CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

2024/9/9 川﨑依邦の日々「重陽の節句」

9月9日(月)

10時 大阪事務所にてA社の経営相談について対応。

13時 大阪事務所にてB社の経営相談について対応。

本日は重陽の節句。

月を見ながら三色団子を食べる日。

今年の中秋の名月は、9月17日との事。

それでも大阪はモーレツに暑い。

今日の朝の散歩は、かすかに涼しい風が吹いた。

枯葉も風のせいか踊っていた。

カテゴリー: 未分類
| 投稿日: 2024年09月09日 | 投稿者: unityadmin

2024/9/8 川﨑依邦の日々「私のお百度参り」

9月8日(日)

本日も自主リハビリをする。

かかと上げ、膝の屈伸をそれぞれ100回。

自宅の廊下で行き来するのを往復100回。

時間にして約40分。

終わり頃には鼻の頭、顔中、汗が噴き出してくる。

本日で自主リハビリは27回。手帳に回数を記している。

まずは、どうか100回は続けたい。

私にとっては、お百度参りである。

足の筋肉をつけたいが、痛みもある。

歩けなくなったらどうしようとの不安もある。

本日の5時30分NHKの番組で、

元テニスプレイヤーの伊達公子がインタビューで

「プロとは何か」との問いに対して、

「ここ一番というときに勝ちきる力を発揮することです」

と述べていた。

なるほどと頷くものがある。

私もプロのはしくれとして「私のお百度参り」をやり切りたいと思った。

カテゴリー: 未分類
| 投稿日: 2024年09月09日 | 投稿者: unityadmin

2024/9/7 川﨑依邦の日々「高倉健のイメージ」

9月7日(土)

8時 大阪事務所にてCMO役員会議。

10時 CMOグループの各拠点とテレビ会議。

13時 A社長の経営相談対応。

今時間の隙間で「高倉健 七つの顔を隠し続けた男」(作:森功、講談社)

を読み進めている。

大スターの高倉健にも人生の嵐や悲哀が隠されている。

はたして幸せな人生というものがあるのだろうかと思ってしまう。

むしろ人それぞれ不幸を抱えているのではないか。

そのなかでも歯を食いしばって生きているのが高倉健のイメージである。

カテゴリー: 未分類
| 投稿日: 2024年09月09日 | 投稿者: unityadmin

2024/9/6 川﨑依邦の日々「炎天下」

9月6日(金)

9時 訪問リハビリ。

12時 大阪事務所にて内務。

大阪は9月に入っても猛暑が続く。

猛暑の中、杖をついて会社に行く途中

見知らぬ老婦人がどこかの宗教の勧誘をしている。

私にビラを渡そうとする。

チラッと見ると「死なないで」とある。

縁起でもない。受取り拒否する。

思わず「こちらは必死で歩いているんだ。それどころじゃない。」

と言い放つ。そのまま遠ざかる。

遠ざかりながら、あの老婦人もこの炎天下の中、

私の歩く姿を見て思わず声を掛けたのかもしれないと思った。

少しつっけんどんだったかもしれない。

「ご苦労さん」と声を掛けるべきだったのか。

この炎天下の中、それぞれ必死に生きている。

カテゴリー: 未分類
| 投稿日: 2024年09月06日 | 投稿者: unityadmin

2024/9/5 川﨑依邦の日々「私の生き方」

9月5日(木)

10時 大阪事務所にてA社の経営相談。

13時 大阪事務所にてB社の経営相談。

昨年7月に脳梗塞で倒れた。自分としては初めて3ヵ月に及ぶ入院となった。

入院中は何をどうして過ごしていたのだろうか。

まな板の鯉よろしく主としてベッドの上で過ごしていた。

車いすの生活で、トイレに行くときも病院のスタッフの付き添いで用を足していた。

入院して3週間は腕に点滴をつけて過ごした。

早く点滴をはずしてもらいたいとひたすら日々を耐えた。

3週間が過ぎると点滴がはずれホッとしたものである。

毎朝5時頃目が覚めて、今日も生きていると実感した。

明日のことなど全く思いもよらなかった。転院してリハビリ病院に移った。

その際、車でシャバに出た。わずか10分足らずの引っ越しだったが、

シャバの風景を窓越しに見て感無量であった。シャバはいつもの風景であった。

それからというもの転院先でもベッドの上で過ごし、車いすの日々。

自分でも目に見えて足腰が弱るのを感じる。基本的にリハビリは1日に2回。

それも各1時間くらい。ようやくリハビリで杖をついて100mくらい歩く。

100mを歩くのが精一杯。脳梗塞で右手、右足に麻痺がある。

右手に力が入らないため、ボールを持つとポロリと落ちる。

それでもとくに絶望もしなかった。それよりも早くシャバに出たいの一心である。

10月21日には、シーエムオーの「経営方針発表会」がある。

それまでに出たいと念じる。当時は介護認定3級であり、

病院の医師はせめて年内12月まで入院だと言う。

しかし、「退院したら車いすで生活します。」「自宅もバリアフリーにします。」

「訪問リハビリもします。」等々約束して10月7日に退院する。

今は要支援1級となっている。車いすではなく杖をついている。

今年も10月26日シーエムオーの「経営方針発表会」がやってくる。

なんとかその場に立つ。一日一生で日々生きて、その場に立つ。

これが私の生き方である。

カテゴリー: 未分類
| 投稿日: 2024年09月05日 | 投稿者: unityadmin