CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2019/3/30]側近の苦悩

3月30日(土)

ゆでガエルになるな― 事例A

 

(1) 側近の苦悩

B氏は60歳。創業者に育てられた。自らの辞書には「イエス」しかなかった。「ノー」はなかった。創業者のいうことには何でも「ハイ」でやってきた。厳しい創業者であった。今でも思い出すことがある。真冬のことである。荷主の仕事で大きなミスを仕出かし、それを報告しなかったことがある。「わしはミスを怒っているのではない。報告しなかったことを怒っているんだ。頭を冷やせ」と頭から水をぶっかけられたことがある。ブルッとした感覚を今でも覚えている。それでもついていったのは創業者の人柄である。厳しい反面、優しいところもあった。

荷主の都合でなかなか仕事が終わらず、夜を超えて朝までかかったことがある。創業者も寝ずにつきあってくれた。早朝のこと、「いやあ、こんなことしかできなくてゴメンよ。コーヒー入れたよ」と1人ひとりに早朝のコーヒーを配ってくれたのも創業者である。

B氏はつくづく思う。「いくらすばらしい父親でも孫となると全く似ていないものだ」。孫とはA氏のことである。B氏は側近として悩む。肝心のA氏が出社して来ないのである。「三代目でつぶす」ことがあるというのもうなづける。このままでは大変である。B氏は今まで「はい」1本でやってきた。補佐役は主人に仕えるのが使命で、自分で考え、自分で判断して決断してはならない―と固く信じてきた。ところが、この事態である。まさに緊急事態である。そこで、B氏は自宅にA氏を訪ねた。

 

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年03月31日 | 投稿者: unityadmin

[2019/3/29]頼れぬ三代目

3月29日(金)

ゆでガエルになるな― 事例A

 

(1) 頼れぬ三代目

A社は創業50年の老舗の物流会社、社長は3代目である。A社は経営のピンチに見舞われている。

A社の荷主が業績悪化に直面している。A社の荷主は小売業である。平成不況の大波の中で苦闘している。バブル期に積極的に店舗を拡大し、借金を増してきた。この荷主のトップは叩きあげの経営者で、超強気の人である。「行け行け」タイプである。A社はこの荷主のトップにくい込み、成長、発展してきた。くい込み方の一例として、トップの自宅の庭の造園をしてあげた。いわゆる造園代は請求しない。フトコロ深くくい込んでいる。

ところが、このワンマン社長が急死する。荷主には一気に重い借金が肩にのしかかってくる。ワンマンの不在で迷走する。店舗の統・廃合を進めていく。当然、物流の量は減っていく。A社の売り上げも低迷する。A社の売り上げに占めるこの荷主の比率は80%である。ピークの売り上げの70%になっている。わずか3年ばかりの間に坂道を転げ落ちる。

A社の3代目は、ノイローゼになってしまった。会社に出なくなり家に閉じこもってしまった。A社の3代目(A氏と呼ぶ)は、大学を卒業して、10年ばかりはメイン荷主の会社に就職した。コネ入社で、武者修行である。10年たってA社に入り、経営企画室長として10年過した。経営企画室長の役割は2代目社長の秘書である。無難な10年を過ごした。2代目社長が完全に引退して、3年前に現在の地位(=社長)に就いた。就任してから毎年売り上げが下がり続ける。45歳、A氏の苦悩の始まりである。

A氏は自分1人では決断しない性格である。会議を開いても最終決断しない。大勢に従うのである。一例を挙げると、昇給会議がある。昇給会議とは、社員の給料を決める会議である。A氏は「こうしろ」とは言わない。「社長、これでいいですか」と問われると、A氏の意中にかなっていれば「よし」となり、そうでなければじっと考え込むのである。側近の幹部はそのあたりの呼吸を熟知しているので、あうんの呼吸で進めていく。

