[2021/12/29]川﨑依邦の日々「ギターは弾かなければ始まらない」
12月29日(水)16,205歩、歩行距離10.9㎞。禁酒602日目。くもり。
10:00~16:00 大阪CMOにて内務。
シーエムオーグループの「経営改善計画」の作成をする。
「ギターは弾かなければ始まらない」
この言葉はエレキギターの天才である
寺内タケシ(今年82歳で死去)の名言である。
1960年代にエレキギターを使用したコンサートが
教育委員会によって完全に禁止される。
約100組あったエレキバンドは全て潰れる。
唯一生き残ったのが寺内タケシとブルージーンズである。
3年間にわたって1回もコンサートができなかった。
活路を見出したのはなんと高校で正式に「音楽鑑賞」として
取り上げてもらったことである。
初めに母校の高校で採用された。
それ以降年間180回もステージに立つ。
そのステージで生徒たちへのメッセージとして
「ギターは弾かなければ始まらない。」
…何事もまず一歩。
やらなければ始まらない。
やると思ったらまず一歩進むことである。
3年間もコンサートが出来ない逆境に耐えての名言である。
「ギターは弾かなければ始まらない。」
[2021/12/28]川﨑依邦の日々「読書」
12月28日(火)14,779歩、歩行距離10.5㎞。禁酒601日目。くもり。
終日大阪CMO事務所(8:00~18:00)。
主として自分の机周りや机の中、書類の整理に没頭する。
本の整理もする。
2022年はハードな1,000ページ近くある
学習本に取り組むこととする。
事業再生、M&A、労働法などの学習本である。
それと宮本輝の「流転の海」9部作を完読する。
今のところは2部まで読んだ。
したがって雑多な乱読は封印する。
年間100冊は読めないが本腰を入れて読書に取り組むこととする。
18:00 大阪CMOにて夕礼に参画する。
2021年の締めくくりの言葉を述べる。
行く年もあれば来る年もある。
新たなページをめくっていく。
[2021/12/27]川﨑依邦の日々「修業は続く」
12月27日(月)21,015歩、歩行距離14.7㎞。禁酒600日目。くもり。
7:30 社長とミーティング。
8:40 歯医者に行く。次は2か月後。
11:00 大阪CMOにA社来社。
14:00 B社。
16:00 C社。
2021年の巡回件数は708件(月平均59件。一日平均約2件)であった。
コロナ禍コツコツと歩き回ったものである。
様々な経営相談に直面した。
経営不振からの立ち直りを図ろうとしている会社、
給与改革を考えている会社、
激しい労務トラブルに見舞われている会社
…様々である。
大半は中小企業で、同族会社が占めている。
時には家族内の揉め事にも直面する。
どれだけ貢献できたか。
色々と反省もする。
どんな経営アドバイスでも実行に踏み切るのは当事者である。
当事者との信頼関係を築けなければ
どんな経営アドバイスも効き目がない。
まだまだ私自身人間ができていないというか、反省する。
経営するということは人生ドラマである。
まだまだ修業は続く。
[2021/12/26]川﨑依邦の日々「禁酒生活」
12月26日(日)16,882歩、歩行距離10.2㎞。禁酒599日目。くもり。
15:00~18:00 大阪CMOにて内務。
寒い一日。
「禁酒生活」も12月27日で600日となる。
2020年5月7日より続けている。
ときどき夢を見る。
美味しそうにビールや酒を飲んでいる夢である。
はっと目が覚めて「夢か。」と安心する。
酒を飲む楽しさは封印している。
「どうして酒を止めているのか。」
…特にこれといった直接のきっかけはない。
「一日でも長く現役で仕事をしたい。」との想いが
「禁酒生活」を支えている。
幸いにも体調は特に問題ない。
体重もコントロールできている。
早朝のスロージョギング60分も続けている。
「酒飲みは長生きできない。」とよく耳にする。
いくら耳にしても「私は大丈夫。」と思ってきた。
原則として1日も休むことなく缶ビール350mlを2本、
焼酎2杯は日々のノルマであった。
ときどき宴会などの飲み会ではこのノルマを破って飲み、
ふらふらしながらもなんとか家までたどり着いたものだ。
酒無しでは考えられない日々であった。
それがぴったりと辞めた。
「何故か。」今まで禁酒は何度も繰り返してきた。
しかしその都度破ってきた。
それが今回は「禁酒生活」が続いている。
我ながら不思議である。
不思議であるが「禁酒生活」は続いている。
[2021/12/25]川﨑依邦の日々「松田聖子」
12月25日(土)13,187歩、歩行距離9㎞。禁酒598日目。くもりのち晴れ。
8:00~13:00 大阪CMOにて内務。
年内にやるべき仕事の整理をする。
予測が外れる。
松田聖子は紅白出場を辞退した。
間違いなく松田聖子は紅白に出場すると思っていた。
当分は彼女の復活はない。
しかし、必ず復活すると信じたい。
もう一回「青い珊瑚礁」の澄み切った歌声を聞きたいものである。
女性の生き方として自由にやりたいようにやってきた彼女を尊敬し、
あこがれるファンは多い。
やはり愛娘の死は大きい。
女性週刊誌によると母と娘の交流はここ7年間もなかったと聞く。
それでも腹を痛めた子の突然死は彼女を直撃したということであろう。
今はそっとしておいてほしいとの気持ちであろう。
それにしても生きるということは
予測もしないことがふりかかってくる。
つらい事である。
悲しい事である。
それでも生き続けていかなければならない。
まもなく2021年は過ぎていく。
2022年はどんな年になるであろうか。
人が目に見えない何物かに手を合わせて
無病息災や幸せを祈るのは自然なことである。
祈ることで心の平安を保っていく。
松田聖子の復活を祈る。
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