交い通り過ぎた。
赤信号でも渡ったことがある。
しかし、今こうして生きている。
「人生交差点か」とつぶやく。
2025/8/6 川﨑依邦の日々「ノーモアヒロシマ」
8月6日(水)
今日はヒロシマに原爆が投下されてから80年の日。
ノーモアヒロシマの日。
私は被爆2世である。
母が被爆者である。
幸い、今まで健康不安に陥ったことはない。
母は髪の毛が抜けた。
それでも86歳まで生きた。
ノーモアヒロシマである。
私はヒロシマで生まれた。
この日は平和の重みを感じる。
再び核爆弾が投下される日が来ないことを切に祈る。
2025/8/6 川﨑依邦の日々「しりもちをついても歩く」
8月5日(火)
今日は、かかりつけ医に行く。
昨日、シーエムオーの大阪事務所にて
自分の机の前にあるイスに座ろうとして、
バランスを崩しドスンとしりもちをつく。
今日、左の脇腹が痛くてかかりつけ医に駆け込む。
骨折ではなく打撲とのこと。
しばらく歩くのをやめて、当面安静にすることと言われる。
湿布薬と痛み止めをもらう。
それで、廊下の行ったり来たりを通常100回のところ50回にする。
本日でいつもの2分の1とはいえ358回となる。
左の脇腹の痛みをこらえて歩く。
- 最近の投稿
- アーカイブ
-
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
- カテゴリー