[2022/8/14] 川﨑依邦の日々 「お盆その2 -静かな一日-」
8月14日(日)19,051歩、歩行距離 15.6㎞。水中ウォーキング60分(21回目)。曇り、晴れ。
5:00 公園4周。
8:00~10:00 大阪CMOにて内務。
そのまま墓参りに行く。
11:00 お寺に着く。
お盆なのでお寺はいつもより参拝者が多い。
昼前の為日差しが強い。
この墓には私の両親と晃弘社長が眠っている。
「元気でやっています」と手を合わせる。
NHKのドキュメント72時間の7位と6位の事が想起される。
7位の「桜の下のあなたへ」では樹木葬の事を取り上げている。
桜の下にそのまま人骨が埋められており、
お参りする人は桜の下の地面に手を合わせている。
インドには遺体をそのままガンジス川に流す水葬という風習がある。
樹木葬は墓石が無いのでその分安いとの事で
4人分で90万円ですとインタビューに答えていた。
6位は「長崎のお盆はド派手に花火屋で」。
精霊船を作ってド派手に花火で死者の魂を弔う風習である。
人によっては40~50万をパッと散っていく花火にパッと使って死者を弔う。
インタビューに答えた人の中には派手な花火を使いつつ涙ぐむ人もいた。
生きている者は死んだ人の事を思うと寂しく、悲しい。
「それでも残された者は生きていくしかありません」と答えていた。
墓の前で両親と晃弘社長に手を合わせる。
14:00~16:00 大阪CMOに戻り内務。
16:00 プールにて21回目の水中ウォーキング60分。
18:00 銭湯に行く。
いつもの何気無い当たり前の日々である。
夜に桃のショートケーキを食す。
私のお盆は静かな一日であった。
[2022/8/13] 川﨑依邦の日々 「お盆その1 -恐山 死者たちの場所-」
8月13日(土)18,581歩、歩行距離 15.3㎞。水中ウォーキング60分(20回目)。曇り、晴れ。
5:00 公園4周。
早朝の公園は既に季節が巡っているのを実感する。
あれほどやかましく力の限り鳴いていた蝉も
弱々しく道に転げ落ちている。
草むらから虫の鳴き声が聞こえる。
一日と言えど同じ風景は無い。
日々変化している。
8:00~12:00 大阪CMOにて内務。
12:00 プールにて20回目の水中ウォーキング。
14:00 義母(2018年2月14日87歳で死去)の墓参りに行く。
徳島から大阪に帰って1986年~1992年頃まで
6~7年同居した義母の墓参りである。
自宅から近いお寺である。
墓参りと言っても墓石は無く、
暗証番号を入力すると出てくる銀行の貸金庫のようなシステムである。
「お世話になりましたね。こうして元気で生きています」
信心深い人で毎日2~3時間も仏壇の前に座って
一心にお経(般若心経)を唱えてお祈りしていた。
願いの一つとして
「怪我や病気する事も無く健康に暮らすように」
と私の日々の無事も祈ってくれていた。
孫(晃弘社長を可愛がり社長はおむつを換えてもらい育児をしてくれた)の事や
自らの子ども(3人の姉妹がいる)の事など一心に祈ってくれていた。
夕方録画しておいたNHKのドキュメント72時間を
10位から8位まで見る。
この10年間の番組でのベストテンの紹介である。
人の生き方の有り様を実に上手く捉えている番組である。
私は10位の「恐山死者たちの場所」の回が心に沁みた。
生きている人が「じいちゃん」「ばあちゃん」と恐山に向かって叫ぶ。
死んだ人は恐山に魂が帰ってくると言われている。
死者を呼び寄せて生きている人と会話するイタコという人もいる。
色とりどりの風車が回る。
恐山は巨大なお墓のようなものだ。
お墓の前だけでなく生きている人は様々な場所で死者に語りかけている。
私はいつも心の中で
晃弘社長(2016年2月13日 34歳5ヶ月で死去)に語りかけている。
時には「晃弘!」と大声で心の中で叫ぶ時もある。
苦しい時や辛い時は思わず叫ぶ。
私の心の中でずっと晃弘社長は生きている。
お盆は死者が帰ってくる。
[2022/8/12] 川﨑依邦の日々 「胸が痛む」
8月12日(金)16,127歩、歩行距離 13.5㎞。晴れ、曇り。
4:30 公園4周。
8:04 新大阪発の新幹線にて広島へ行く。
お盆の帰省客で車中は混雑している。
指定席が取れずグリーン車で行く。
10:00 広島県A社 「経営改善計画」の作成打合せ。
13:00 広島県B社 「経営改善計画」の作成打合せ。
