CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2022/4/5] 川﨑依邦の日々 [さよならだけが人生だ]

4月5日(火)12,044歩、歩行距離8.8㎞。禁酒699日目。曇り。

6:00始発の新幹線にて東京へ向かう。

10:00 A社役員会議。

14:00 B社役員会議。

そのあと17:00からの来客予定のため東京CMOに行く。

ところが来客はキャンセルになり無駄足となる。

しかしものは考えようで

東京CMOグループのメンバーの顔を見る事ができた。

ものは考えようです。一つの事を失って、

そのことばかり悔やんでいてもよくない。

失っても得るものもあるのである。

例えば卒業して友達と離れ離れになっても

次のページでは新たな出会いがある。

東京CMOを出て葛西へ向かった。桜は満開である。

ふと「花も嵐も踏み越えてさよならだけが人生だ」

とのフレーズが浮かんだ。

確かに人生はさよならの繰り返しである。

目の前の桜も散っていく。

いろいろな繋がりのある人も死んでいった。

さよならだけの人生である。

それだけに生きている今を大切にすることである。

人は一人で生まれて一人で死んでいく。

やがて目の前の桜も花吹雪となる。

途中お寺がある。今月の標語は

「険しい道やデコボコの山道でもツエがあれば大丈夫」

と書いてあった。ツエとはお寺なので仏様のことである。

一人一人には心のツエがある。

私にとっての心のツエとは亡き父や母である。

心のツエをついて花も嵐も踏み越えていく。

4月5日(火)12,044歩、歩行距離8.8㎞。禁酒699日目。曇り。

6:00始発の新幹線にて東京へ向かう。

10:00 A社役員会議。

14:00 B社役員会議。

そのあと17:00からの来客予定のため東京CMOに行く。

ところが来客はキャンセルになり無駄足となる。

しかしものは考えようで

東京CMOグループのメンバーの顔を見る事ができた。

ものは考えようです。一つの事を失って、

そのことばかり悔やんでいてもよくない。

失っても得るものもあるのである。

例えば卒業して友達と離れ離れになっても

次のページでは新たな出会いがある。

東京CMOを出て葛西へ向かった。桜は満開である。

ふと「花も嵐も踏み越えてさよならだけが人生だ」

とのフレーズが浮かんだ。

確かに人生はさよならの繰り返しである。

目の前の桜も散っていく。

いろいろな繋がりのある人も死んでいった。

さよならだけの人生である。

それだけに生きている今を大切にすることである。

人は一人で生まれて一人で死んでいく。

やがて目の前の桜も花吹雪となる。

途中お寺がある。今月の標語は

「険しい道やデコボコの山道でもツエがあれば大丈夫」

と書いてあった。ツエとはお寺なので仏様のことである。

一人一人には心のツエがある。

私にとっての心のツエとは亡き父や母である。

心のツエをついて花も嵐も踏み越えていく。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2022年04月13日 | 投稿者: unityadmin

[2022/4/3]川﨑依邦の日々「心の故郷」

4月3日(日)23,841歩、歩行距離21.3㎞。禁酒697日目。

5:30 いつものジョギングに出発する。

「桜のトンネルをくぐりたい。」

いつものコースを止めて毛馬川と淀川河川敷コースにする。

毛馬川は淀川の支流である。

毛馬川のほとり約2kmにわたって

桜がびっしりと咲いている。

道幅は3mしかなく、

咲き誇る桜はさながらトンネルのようである。

このトンネルをくぐりぬけると

黄色の菜の花が目に飛び込んでくる。

いままでの淡いピンクの桜から

目にも鮮やかな当たり一面の菜の花である。

春をしみじみ実感する。

そして淀川河川敷の堤にたどり着く。

「春風や 堤長うして 家遠し」(与謝蕪村)

淀川河川敷の堤に蕪村の石碑がある。

この句は蕪村62歳、1777年(安永6年)のものである。

彼の故郷は毛馬である。

20歳まで毛馬で暮らし、

それ以降あちこちを漂泊し、1度も故郷に帰っていない。

晩年は京都で暮らす。

京都と大阪は三十石船で淀川を渡ることによって行き来できる。

しかし、彼は故郷の毛馬がすぐそこであるにも関わらず

足を踏み入れていない。

62歳の時

「春風や 堤長うして 家遠し」と詠んだ。

蕪村は68歳で死去した。

ゆっくりとジョギングしながらこの句を味わう。

蕪村の故郷を想う気持ちが伝わる。

それでも彼は20歳で家を出て以来1度も帰らなかった。

彼にとって毛馬は心の故郷ではなかったのか?と思う。

淀川は江戸時代によく氾濫していた。

住みやすい所ではなく、貧しい所であった。

この故郷を20歳で出る。

心の故郷、毛馬である。

私の故郷・広島も遠い。

いまさら帰ることもできない。

私にとっての心の故郷は広島である。

…かれこれ思いつつ走ること約2時間。

18kmのジョギングである。

10:00~13:00 大阪CMOにて内務。

19:00 NHKの歌番組を何気なく見る。

石川さゆりの新曲「残雪」(加藤登紀子作)を聞く。

「夜明け直近の北の空は

渡る鳥さえ凍りつく 渡る鳥さえ凍りつく

遠くに見える山なみに

かすかに白く残雪光る かすかに白く残雪光る

忘れるな故郷を 帰ってくるな二度と

忘れるな故郷を 帰ってくるな二度と

出ていくあなたに何ひとつ

見送る母の言葉さえない 見送る母の言葉さえない

この日までの温もりと

小さな思い出ただ浮かぶ 小さな思い出ただ浮かぶ

忘れない故郷を 帰らない二度と

忘れない故郷を 帰らない二度と

流れる雲のように 静かに時を越えて

溢れる川のように 行けるところまで行け

飛び立つ鳥はふり向かず

見知らぬ空へ身を任せ 見知らぬ空へ身を任せ

例えば翼が傷ついて

土の上に倒れた時 土の上に倒れた時

思い出せ故郷を 帰れない故郷を

思い出せ故郷を 帰れない故郷を」

この歌も「心の故郷」を歌っている。

帰りたくても帰れないということもある。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2022年04月04日 | 投稿者: unityadmin

