2022/12/13川﨑依邦の日々「広島の味」
12月13日(火)13,588歩、歩行距離9.2㎞。雨のち晴れ。
4:30 公園4周。
66分。
4周目に入ると小雨がぱらついてきた。
7:30~ 8:30 健志社長とミーティング。
9:00~11:00 大阪CMOにて内務。
11:00~12:00 大阪CMOにてA社長と面談。
12:38発にて広島へ向かう。
14:30 B社長と合流しB社に行く。
B社の給与改革ついてB社長と打合わせ。
その後B社スタッフ3人と個人面談をする。
終了後18:00~20:00までたっぷり2時間ばかり広島の滝川という有名な飲み屋街の店にてB社長にご馳走になる。
ミシュランに載っている名店である。
ノンアルコールビール小瓶2本。
和食である。
お任せで次々と魚料理メインで出てくる。
「よく食べますね」とお店のご主人に褒められる。
広島の味を堪能する。
女性客の多い店である。
締めはたっぷりのウニご飯。
腹いっぱいになった。
これで確実に1㎏はウエイト増である。
帯状疱疹による右の頭の痛いのは食事中は消えていた。
広島の味によって癒された感じである。
このペースで右の頭の痛いのが軽くなり、やがて消えて無くなる事を祈る。
20:00過ぎ ホテル着。
1人なのに広いツインの部屋である。
1人旅が続いている。
正確に言えば2016年2月13日突然死した長男川﨑晃弘(34歳5ヶ月)と同行2人の旅が続いている。
広島の味は美味しかった。
ホテルから見る広島の夜景は綺麗である。
それでも心からしんみりと寂しさを感じた。
…「川﨑晃弘は今頃どうしているだろうか」
2022/12/12川﨑依邦の日々「『辛い』の一言」
12月12日(月)6,708歩、歩行距離4.7㎞。晴れ、曇り。
6:00 始発にて東京へ。
10:00~12:00 茨城A社にて経営会議。
15:00より埼玉にてB社長と面談予定であったがキャンセル。
帯状疱疹で相変わらず右の頭が痛いし、右目の調子も思わしくない。
急遽大阪に帰る。
16:30~18:30 みっちりと大阪の眼科にて診察を受ける。
白内障。
今のところ特に急を要するわけではないが、3ヶ月毎に検診を受けるようにとの事。
来年3月の予約を入れる。
薬は処方されずもっぱら検査のみ。
失明の心配はない。
安心する。
それでも右の頭はズキンズキンと痛い。
この状態が12月2日ぐらいから10日は続いている。「辛い」の一言である。
2022/12/11川﨑依邦の日々「さよならだけが人生だ」
12月11日(日)13,825歩、歩行距離9.0㎞。晴れ。
6:00過ぎ 久しぶりに公園4周。
68分。
相変わらず右の頭の痛さと目の霞みは続いている。
おでこのブツブツはほぼ消失。
10:00~15:00 大阪CMOにて内務。
12月セミナーのテキスト作成。
明日12/12の関東日帰りの出張の準備。
それと12/17の大阪CMOの引越しに向けて書類の後片付けをする。
片っ端から捨てる。
右目の奥の方がズキリと痛くなる。
右目は大丈夫かと心配になる。
〝捨てるものあれば拾うものもある〟拾うものは新しい1ページをめくる新しい出発への希望である。
基本は過去の色々な事は振り返らない。
捨てる事によって新しい人生を歩んでいく。
思えば色んなものを捨ててきた。
捨てざるを得なかった。
18歳の時、故郷広島を捨てて東京に行った事で「捨てる人生」がオープンする。
右か左かの道を選ぶ時右としたら左を捨ててきた。
「こうすればよかった。こういう道もあったのに」それでも振り切って捨ててきた。
〝花も嵐も踏み越えてさよならだけが人生だ〟まもなく大阪CMOの事務所ともお別れだ。
「さよなら」と心に呟く。新しい1ページが開いていく。
2022/12/10川﨑依邦の日々「明けない夜はない」
12月10日(土)3,994歩、歩行距離2.8㎞。晴れ。
8:00~ 9:30 大阪CMOにてシーエムオーの役員会議。
10:00~11:30 シーエムオーグループ各拠点のオンライン会議。
帯状疱疹の右側のおでこのブツブツはほぼ消える。
12:00頃 かかりつけ医に診てもらう。
埼玉で処方してもらった薬は飲みきりということで追加は無し。
ロキソニンだけは1週間分貰う。右側の頭は相変わらず痛い。
「頭がどうかなっているのではないか」
14:00頃 脳の人間ドックに行く。
脳梗塞や脳溢血の欠片も無い。
綺麗な頭との事。
夕方はいつもの風呂屋に行くのは止めとする。
自宅にて風呂に入る。
右頭がズキズキと言うか不快感が続く。
その上右目が霞む。左目と右目のバランスが取れない。
見えにくい。
本が思うように読めない。
この1週間帯状疱疹と共に普段通りの仕事をやる。
顔に帯状疱疹が出来ると人によっては入院したり、失明したり、耳が聞こえなくなったりするともいう。「このまま頭が痛かったり、右目が霞んだりと続くとどうなるか」病気は不安とのせめぎ合いでもある。それでも「明けない夜はない」と信じて1日1日生きていく。
2022/12/9川﨑依邦の日々「if=もし○○だとしたら」
12月9日(金)6,692歩、歩行距離4.7㎞。晴れ。
良く晴れた1日。
小雨降りしきり寒い1日よりも遥かに気分が良い。
朝6:33発にて東京へ向かう。
9:30 新木場に行く。
A社にて家族会議。
昼までみっちりと行う。
13:30 埼玉県草加市にてB社の経営会議。
更に野田市まで行く。
スタッフ3人と個人面談する。
18:48発にて新大阪へ帰る。
21:00過ぎ着。
関東日帰りの1日。
帯状疱疹の頭の痛みと右目の霞みと共に1日活動する。
「虚ろな革命家たち ──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって」(佐賀旭)を
全263ページのところ200ページまで読む。
連合赤軍リーダー森恒夫の足跡を辿るノンフィクションである。
30歳の著作者であり、2022年に開高健ノンフィクション賞を史上最年少で受賞した作品である。
森氏は大阪の天神橋6丁目近くにて成長し、北野高校の出身である。
1973年1月1日獄中にて自死した。
28歳である。
ifという言葉がある。
「もし○○だとしたら」森氏もこのような自死の道を辿らなくても済んだに違いない。
右に進むか左に進むかその時々で人は選択している。
あの時もし右ではなくて左に行っていたら人生はどうなっていただろうか。
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