しかもA氏はいやな報告には露骨に苦しむ。売り上げが落ちている。重大事故が発生している。これらの報告が耳に入るとトタンに口を開かなくなる。ムスッとしている。そして、2、3日会社に出てこない。そこで側近は、悪い報告はA氏には言わなくなった。大本営発表のみ耳に入れる。

「どこそこの店舗間配送の物流が増えています」というような、ごくわずかのいい話しかA氏の耳にはいれない。「裸の王様」である。A氏はいい大学を出ている。一流大学出身である。いくら一流大学を出ているからといっても、経営の才覚、勇気には何ら関係ない。

それでも避けて通れないのが年1回の決算報告会である。A氏は毎年経営方針を発表する。夢のある話をするが地に足が着いていない。毎年の、年初に発表する経営方針と現実とのギャップが大きいのである。今回はついに赤字決算となってしまった。A氏はムスッとするどころか、出社を拒否してしまった。ノイローゼになってしまった。

A氏は言葉はきれいである。いわく「夢のある物流会社を目指そう」― 実際は超保守である。現状の荷主との取引1本である。受け身である。メイン荷主についていくだけである。メイン荷主の業績悪化に引きずられる。この3年間はリストラしか行っていない。そのリストラも自然リストラである。自然リストラとは、新たに人を採用しないことである。採用しないことのみ。それと昇給ストップである。上げもしなければ下げもしない。

ところがメイン荷主の業績悪化のスピードは早い。抜本改革が刻一刻と求められてくる。A氏は内心つく

づくイヤになっている。「どうしてこんな会社に入ったのであろうか」、「物流業はいやだ。向いていない」。A氏は、本当は音楽で身を立てたいと思っていた。大学時代はバンドをつくっていた。ところが、オヤジ(2代目)のいうがままに修行に出てしまった。自問自答する。

「自分は本当にこの仕事がやりたかったのか」

しかもA氏には、経営者をどうしても続けなければとの強いこだわりもなかった。生活についてはオヤジが残している不動産で食べていくことはできる。マンション経営を副業として行っている。「このままでは会社はどうにもならない」。それでもA氏は立ち向かうことはしない。投げ出すほうに傾くのである。放置・逃亡へと心が動く。それがノイローゼによる出社拒否である。A氏は超保守スタイルで流れに任せてしまう。

 

つづく

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| 投稿日: 2019年03月30日 | 投稿者: unityadmin

[2019/3/28]3年…やっと心開く

3月28日(木)

受容と傾聴― 事例A

 

(1) 3年…やっと心開く

中学校は義務教育である。不登校のままでも、卒業がくる。息子に変化が起きる。

「お父さん、ぼくは定時制高校に入りますので、よろしくお願いします。昼間は調理の勉強のため、ファミリーレストランで働きます。そして週1回だけは、パソコン教室に行かせてください」

この突然の申し出に、思わず胸を打たれた。夫婦で泣いた、という。「いつまでも続くヌカルミぞ」と絶望しかけながら、その都度「逃げたらイカン。あきらめるな。オレたちは息子を愛する」。泣けてくる。うれし泣きである。親離れ、子離れのスタートの瞬間である。心から息子の自立を祝福し、閉じこもりからの旅立ちの決意を受け止める。「北風と太陽」の童話に例えれば、マントを脱いだ瞬間である。北風のような強制、命令、プレッシャーでは、人の心は奥のほうからは動かない。太陽=「受容と傾聴」の力こそ、人の心を動かす。

A社長は、息子との足掛け3年にわたるかかわりの中で、経営スタイルも変革させていった。息子とのかかわりで学ぶことができた。学ぶことができた点は、次の通りである。

❶オープンな社風をつくること

ワンマン1本ではいけない。「オレに付いてこい」では、人は育たない。創意工夫し、進んでやる人材は、生まれてこない。受け身タイプばかりとなる。そのためには、社風をオープン、開かれたものにすることだ。経営の現状は、包み隠さず、数字も含めてオープンにしていく。その上で、どうしたらいいか1人ひとりに考えさせる。自発性というか、やる気を育むためだ。

