[2020/11/29]川﨑依邦の日々「幸せのパンケーキ」
11月29日(日)20,625歩、歩行距離16.4㎞。禁酒207日目。
9:00出社。
書類の整理をする。
その後11:00に近くの図書館にて借りていた本2冊を返却する。
自転車にて15分かかる。
さらに足を延ばして書店を覗き、パンを買う。
パンは私の好きなクロワッサン等を買う。
途中「幸せのパンケーキ」の前を通る。
店の名が幸せのパンケーキである。
幸せな気分を味わう為に1人で店に入ろうとしたが、
お客さんが全員若い女の人だったので今回はやめた。
若い女の人に混じって1人でパンケーキを食べるのは何となく気が引けたのである。
それにしてもいいネーミングのパンケーキ屋である。
ちょっとした小さなほのぼのとした気分を味わうにはスイーツを食べるのはぴったりである。
自転車でのサイクリングを1時間くらいして13:00頃自宅に着いた。
[2020/11/28]川﨑依邦の日々「小さいことの積み重ね」
11月28日(土)20,178歩、歩行距離16.2㎞。禁酒206日目。
AM8:00過ぎ、シーエムオースタッフと打合わせ。
仕事の進め方について指導する。
11:00 A社 来社、来期の経営計画について打合わせをする。
13:00 B社 来社、今期(2020年9月)の決算内容の分析と来期の経営計画について打合わせをする。
16:00 C社の幹部会議に出席する。
来客の合間に電話にて2件、経営相談を受ける。
C社では新型コロナウイルスの影響で売上は対前年比80%、営業利益も赤字となっている。
その中でC社長曰く「我々ができることをやる。それは小さいことの積み重ねである。」
「朝は15分前に出社して掃除をする。お客様にはこまめに誠意をもって対応していく。」
C社長の言わんとすることはよくわかる。
新型コロナウイルスの中で自分を見失わず“前を見ていけ”ということである。
一歩一歩コツコツと小さいことを積み重ねていくことである。
さらに心を大事にして落ち込んだりラフになったりせず心の健康を保っていくことである。
心の健康管理は希望を持つことである。
新型コロナウイルスの中でも悪いことばかり考えたり過度なストレスを抱えたりしないことである。
希望の力は明日を信じていくことから生まれる。
その為には今日一日は小さなことを積み重ねていくのである。
[2020/11/27]川﨑依邦の日々「新型コロナウイルスの時代」
11月27日(金)7,357歩、歩行距離4.7㎞。禁酒205日目。
17:00 A社長来社。
労務トラブルの対応策についてアドバイスをする。
新型コロナウイルスの第3波が大阪、そして全国にも襲ってきている。
新型コロナウイルスの時代である。
中島みゆきの歌「時代」のメロディと歌詞が頭に浮かぶ。
「今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど
そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって 歩きだすよ」
新型コロナウイルスの時代もそんな「時代」もあったねといつか話せる日がくる。
そういえばユニクロのCMに中島みゆきの「ファイト」のメロディが流れていた。
「ファイト! 闘う君の歌を 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼっていけ」
ユニクロの柳井社長と私は年齢が一緒で同じ「時代」に同じ大学にいた。
新型コロナウイルスの時代もファイトを出して震えながら登っていく。
[2020/11/26]川﨑依邦の日々「完全休養日の一日」
11月26日(木)禁酒204日目。
本日は歩行数、歩行距離はスマホを持ち歩くことをしない完全休養日なので計測不可であった。
スマホのヘルスケアデータが計測なし。
明日、11月27日から復活である。
活動再開である。
体調も良く、元気で完全休養の一日から復活する。
[2020/11/25]川﨑依邦の日々「人生にはイフ(if)がある」
11月25日(水)4,890歩、歩行距離3.5㎞。禁酒203日目。
本日は1970年11月25日、三島由紀夫が45歳にて自決し、
早稲田大学教育学部の学生 森田必勝(25歳)も切腹した日である。
あの当時の世相の中で自らの死を選んだのである。
人生にはイフ(if)ということがある。
もしあの時2人が死を選ばなかったらどうなっていたであろうか。
思えば人の生き方は直進するか、右か左かどちらの道に進むか、
右に進んだけれども、もしあの時左に進んでいたらどうなっていたであろうか。
イフ(if)である。
私も人生の節目、節目で選択を迫られてきた。
私は早稲田大学教育学部を卒業して民間会社に就職し、任地である徳島県に行った。
もしあの時(if)別の道、例えば東京にとどまっていたらどうなっていたであろうか。
今とは違う別の人生を歩んだに違いない。
人生にはイフ(if)がある。
何故、東京にとどまる道の可能性もあったのに徳島の道に行ったのか。
それは人知を超えた運に導かれていたのではなかろうか。
1970年11月25日、私は21歳である。
同じ大学の森田必勝も早稲田大学の近くを流れる神田川を見ていたに違いない。
同じ頃、神田川を見ていたのに、1人は自死し私は生きている。
人生にはイフ(if)がある。
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