広島は私の郷里である。
18歳で上京する。
20代の学生の頃は帰省で広島駅に着くといつも胸が痛んだ。
両親の期待には充分に応えていない。
青雲の志を抱いて上京したものの大した事もしていない。
広島駅に着く度にそのような思いから胸が痛んだものである。
私の父は1976年12月16日に67歳で死去した。
その時も東京から広島に駆け付けた。
27歳の時である。
ろくに親孝行していないと胸が痛んだ。
私の母(86歳で死去)は晩年70歳を過ぎてから
ずっと特別養護老人ホームにいた。
この時は特別養護老人ホーム(広島県)に
毎月1回必ず見舞いに行っていた。
1985年から2000年9月27日(母の命日)の約15年間。
私は36歳から51歳。
母の晩年は認知症が進んだ。
それでも老人ホームの同居人との会話で
「私には依邦という息子がいてね。賢い子だったよ」
と自慢していた。
目の前でそれを聞いてつくづく胸が痛んだ。
今日は広島のA社、B社とも「経営改善計画」を策定する。
経営改善計画策定支援事業として行う。
モニタリングもあるので、
3年間の広島詣が始まる。
これも何かのご縁である。
[2022/8/10] 川﨑依邦の日々 「通販CM」
8月10日(水)17,363歩、歩行距離 14.5㎞。晴れ、曇り。
5:00前 公園4周、65分。
7:00~10:00 大阪CMOにて内務。
10:00 大阪府A社 役員会議。
14:00 兵庫県B社 「働き方改革プロジェクト」の打合せ。
本日は17時頃帰宅する。
録画してある韓国ドラマ「ヘチ 王座への道」を一挙に3話分観る。
録画なのでテレビCMは早送りするか、時々観る。
顔のシワをとるクリームの宣伝はリアルに見えるが、
シワシワのおばあさんがクリームによって見事に綺麗になるので
「ほんまかいな」と目を擦る。
私が女性であれば思わず買いたくなる程よくできたCMである。
それと足腰の弱った人をターゲットにしているCMも面白い。
足腰が弱っている人は思わず見とれてしまうに違いない。
階段の昇り降りに難儀している人(何故かおばあさんが多い)が、
サプリメントの効果によってスタスタと昇り降りしている。
この手のCMの出演者は流石プロである。
迫真の演技力である。
そして定価は大幅に安くなって
「今すぐお電話を」とくる。
恐らくこの手のものの材料費はトコトン安く、
広告宣伝費は売上の40%~50%は優にかかっていると推察する。
主なターゲットは中高年の婦人と思われる。
この手の通販のCMは私からすると実に良く出来ていて、
人の心を掴む術を心得ている。
いつも「うまい、リアル」と感心しているとは言っても、
私は今まで一回も通販CMによって買い物をした事が無い。
[2022/8/9] 川﨑依邦の日々 「三宅一生の訃報」
8月9日(火)9,968歩、歩行距離 7.1㎞。水中ウォーキング60分。晴れ、曇り。
6:15 新大阪発の新幹線で東京へ。
10:00 埼玉県A社 経営会議。
13:00 神奈川県B社 役員会議。
15:09 品川発の新幹線で新大阪へ。17:30着。
18:00 プールにて水中ウォーキング60分。
私の母校である広島県立国泰寺高校の大先輩、
三宅一生さんの訃報を聞く。
三宅一生さんは授業中にスケッチブックを開き
女性の服のデザインを描いており、
それを見た同級生は「大物になる」と思っていたとの事。
“栴檀は双葉より芳し”。
幼い頃から才能の芽があったという事である。
私は国泰寺高校在学中に伝説を作っている。
放送部の部長として
NHKの放送コンクールに向けての番組制作で、
報道部門、
音楽部門、
文芸部門の3部門全てにおいて最優秀賞を獲得した事である。
別に私1人の力では毛頭無いが、
部長として企画演出をした。
今に至るも3部門全て最優秀という記録は破られていない。
私は大して大物にはなっていないが、
思えば高校生の頃から
既に今日の経営コンサルタント人生の芽があったという事である。
3部門の番組のテーマとして広島の原爆の事を取り上げた。
私は声には自信があるが軽い吃音のためアナウンサーには向かず、
ディレクターとして腕を振るったわけである。
そういえば広島に原爆が落ちてから今年で77年となる。
大先輩三宅一生さんに黙祷する。
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