心を開いて、触れ合って、1人ひとりの心のきずなを強くしていく経営である。

「あのワンマン社長が、よく変わったね。確かに今でも恐いけれど、何となく暖かい。心が和むね」

A社長は、会議嫌いで通してきた。会議するヒマがあれば、1分でも働け ―という主義であった。ところが、オープン経営を目指すようになって、会議に力を入れ出した。1人ひとりの活発な意見、自由に言えるコミュニケ―ションづくりを狙いとしている。それも、A社長1人の独演ではない。もっぱら問い掛けと聞き役に徹するようになった。

「どうしたらもっと利益が上がるようになるだろうか」

「部下の○○君は、どうして伸びないのか。何か悩みがあるのか」

「人は何のために働くのか」

A社長は基本の経営方針を、今でも、だれにも相談せずに打ち出してくる。中期と年度の経営方針である。トップダウンである。しかし、ここからがひと味違う。聞き役に徹していくのである。どのようにして基本方針を達成していくのか、その手段、方法についてはオープンな社風づくりを中核として、1人ひとりに問いかけていく。いわば、トップダウンとボトムアップのバランスを取っている。

❷人にはそれぞれいいところがある

「“あいつはダメだ”と欠点にこだわることはやめよう」とA社長は言っている。「人にはこの世に生まれたからには必ず、いいものがあるはずだ。長所を発見していこう」と呼びかけている。「目の前で働いている人を拒否するな。まずは、受け入れていこう」と説いている。

以上

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| 投稿日: 2019年03月29日 | 投稿者: unityadmin

[2019/3/27]まず素直に聴くこと

3月27日(水)

受容と傾聴― 事例A

 

(1) まず素直に聴くこと

A社長は、創業者型のオーナーである。会社では、ワンマンで通っている。ところが家庭の中では、そうはいかない。15歳の息子に振り回されている。思うようにならないのである。“受容”という精神科医の言葉をかみしめてみる。今までの子育ての、どこがいけなかったか。1つは、母親に任せっきりであったこと。日ごろはかまってやれないので、何でも欲しいものは与えてきた。「我慢する」ということを身体に染み込ませることができなかった。我慢すること、耐性が弱い息子となってしまった。

さらに、大きなプレッシャーにというか、期待を掛け過ぎた。自分は仕事に全力を尽くすことで、経営者として成功している。しかし、中学校しか出ていない。「お父さんは中卒だが、お前は必ずいい大学に入れ。いい大学に入って、お父さんの事業を継いでほしい」。過大な期待をかけた。親としては当たり前の願いである。しかし、それが息子にはプレッシャーとなる。

そして、夫婦の仲である。創業時の苦しい時は、女房がいろいろと助けてくれた。次第に事業が成功すると、ついつい夜の世界に足を踏み入れるようになった。たまに外泊もする。浮気である。夫婦仲が悪くなる。息子の前でもケンカする。

こうした成育歴の中で不登校が出現し、今では家庭内暴力化しつつある。

「確かに、こうした原因で息子は悪くなった。それでは、これからどうしたらいいのだろうか。“受容”ということの具体的実践は、どうすればいいのか」

A社長は、息子を責めることをやめた。現実を受け入れることとした。実に重苦しい決断であった。その上で、息子の声に、素直に耳を傾けようとした。

現実を受け止めることは、まず素直に聞くことから始めよう、と思ったわけである。暖かく包み込むことだ  ―と思い定めた。毎日対話した。息子のポツリポツリとした悩みが、心に届いてくるようになった。彼も苦しんでいた、ということが、実感できるようになった。

中学3年生の夏ごろから、家庭内暴力もやんだ。その代わり、無気力状況が深まっていた。1日中ボンヤリしている。「必ず立ち直る」との信念を持って、A社長は息子と向かい合った。

「逃げることをやめた。あきらめるのはまだ早い。オレは息子を愛している」と、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせる日々。

