2024/2/24 川﨑依邦の日々「生きる勇気」
2月24日(土)
13時30分 大阪事務所にて来客対応。労務トラブルの相談に応じる。
「一日一生 亡き息子川﨑晃弘へ手紙」の読書カード(アンケート)を見る。
『亡くした息子への無念さがひしひしと伝わってくる。
事業への執念をすさまじく感じる。改めて経営の原点、基本を教えられた』
著者としては、ご協力ありがとうございます。
私の方こそこの言葉を聞いて生きる勇気をもらった気がする。
この本はネット等でじわじわと読まれているらしい。
2024/2/23 川﨑依邦の日々「なまりなつかし」
2月23日(金)
「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
石川啄木の短歌である。
NHKのサンドウィッチマンの病院ラジオ、広島赤十字原爆病院のところを見る。
広島赤十字原爆病院のすぐ近くに私の実家がある。
18歳までいたが、それから東京へ行きアチコチと過ごしている。
この番組を見て実家のアレコレを思い出す。
番組の内容も生と死について胸を打つものがあるが、
出演者の広島弁(そ)に目が潤んできた。
故郷のなまりは懐かしく胸にしみる。
18歳で故郷の広島を出て人生の旅を過ごしてきた
「何があっても大丈夫じゃけん」と広島の声が聞こえた気がする。
1945年8月6日、原爆(ピカドン)から再生している。
廃墟の町から再生している。
2024/2/22 川﨑依邦の日々「亡き母とネコ」
2月22日(木)
大阪は曇り、小雨の日々が続いている。いつになったら晴れるのか?
それでも曇りの日、小雨の日もそれなりに味わい深い。
雨が上がると木々、草花もしっとりと息づいているのを感じる。
自然のリズムのようなものが慈しい。
本日2月22日は、語呂合わせでニャンニャンといってネコの日でもある。
大昔(今から50年ぐらい前)、
広島の実家にフクちゃんというネコが住み着いていたのを思い出す。
フクちゃんは私の母が可愛がっており、母になついていた。
私はフクちゃんにはあまり構わず、訳もなく頭を叩いて面白がっていた。
そのフクちゃんは、ある日突然姿を消した。
母にとってみれば、ボケ防止でもあったに違いない。
その母も今から24年前の2000年9月に亡くなった。
86才であった。その時は私の顔も分からずボケていた。
ただ「ヨリクニ」という息子の名前は頭の片隅にあった。
今の私を見て母は何と言うだろうか。
「何があっても大丈夫よ」と言いそうな気がする。
10時 名古屋からA社夫婦来社。夫が社長である。労務トラブルの相談。
14時 神奈川県のB社とZoomにて経営実績のチェック。
2024/2/21 川﨑依邦の日々「復活への道」
2月21日(水)
本日は金融の手続きの為、11時に京都の銀行に行く。
京都に行くのは、昨年7月6日の脳梗塞発症以来であり、久々の遠出である。
15時からは約1時間、大阪物流経営講座(第407回)のセミナー講師を務める。
テーマは「事業承継」である。
現在の状況は、大阪を主として仕事に復活=カムバックしている。
できれば、このままじわじわと復活の道を歩んでいきたい。
言葉をかえれば更新。
倒木は木が倒れても芽が出てくる。これを「倒木更新」と言う。
かくして命は繋がっていく。
復活することで次に繋げていきたい。
2024/2/20 川﨑依邦の日々「必死の日々」
2月20日(火)
9時 訪問リハビリ。
11時 来客対応。
14時 A社の経営会議。Zoomにて対応する。
14時30分 来客対応。
本日は曇り。いつもの日常である。
とは言っても毎日必死である。
朝の散歩、自宅から事務所までの歩行、杖をついてヨタヨタ。
大阪事務所での来客対応も大変。
それぞれ真摯に向き合う。
さらに大阪事務所のトイレの行き帰りもヨタヨタ。
健常者ではどうということもないが、
今の自分、障害者にとっては当たり前ではない。
毎日が必死の日々である。
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