[2022/5/3] 川﨑依邦の日々 [沖縄の海]
5月3日(火)21,755歩、歩行距離 15.1㎞。禁酒727日目。曇り。
5:30 ホテルを出る。 漸く沖縄の雨も止む。 一人ジョギングで那覇フェリーターミナルまで行く。 ホテルから30分かかる。 ターミナルの待合室は、人が5~6人とまばらである。 7:00発のフェリーに大型トラックが乗り込んで行く光景を見ながら 那覇空港を目指しジョギングを続ける。 『空港通り』という一本道のロードをひたすら進む。 米軍基地(陸軍)の有刺鉄線に囲まれた所で基地の中を見ると、 トレーラのヘッドが数十台並んでいる。 トラックも約30台も停まっている。 いずれも『〇〇運輸』であり、Gマークシールが貼ってある。 この『〇〇運輸』は米軍基地に食い込んでいる。 かなり大きな運送会社と思われる。 さらにひたすら一本道を行く。 道端の赤いハイビスカスや名も知らない黄色やピンクの花が目に留まる。 モンシロチョウにも出会った。 5月の沖縄の風を感じる。 沖縄は、太平洋戦争の傷跡が今も色濃く残っている。 沖縄戦は1945年6月23日まで続く。 本土決戦の防波堤として徹底抗戦する。 あれから77年経っても、いたる所に米軍の施設がある。 那覇の中心部は行政関連の立派なビルが立ち並んでいる。 恐らく国の助成を得て建てられたものであろう。 人口は140万人。 出生率は1.7人 ― 日本でトップ。 コロナ前の観光客は年間で約1,000万人。 沖縄の経済は軍関連と観光で成り立っている。 1972年に本土復帰して、5月15日で50年となる。 ・・・最低賃金は全国ワーストで時給820円、東京の1,041円と比して78%である。 7:00過ぎにホテルに戻り、那覇空港13:40発の飛行機にて伊丹に帰る。 16:00着。 5/1~5/3の沖縄の旅、この3日間でよく歩いた。 一日平均18,000歩である。 私個人としては、土産はひとつも買わなかった。 |
[2022/5/2] 川﨑依邦の日々 [小雨の沖縄]
5月2日(月)16,223歩、歩行距離 11㎞。禁酒726日目。雨。
終日沖縄、小雨が降りしきる。
11:00 那覇のバスターミナルより片道約2時間のバスの旅をする。
行先は沖縄美ら海水族館である。
那覇南部から沖縄本島を縦断する北部までのバス旅。
沖縄は軍事基地と観光で支えられている。
観光客は日本人の若いアベックと子供連れ、
中国人のツアー客、アメリカ人が主たるものであった。
広い水族館を回る。
大きいジンベイザメがゆっくり回遊している。
約2時間の見学。
17:00過ぎ 那覇に戻り、沖縄料理を食べる。
ソーキそば、島らっきょう、海クラゲのサラダ等である。
その後ホテルに戻り体重計に乗るとヘルシーな食事であったからか、
心もち500gばかりダイエットしている。
小雨の沖縄である。南国の海と空のスッキリとした風景には巡り逢えなかった。
[2022/5/1] 川﨑依邦の日々 [晃弘の事]
5月1日(日)15,937歩、歩行距離 9.3㎞。禁酒725日目。曇り。
沖縄県那覇市への旅行。
11:00過ぎ 那覇空港に着いて元CMOのA君と会う。
晃弘社長と名古屋にあるCMOグループの会社で一緒に働いていた。
「晃弘君は弟思いだったなあ、弟をすごく可愛がっていたよ」
「晃弘君はすごい人だったよ。
彼みたいにはとてもなれなかった」ひとしきり晃弘社長の思い出話に花が咲く。
2016年2月13日晃弘社長が突然死し、早くも6年の月日が流れている。
「晃弘の分まで頑張って下さいよ」
「なかなか晃弘君みたいにはなれませんが・・・頑張りますよ」
川﨑晃弘はそれぞれゆかりのある人の心の中で生きている。
沖縄は終日曇り。
沖縄のホテル泊。
[2022/4/30] 川﨑依邦の日々 [一定の日(本と靴)]
4月30日(土)20,311歩、歩行距離 17㎞。禁酒724日目。曇り、晴れ。
