CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

2024/5/8 川﨑依邦の日々「自分の好物」

5月8日(水)

14時 大阪事務所にてA社(千葉県)とZoom面談。

自分の好物は、強いて言えばタマゴ。

それとチーズ、ハム、ソーセージ。

焼き芋も好きだ。果物ではバナナ。

みそ汁にジャガイモもgood。

何でも好き、嫌いなしでおいしく食べる。

世の中には、あれも食べられない、これもダメという人もいる。

今まで変わった食べ物は、ブタの血を固めたもの。

レバーみたいだった。

スッポンも食べた。鶏肉みたいだった。

ゲテモノ(たとえばヘビ、食用の昆虫等)も食べたことがある。

それでも食事は白いお米のおにぎりがうまい。

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| 投稿日: 2024年05月08日 | 投稿者: unityadmin

2024/5/7 川﨑依邦の日々「生きているだけで儲けもの」

5月7日(火)

9時 訪問リハビリ。

11時 大阪事務所にてA社長と打合せ。

14時 ZoomにてB社長(岡山県)と打合せ。

ニーズのある限り対応していく。

ここまで来ると、仕事そのものが生きている証拠というか、

人生そのものである。

今までの人生の大ピンチは、

やはり去年7月の脳梗塞発症にある。

生死を彷徨う大病である。

寝たきりにならなくてヤレヤレ、

私も生かされている。

生きているだけで儲けものである。

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| 投稿日: 2024年05月07日 | 投稿者: unityadmin

2024/5/6 川﨑依邦の日々「連休最終日」

5月6日(月)

「アジア人物史」(集英社版)は、1,050ページもある。

この本を80ページまで読む。20~21世紀の戦後アジア史である。

この本はとことんよくできている。私は歴史好きである。

実に面白く、このペースだと5月中には完読する。

昼11:30~13:00、NHK BS番組の歌番組を見る。

昭和時代の歌である。

中でも島津亜矢の歌う「帰らんちゃよか」は絶品である。

年老いた母が遠くに行った子に帰らんでよかと励ます歌である。

「そらぁときどきゃ 俺たちも 淋しか夜ば過ごすこつも あるばってん

二人きりの 暮らしも長うなって これがあたりまえのごつ 思うよ

どこかの誰かれが 結婚したとか かわいか孫のできたて聞くとも もう慣れた

ぜいたくば言うたら きりんなか 元気でおるだけ 幸せと思わんなら

それでどうかい うまくいきよっとかい 自分のやりたかこつば 少しはしよっとかい

心配せんでよか 心配せんでよか

けっこう二人で けんかばしながら暮らしとるけん

帰らんちゃよか 帰らんちゃよか

母ちゃんもおまえのこつは わかっとるけん」

私も父が亡くなる1ヶ月前の1976年11月に故郷の広島に帰った際、

父は私のホープ1本を取り出して酒を酌み交わした。

父は「広島に帰らんでいい」と言った。

このことを島津亜矢の「帰らんちゃよか」を聞いて思い出した。

父の優しさである。不肖の息子への励ましである。

その父は1976年12月に67歳で脳溢血で突然死した。

朝、仕事に行こうとして玄関でばったりと倒れた。

47年前のことである。

結局私は帰らなかった。

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| 投稿日: 2024年05月07日 | 投稿者: unityadmin

2024/5/5 川﨑依邦の日々「本を読む」

5月5日(日)

本日は昼寝している以外はひたすら本を読む。

一気に読んだのは

「ある行旅死亡人の物語」(武田 惇志、伊藤 亜衣)。

完読したのは

「おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像」、

そして「死刑囚・孫斗八の生涯」。

いずれもノンフィクション。

共通しているのは、一人一人の生の重さ。

そして人は必ず死ぬということだ。

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| 投稿日: 2024年05月07日 | 投稿者: unityadmin

2024/5/4 川﨑依邦の日々「生き抜くこと」

5月4日(土)

本日は、昼過ぎに孫 (8歳)がママと一緒に

肉入りハンバーガーを持って自宅に来た。

美味しくハンバーガーを食べる。

いつしかママと離れて結婚する時が来るかもしれない。

保育園の頃、ママの妹さんによく自転車の後ろに

乗せてもらっていたことがふと頭をかすめる。

孫が結婚する時は、ママの妹さんも感無量であろう。

もちろんママは言うまでもない。

私が故郷の広島から離れて東京に行ったのは18歳。

私の母は広島駅まで見送りに来てくれた。

その日の晴れ姿として、ピンクのブレザーを新調してくれた。

その時の母はどんな想いだったのだろう。

「お母さん 今僕は思っています

僕に故郷なんかなくなってしまったんじゃないかと

そしてひとつ残っている 故郷があるとすれば

お母さんそれはあなた自身です

あなたは何から何まで 故郷そのものです

今ここでこうして 静かに目を閉じていると

お母さんあなたの 声が 聞こえてくるんです

お母さんの声が 聞こえてくるんです

今も 聞こえる あのおふくろの声

僕に 人生を 教えてくれた 優しいおふくろ」(母に捧げるバラード-海援隊)

やはり輝く日本一の男になれと見送ってくれたと想いたい。

今にして思えば、母の期待通りに100%ならなかった。

数々の挫折を繰り返してきた。

それでも生き抜いてきた。

孫も何があっても生き抜いてほしい。

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| 投稿日: 2024年05月07日 | 投稿者: unityadmin