[2022/4/30] 川﨑依邦の日々 [一定の日(本と靴)]
4月30日(土)20,311歩、歩行距離 17㎞。禁酒724日目。曇り、晴れ。
5:30 公園4周。 8:30~15:30 大阪CMOにて内務。 本日は本の整理をする。 約5時間掛かりきりとなる。 13Fの本棚に空きを作るために整理した本は約200冊、8Fの本棚に移動する。 通常は13Fにて仕事をする。 13Fの机の前の本棚はスッキリする。 労働、労務に関する本と事業再生、M&Aに関する本を中心として本棚に並ぶ。 これから初心に帰って一からもう一回読み通すこととする。 果たして何年かかる事か。 生涯学習である。 これだけ本があるともう買う必要がない気がする。 ところが古本屋に立ち寄ると1冊100円の本を2~3冊購入する。 新刊本も月3冊くらい購入する。 本は増える一方である。 一種の活字中毒である。 本に囲まれていると精神的に安らぐ。 とは言っても一定の日には大処分しなければならない。 一定の日がいつになるか、今のところは不明である。 大処分するときは手元に一冊の本も残さない。 あれこれ選んでいると悩むからである。 1980年代フィリピンのマルコス大統領の夫人、 イメルダ夫人が靴箱に1000足も靴を並べていた。 マルコス大統領が失脚した時に宮殿にイメルダ夫人の靴が1000足あると暴かれていた。 イメルダ夫人は靴中毒である。 夫人の靴はどこへ行ったのか。 (今、マルコス大統領の息子がフィリピン大統領選挙に立候補している。) ・・・どちらにせよ、本の中毒も靴の中毒も良くない。 一定の日には私も自らの集めた本(優に3千冊はある)は、1冊残らず大処分しなければならない。 ところで一定の日はいつなのか。 15:00過ぎ いつもの温泉に行く。 風呂上りに運動靴を入れてあるいつもの1番ロッカーを開ける。 「靴が無い」番台のおばさんに「靴が無いんです、不思議です」 おばさんが靴のロッカーを探してくれる。 「無いねえ、これを履いて下さい」と大きめのスリッパを差し出す。 そのスリッパを履く。 いつもの履きなれた運動靴(かれこれ5年は愛用している)が消えて無くなる。 17:00には梅田にて食事する約束がある。 1日20,000歩を達成する為には歩く。 ジーパン姿で大きめのスリッパを履いて歩く。 つい道行く人の足元を見るが誰もスリッパを履いていない。 ホームレスもスリッパは履いていない。 梅田は人で溢れている。 それにしても運動靴はどこへ行ったのか。 梅田まで30分かけて歩いたおかげで本日20,311歩となる。 一定の日とはいつかは大事な物が無くなる日のことである。
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[2022/4/28] 川﨑依邦の日々 [ゴールデンウイーク]
4月28日(木)8,186歩、歩行距離 5.8㎞。禁酒722日目。曇り、晴れ。
関東日帰り出張。
10:00 A社長とミーティング。
15:00 B社 「経営方針発表会」
21:00頃 新大阪に辿り着く。
駅のタクシー乗り場に行くと珍しいことに100mくらいタクシー待ちの行列ができていた。
スーツケースを持った家族連れが目立つ。
(ゴールデンウイークで里帰りや大阪に遊びに来ているのだな)と実感する。
目の前の温度計の電光掲示板を見ると21℃である。
初夏がやってきており、過ごしやすい季節である。
私のゴールデンウイークの計画は5/1~5/3沖縄に行く。
あとは大阪CMOにて出勤し、本の整理と資料作成をする。
これから読むべき本のリストも作る。
ゴールデンウイークが終わるといよいよ真夏の足音が聞こえてくる。
2022年も折り返しとなる。
一日一日が矢の如しである。
今のところ健康であり、体重も増えていない。
血糖値も血圧も正常である。
ゴールデンウイーク中はいつもより歩きたい。
一日20,000歩はいきたい。
明日の希望を胸に歩く。
心のストレスや憂いが晴れてくるだろう。
ストレスは仕事のプレッシャーであり、
憂いは(これから先どうなるのか)といった漠然とした不安である。
私のゴールデンウイークは1日20,000歩を歩く一週間にする。
[2022/4/27] 川﨑依邦の日々 [あちこち人生]
4月27日(水)19,560歩、歩行距離 16.6㎞。禁酒721日目。曇り。
5:00過ぎ 公園4周。曇りで小雨がぱらつく。