[2022/4/2]川﨑依邦の日々「一番風呂」

4月2日(土)14,680歩、歩行距離13.5㎞。禁酒696日目。曇り。

6:30 近所の公園4周。約60分。9km。

9:00~15:00 大阪CMOにて内務。

その後「一番風呂」を目指し、

500円玉を握りしめて風呂屋に行く。

風呂代490円。

靴箱は「一番」、

衣類を入れるロッカーも「一番」をゲットする。

一種の縁起担ぎである。

そのうち宝くじでもあたると良いと思って「一番」にしている。

とは言え宝くじはここ2年間買っていない。

「どうせ当たらない。」と思っているからである。

宝くじは「ひょっとして」という夢を買うものである。

実は風呂屋で「一番」にこだわるのには理由がある。

そのうちこれぞということで「一番」になりたいからである。

これぞとは何か。

日本一の物流の経営コンサルタントである。

自分で決めるものではなく、

他人の評価によって決められるものである。

自らの特徴を生かして伸ばしていく道の中に

「一番」が見えてくると思う。

熱い風呂に無念無想で浸っている。

無念無想の片隅に「一番」になるぞとの思いがわいてくる。

そういえば、水泳の池江璃花子選手も日々「一番」を目指して

冷たいプールに浸かっているとふと思った。

(私は池江璃花子選手のファンである。)

こちらは熱い湯である。

「一番風呂」での見果てぬ夢である。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2022年04月04日 | 投稿者: unityadmin

[2022/4/1]川﨑依邦の日々「鈍足と大地震」

4月1日(金)23,292歩、歩行距離20㎞。禁酒695日目。曇り、晴れ。

5:00 近所の公園4周。約60分。9km。

春とはいえ肌寒い。春冷えである。

9:30 A社。

11:30 大阪駅から新快速に乗り、

三宮や明石を通過して姫路に向かう。

事故の為、延着する。

14:00 B社。

新快速が鈍足となる。

通常であれば姫路まで1時間のところ、

2時間ほどかかり到着する。

早めに姫路に着いて

久しぶりに姫路城の桜を見るつもりであったが断念する。

B社にもギリギリの到着となる。

しかし、鈍足もこれまた味がある。

車中から風景をじっくりと見る。

途中、明石の海が広がっている。

明石海峡大橋ができた時には記念イベントがあり、

徒歩で渡ったことを思い出す。

三宮では1995年1月に阪神淡路大震災があったことを思い出す。

その日は大阪の自宅マンションにて5:47にぐらぐらと揺れ、

びっくりして起きる。

食器棚の食器は壊れた。

大阪でも震度5強。

それでも朝のスケジュールをこなそうとした。

ところが電車は止まっている。

歩いて経営指導先に行ったものである。

約1ヶ月は神戸方面の経営指導先へは行けなかった。

あれから26年。

月日は流れている。

…そろそろ大地震が来るかもしれぬ。

防災グッズもそろえておかなければならない。

大地震が来たら来たでどうすることもできない。

なるようにしかならない。

「鈍足電車」の中で大地震の事であれこれ物思いにふけった。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2022年04月04日 | 投稿者: unityadmin

[2022/3/31]川﨑依邦の日々「エイプリルフール」

3月31日(木)13,918歩、歩行距離10.2㎞。禁酒694日目。曇り。

5:30 ホテルを出て散歩に行く。

まっすぐの一本道を往復する。

約60分。

10:00 「事業譲渡」の件にてクロージング。

13:00 喫茶店にてA社長と面談。

A社長「やる気が出てきました。」とのこと。

これから伴走していく。

18:00 大阪着。

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」

といつも心で呟いてきた。

今年もその通りになった。

いよいよ明日からは4月1日である。

エイプリルフールを知っていますか。

1年に1回、4月1日は嘘を吐いていい日である。

大昔、小学校6年生の時、ある女の子が私に

「大好きです。結婚してあげる。子どももできた。」

とメモを4月1日に渡してきた。

「え!」と驚きうろたえた。

すると

「嘘よ。嘘に決まっているよ。エイプリルフールよ。」

と言われた。

からかわれたのである。

その時、年に1回嘘を吐いていい日、

エイプリルフールがあることを知った。

それでも内心、嘘でも嬉しかったものである。

ちなみにその女の子とは手も繋いだことはない。

時には悲しい嘘を吐かなければならないこともある。

今までを省みれば色々と嘘を吐いてきた。

年に1回どころではない。

それでもエイプリルフールは面白い行事である。

「4月1日、ついに全国のコロナの感染者数はゼロになりました!」

…エイプリルフールの嘘である。

すっきりした4月を迎えたいものである。

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」

そして4月1日となる。

2022年も早くも1/4過ぎた。

まだ3/4もある。

「人生はこれからです。

明日は必ずやってくる。

明けない夜はない。」

これは嘘ではない。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2022年04月01日 | 投稿者: unityadmin