2024/2/26 川﨑依邦の日々「一声の力」
2月26日(月)
11時 Zoomにて北関東A社の役員会議。
A社長(女性60歳)云く
「先生、前より一層元気になりましたね」
思わず嬉しさで「そうか」と頷く。
おそらく昨日散髪したので顔色がよく見えたに違いない。
それでも一声掛けられると嬉しいものだ。
一声の力というものもある。
2024/2/25 川﨑依邦の日々「ドーパミン」
2月25日(日)
本日は大阪マラソンの日。
小雨降りしきる中、自宅近くの界隈をマラソン選手が走る。
散髪の為に朝9時頃外に出ると、交通規制があり散髪屋まで行くのに難儀する。
散髪はいつものご主人が入院しているので、息子が担当する。
いつものご主人は腰の骨を骨折して入院中である。
寝たきりになるまいと階段の上り下り等、必死のリハビリ中とのこと。
目標は3月に92歳になるので、バースデーのお祝い会をすることである。
「気の持ち方も免疫力に関係します。たとえば何かに取り組んで達成感を抱くと、
脳内にドーパミンという神経伝達物質が分泌されて気持ちがポジティブになり、
ストレスが軽減されて自律神経が整っていきます。達成しやすい小さな目標を
リストアップし、毎日一つひとつ実行していくのはいい方法です。」
(散髪屋の2月号広報誌より)
なんとか散髪屋のご主人も自らのバースデーのお祝い会の目標を達成してほしい。
私も目標としては、春4月満開の桜の中久方ぶりに東京へ出張したい。
散髪が終わり商店街の喫茶店に入る。
久方ぶりのコーヒーをたしなむ。
古本屋で1冊50円の小説を2冊(100円)買う。
大阪マラソンの選手達は、いつしか小雨の中を通り過ぎて行った。
2024/2/24 川﨑依邦の日々「生きる勇気」
2月24日(土)
13時30分 大阪事務所にて来客対応。労務トラブルの相談に応じる。
「一日一生 亡き息子川﨑晃弘へ手紙」の読書カード(アンケート)を見る。
『亡くした息子への無念さがひしひしと伝わってくる。
事業への執念をすさまじく感じる。改めて経営の原点、基本を教えられた』
著者としては、ご協力ありがとうございます。
私の方こそこの言葉を聞いて生きる勇気をもらった気がする。
この本はネット等でじわじわと読まれているらしい。
2024/2/23 川﨑依邦の日々「なまりなつかし」
2月23日(金)
「ふるさとのなまりなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」
石川啄木の短歌である。
NHKのサンドウィッチマンの病院ラジオ、広島赤十字原爆病院のところを見る。
広島赤十字原爆病院のすぐ近くに私の実家がある。
18歳までいたが、それから東京へ行きアチコチと過ごしている。
この番組を見て実家のアレコレを思い出す。
番組の内容も生と死について胸を打つものがあるが、
出演者の広島弁(そ)に目が潤んできた。
故郷のなまりは懐かしく胸にしみる。
18歳で故郷の広島を出て人生の旅を過ごしてきた
「何があっても大丈夫じゃけん」と広島の声が聞こえた気がする。
1945年8月6日、原爆(ピカドン)から再生している。
廃墟の町から再生している。
2024/2/22 川﨑依邦の日々「亡き母とネコ」
2月22日(木)
大阪は曇り、小雨の日々が続いている。いつになったら晴れるのか?
それでも曇りの日、小雨の日もそれなりに味わい深い。
雨が上がると木々、草花もしっとりと息づいているのを感じる。
自然のリズムのようなものが慈しい。
本日2月22日は、語呂合わせでニャンニャンといってネコの日でもある。
大昔(今から50年ぐらい前)、
広島の実家にフクちゃんというネコが住み着いていたのを思い出す。
フクちゃんは私の母が可愛がっており、母になついていた。
私はフクちゃんにはあまり構わず、訳もなく頭を叩いて面白がっていた。
そのフクちゃんは、ある日突然姿を消した。
母にとってみれば、ボケ防止でもあったに違いない。
その母も今から24年前の2000年9月に亡くなった。
86才であった。その時は私の顔も分からずボケていた。
ただ「ヨリクニ」という息子の名前は頭の片隅にあった。
今の私を見て母は何と言うだろうか。
「何があっても大丈夫よ」と言いそうな気がする。
10時 名古屋からA社夫婦来社。夫が社長である。労務トラブルの相談。
14時 神奈川県のB社とZoomにて経営実績のチェック。
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