7:00~11:00 大阪CMO内務
11:00 大阪CMOにてA社長と面談。給与についての相談。
15:00 B社 「働き方改革」への対応策についてミーティング。
大阪駅からJR新快速にて明石へ。
山陽電車にて明石から姫路方面に行く。
1時間半かかる。
JRの電車内では約40分ウトウトする。
山陽電車では約50分読書をする。
あちこちに行く。
人生は旅である。
18歳までは広島で過ごす。
それから概ね東京暮らし。
27歳の時に徳島へ行く。
そして30歳を過ぎてから大阪へ。
そこから経営コンサルタント人生がスタートする。
全国47都道府県の内、秋田と山形だけは行っていない。
北は北海道から南は沖縄まで旅をしてきた。
韓国へは2年ばかり月2回のペースで仕事のため行っていた。
いろいろな風景と人に巡り合ってきた。
生きているといろいろな事がある。
それぞれの場所で一人一人懸命に生きている。
これからもあちこち人生は続く。
[2022/4/26] 川﨑依邦の日々 [あとひと踏ん張り]
4月26日(火)19,160歩、歩行距離 16.4㎞。禁酒720日目。曇り、小雨。
5:00 公園4周
7:30~8:30 大阪CMOにて内務。
9:00 A社 資金繰りチェック。
11:00 B社長と面談
14:00 銀行の担当者と面談。
18:00 C社長と会食。
途中電話にてD社の労務相談の対応をする。
B社長は80歳を超えている。
暑い日も寒い日もきちんとネクタイをしている。
月一回ペースで15年以上にわたって経営相談をしている。
ここ最近のテーマは「事業承継」である。
B社長は元気に経営者の責任をしっかりと担っている。
とは言っても確実に体力は弱ってくる。
B社長云く「まだまだこれから。あとひと踏ん張りですよ」
「そうですよ、あとひと踏ん張りしてください」
〝あとひと踏ん張り″いい言葉である。
くじけそうになったり、もうダメだと思っていても
〝あとひと踏ん張り″と言い聞かせる。
4月24日北海道・知床の事故で乗客の一人が妻に電話したとの事である。
「船が沈みそうです。今までありがとう」と最後の電話で妻に感謝を伝えた。
沈んでいく船の中で妻に電話で感謝の気持ちを伝えることが
〝あとひと踏ん張り″であったと思う。
人生は何があるか分からない。
それこそ一寸先は闇である。
だからこそ〝あとひと踏ん張り″と自らに言い聞かせて行けるところまで行く。
気がつけば1988年にCMOを創設してから34年が経った。
これからも〝あとひと踏ん張り″で生きていく。
[2022/4/25] 川﨑依邦の日々 [がむしゃらに生きる]
4月25日(月)21,462歩、歩行距離 17.9㎞。禁酒719日目。晴れ、曇り。
5:00過ぎ 公園4周
7:30 社長と早朝ミーティング
10:00 A社 ミーティング
14:00 B社 幹部会
「浮浪児1945―戦争が生んだ子供たち」(石井光太)を完読する。
1945年3月10日の東京大空襲、敗戦、戦後の混乱の中、
上野の地下道で暮らす約3万人とも言われる浮浪児の壮絶サバイバルの実話である。
家もなければ食べ物もない。
物乞い、窃盗、スリ・・・生きるためにあらゆる事をする。
年齢は10~12才くらい。
野良犬を殺して食べることもある。
浮浪児のその後も取材している。
概ね80歳くらいになっている。
億万長者になった人もいれば生活保護を受ける人、
死刑囚になった人もいる。
生き抜くうえで大切なものは「がむしゃら」であると多くの元浮浪児は言っている。
とにかく生きる。
「がむしゃら」に生きる。
作者の石井光太のあとがきにて
「裸一貫で子供たちが上野の地下道や闇市を生き抜いて
今という時代を作り上げる事ができたならば
自分たちだって困難を乗り越えて未来をつくる可能性を持っているはずだ。
そう考えると人生の先達に励まされ背中を押してもらえるような気持ちになれるのだ。
そうやって人生を一歩ずつ着実に進んでいった先に
自分たちなりの幸せを見出すことができるのではないかと思っている。
そして50年、60年経った時初めて私たちもまた若い世代の人たちから
『がむしゃらに生きた』と言ってもらえるようになるのではないだろうか」
マスクの時代「がむしゃらに生きる」と心に言い聞かせた。
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