2025/7/2 川﨑依邦の日々「東京だヨおっ母さん」
7月2日(火)
東京出張。
タクシーの車窓より、皇居の二重橋を見る。
「東京だヨおっ母さん」の歌が浮かぶ。
「久しぶりに手を引いて
親子で歩ける嬉しさに
小さい頃が浮かんで来ますよ
こゝがこゝが二重橋
記念の写真をとりましょね」
懐かしくじっと二重橋を見る。
生きていて良かったとつくづく思う。
2025/7/1 川﨑依邦の日々「暑い日々」
7月1日(火)
本日も猛暑。
7月1日となる。
1年の半分過ぎる。
ここのところ、この暑さの日々、乗り越えていかねば。
熱中症のリスクもある。
まるで他人事ではない。
水分補給をこまめにしないといけない。
筋肉痛がひどくなる気がする。
明日は東京出張。
なんとしても行かねば。
2025/6/30 川﨑依邦の日々「いつもと同じペース」
6月30日(月)
本日もうだるような暑さ。
今のこの身ではこたえる。
水分補給をしっかりする。
いつもと同じペースでいく。
3食食べる。
便通も定期ペース。
読書も順調。79冊目。
自主リハビリも継続している。
仕事もマイペース。
このペースを続けていく。
2025/6/29 川﨑依邦の日々「炎天下」
6月29日(日)
本日は炎天下の中、散髪に行く。
薄い髪の毛でもさっぱりする。
顔そりもする。
炎天下とはこのことか。
暑い夏を乗り越えねば、やはり体にこたえる。
家に帰りついてホッとする。
焼き芋とコーヒー牛乳を食す。
おいしい。
幸せを感ずる。
2025/6/28 川﨑依邦の日々「人間回復の橋」
6月28日(土)
本日も晴れ。
早くも梅雨は明けた。
夏の日差しが続く。
本日、録画してあったハンセン病の患者の施設
「長島愛生園」のことを記録した
「こころの時代~宗教・人生~ 「人間回復の橋」を架ける」を見る。
「人間回復の橋」として橋を架けるのに尽力した
87歳の老人の半世記を綴っていた。
10歳の少年のときから「愛生園」に入っている。
ハンセン病と診断されて辛く絶望の日々。
1つのエピソードが紹介されている。
「なんとか役に立ちたい。
俺が海の中で溺れ死んだら魚のエサになって魚の役に立つ」
老人の少年時代の友人の生前の言葉である。
彼は海に飛び込み自死する。
しかし、漁師の網に引っかかり、
魚のエサにはなれなかった。
そこで87歳の老人は橋を架けることを思いつき運動する。
1988年ついに橋を架けることを実現する。
「人間回復の橋」である。
何かの役に立つ人生の生き方に私は胸を打たれた。
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