夫婦の会話も、十分取った。夫婦仲の悪かった原因である浮気もやめた。「わたしは母親失格です。妻としても至りません」。自信喪失状態の妻の心とも向き合ってきた。眠れない日々で、心労がたたり、子育ての自信を失ったわが妻。「本当に申し訳ないことをした。家庭のことをすべて押し付けてしまった。お金さえ稼いでいればいい、と思って、家庭での役割を果たしていなかった」。深く反省するA社長、呪文のごとくつぶやく。

「受容と傾聴」

つづく

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| 投稿日: 2019年03月28日 | 投稿者: unityadmin

[2019/3/26]突然、息子が不登校

3月26日(火)

受容と傾聴― 事例A

 

(1) 突然、息子が不登校

「イソップ童話集」に、「北風と太陽」という話がある。旅人のマントを取ろうとして、北風がビューと襲いかかるが、旅人は必死になってマントを抱える。「取られてたまるか」。北風との格闘である。マントは取れない。ところが、太陽の出番となって一変する。ポカポカと柔らかく暖かい。いい陽気である。旅人は、自然とマントを脱ぐ。太陽の力である。

この童話は、環境の大切さを教えてくれる。環境の力で、人の自発性、やる気を高めていくわけである。

A社長は、息子のことで悩んでいた。息子は中学校3年生。この息子が、不登校となっている。学校に行かないのである。中学校に入学して1学期を経過したころから、「頭が痛い」などの身体的不調を訴えて、学校を休みだした。

A社長は、仕事に全力を尽くしていて、家庭のことをかまう余裕がなかった。朝は朝星、夜は夜星で、めったに息子とも声を掛け合うこともなかった。家庭のことは妻に任せっきりにしていた。

突然の不登校という事態にうろたえた。中学に入って環境が変わったばかりで、息子は適応できていない。「どうしたのか。学校にいきなさい」と、命令しても、動かなくなった。

初めはそれでも、渋々行っていたが、中学1年生の3学期ぐらいから、家にこもりだした。母親との関係も、悪化するばかり。母親も悩む。夜も眠れない。半分ノイローゼのごとくなる。

「どうして学校に行かないのか。なぜだ」と父親は問い詰める。

中学2年生になると、生活のパターンも昼夜逆転した。夕方から深夜にかけて、自分の部屋で音楽を聴いたり、本を読んで過ごす。朝方になって寝る。

父と息子の格闘が本格化する。たたいてもなだめても、息子はかたくなに閉じこもるばかり。内心は、自らの会社の後継者と期待していたが、これではどうしようもない。

ズルズルと、中学3年生の春となる。悩みに悩んで、父親は精神科医の門をたたく。

「うちの息子が、中学1年生の3学期から家にこもったきりで、どうすることもできません。最近では、家庭内暴力の傾向すら出てきました。気に食わないことがあると、物を投げたりするのです。どうしたらいいでしょうか」

「どうして、こういうことになったのですか」

「息子が言うには、中学に入学して、担任の先生に厳しく怒られたのが、キッカケといいます。“殺してやりたい”ぐらいに思ったそうです」

「不登校になって、あなたはどのように息子さんに接してきましたか」

「とにかく学校に行け、とたたいてやりました。そのうち、母親にもつらく当たるので、厳しく注意しました。このごろでは母親もノイローゼ気味で、家庭が暗くなっています。うちの家庭は、息子1人の3人家族です。小さいころから、かまい過ぎたのかも知れません。何しろ一人っ子なものですから。小学校のころは素直な子で、よく勉強もしていましたよ。うちの子が、どうしてこんなことになったのか」

うなだれるばかり。精神科医は、子育てについての問題点をさとす。

「子育てについて、過干渉、過保護でしたね。これでは、子供が思春期になると、ちょっとしたことで挫折してしまうタイプとなります」

「それでは、今からどうすればいいのですか」

「まず、今の息子さんの現実を、ありのままを受け入れてください。“受容”といいます。そこから、息子さんの意欲が出てくるのを、じっくり見守っていくのです」

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年03月27日 | 投稿者: unityadmin