5:30 公園4周。 8:30~15:30 大阪CMOにて内務。 本日は本の整理をする。 約5時間掛かりきりとなる。 13Fの本棚に空きを作るために整理した本は約200冊、8Fの本棚に移動する。 通常は13Fにて仕事をする。 13Fの机の前の本棚はスッキリする。 労働、労務に関する本と事業再生、M&Aに関する本を中心として本棚に並ぶ。 これから初心に帰って一からもう一回読み通すこととする。 果たして何年かかる事か。 生涯学習である。 これだけ本があるともう買う必要がない気がする。 ところが古本屋に立ち寄ると1冊100円の本を2~3冊購入する。 新刊本も月3冊くらい購入する。 本は増える一方である。 一種の活字中毒である。 本に囲まれていると精神的に安らぐ。 とは言っても一定の日には大処分しなければならない。 一定の日がいつになるか、今のところは不明である。 大処分するときは手元に一冊の本も残さない。 あれこれ選んでいると悩むからである。 1980年代フィリピンのマルコス大統領の夫人、 イメルダ夫人が靴箱に1000足も靴を並べていた。 マルコス大統領が失脚した時に宮殿にイメルダ夫人の靴が1000足あると暴かれていた。 イメルダ夫人は靴中毒である。 夫人の靴はどこへ行ったのか。 (今、マルコス大統領の息子がフィリピン大統領選挙に立候補している。) ・・・どちらにせよ、本の中毒も靴の中毒も良くない。 一定の日には私も自らの集めた本(優に3千冊はある)は、1冊残らず大処分しなければならない。 ところで一定の日はいつなのか。 15:00過ぎ いつもの温泉に行く。 風呂上りに運動靴を入れてあるいつもの1番ロッカーを開ける。 「靴が無い」番台のおばさんに「靴が無いんです、不思議です」 おばさんが靴のロッカーを探してくれる。 「無いねえ、これを履いて下さい」と大きめのスリッパを差し出す。 そのスリッパを履く。 いつもの履きなれた運動靴(かれこれ5年は愛用している)が消えて無くなる。 17:00には梅田にて食事する約束がある。 1日20,000歩を達成する為には歩く。 ジーパン姿で大きめのスリッパを履いて歩く。 つい道行く人の足元を見るが誰もスリッパを履いていない。 ホームレスもスリッパは履いていない。 梅田は人で溢れている。 それにしても運動靴はどこへ行ったのか。 梅田まで30分かけて歩いたおかげで本日20,311歩となる。 一定の日とはいつかは大事な物が無くなる日のことである。
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[2022/4/28] 川﨑依邦の日々 [ゴールデンウイーク]
4月28日(木)8,186歩、歩行距離 5.8㎞。禁酒722日目。曇り、晴れ。
関東日帰り出張。
10:00 A社長とミーティング。
15:00 B社 「経営方針発表会」
21:00頃 新大阪に辿り着く。
駅のタクシー乗り場に行くと珍しいことに100mくらいタクシー待ちの行列ができていた。
スーツケースを持った家族連れが目立つ。
(ゴールデンウイークで里帰りや大阪に遊びに来ているのだな)と実感する。
目の前の温度計の電光掲示板を見ると21℃である。
初夏がやってきており、過ごしやすい季節である。
私のゴールデンウイークの計画は5/1~5/3沖縄に行く。
あとは大阪CMOにて出勤し、本の整理と資料作成をする。
これから読むべき本のリストも作る。
ゴールデンウイークが終わるといよいよ真夏の足音が聞こえてくる。
2022年も折り返しとなる。
一日一日が矢の如しである。
今のところ健康であり、体重も増えていない。
血糖値も血圧も正常である。
ゴールデンウイーク中はいつもより歩きたい。
一日20,000歩はいきたい。
明日の希望を胸に歩く。
心のストレスや憂いが晴れてくるだろう。
ストレスは仕事のプレッシャーであり、
憂いは(これから先どうなるのか)といった漠然とした不安である。
私のゴールデンウイークは1日20,000歩を歩く一週間にする。
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