[2022/4/12] 川﨑依邦の日々 [アル中の人]
4月12日(火)9,536歩、歩行距離6.8㎞。禁酒706日目。晴れ
6:00 始発の新幹線にて一路成田へ。
10:00過ぎ A社にて経営会議。テーマは給与改革。
16:00 東京CMOに着いてB社長と面談。
終了後新大阪へ戻る。21:00着。
酔いどれクライマー永田東一郎伝を読む。
東大のスキー山岳部で活躍し、エベレストのK7まで登頂する。
彼は強烈なアル中で46歳で死去。
父もまたアル中で56歳で逝っている。
父は家に酒が無くなると台所のみりんまで飲む。
息子の東一郎は「あんなふうになりたくない」と思った。
ところが彼もまたアル中になる。
毎晩ビールのロング缶5本、
それから一人で外に出て朝まで飲み続ける。
1991年頃は1か月の酒代が30万。妻とも離婚する。
東大時代の友人(大企業に勤めている)に借金を重ねる。
サラ金にも行く。そして46歳で逝く。
『「飲みに行く金もない」って言うから
「電車のある時間に帰ってきてね」
ってお金を渡しても朝まで飲んでくる。もう悔し泣きです。
どうして人のお金でそんなに飲めるんだって、
そのうちに言っても無駄だと悟りました。』
離婚した妻のセリフである。
「永田東一郎よ、そこまで飲み続けるのは何故か」
東大を出て建築家になって順調コースを歩んでいたのに・・・。
父と同じアル中になるなんて・・・。
それにしても酒は怖い。私は2020年5月7日から禁酒している。
別にアル中ではなかったと思っている。
それでも酒に酔って2019年10月21日は雨の中、
公園で自転車から転げて腰を強打し圧迫骨折をした。
その時かかった整形外科のドクターに
「あなたの寿命は何かの事故で尽きるかもしれないよ。
何も病気であの世に行くばかりではないよ」と脅かされた。
それ以来ドクターのセリフが頭の片隅に残っている。
そして6か月後の2020年5月7日に禁酒した。
永田東一郎が飲み続ける訳は人生の友が酒しかなく、
孤独な性格であったからだと思う。アルコール依存症は怖い。
[2022/4/9] 川﨑依邦の日々 [映画タイム]
4月9日(土)14,557歩、歩行距離13.4㎞。禁酒703日目。晴れ
5:00 近所の公園を4周、60分。9km。 8:00 CMOの役員会―3月の経営実績のチェックと4月の見直し等。 10:00 CMOグループのテレビ会議。 東京、名古屋、大阪を繋ぐ。9社のメンバー集結。 昼からは1時間ばかり自宅で昼寝。 15:00過ぎ風呂屋に行く。 いつものパターンで牛乳を1本(120円)飲んで新聞、週刊誌を読む。 そのあと古本屋に行く。 50円の文庫本3冊と100円の本2冊を購入、計350円。 夕方は録画してあった映画2本を観る。約4時間。 「我が人生最良の時」とあと1本の題名は忘れた。 いずれもアメリカ映画。 「我が人生最良の時」は日本と戦った3人の太平洋戦争帰りの復員兵の物語。 1人は義手になっている。 義手のトラウマ、コンプレックスを乗り越えて恋人と結婚する。 =「我が人生最良の時」 もう1人は妻と別れて別の女性と恋を実らせていく。 =「我が人生最良の時」 あと1人は銀行の副頭取になって名スピーチをする。 =「我が人生最良の時」 結婚や恋を実らせたり、復帰祝いでの名スピーチが 果たして我が人生最良の時であろうか。 確かに、幸福の一瞬ではあるが、いつまでも幸せが続くものではない。 「良いことは悪い事の始まり、悪いことは良い事の始まり」 人生は最良もあればどん底もある。 それより私の心に残ったのは、復員兵としての心の揺れである。 3人とも良い役者で、戦争のトラウマを上手く演じていた。 アメリカ映画にしては心を描いている。名演技である。 もう一つの題の忘れた映画は一種のコメディである。 4~5人のチームを作って博物館から高い宝石を盗む物語である。 夕方は映画タイムであった。コロナ前は映画館によく行っていた。 コロナの中で足が遠のいたのである。 それでも映画タイムは時々必要だ。 先日アカデミー賞を受賞した日本映画も是非観たいものである。
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[2022/4/8] 川﨑依邦の日々 [ウトウトタイム]
4月8日(金)23,442歩、歩行距離19.6㎞。禁酒702日目。晴れ
5:00 公園4周。ゆっくり走ったので68分かかる。
7:30 大阪CMOにて内務。その後名古屋に向かう。
10:00 A社長と面談。
13:00 B社の幹部ミーティング。終了後大阪に帰る。
17:00 CMO大阪にてC社長夫婦と無料経営相談である。
ここのところ晴天が続いている。
そのせいか新幹線の車中でも本を読みながら眠気に襲われる。
ついウトウトしている間に名古屋に着き、慌てて車外に出る。
ふと気づくと読みかけの「日本のリーダー第7巻」(TBSブリタニカ)が無い。
降りる時うっかり車内に置き忘れてしまったのである。
半分くらい読んでいたので心残りである。
全15巻買ってある。その内1冊が無くなったのである。
ウトウトするのは春の陽気のせいばかりではなさそうである。
夜テレビを見ていても、いつの間にか目を瞑り
ハッと気づくことがしばしある。
時間にして30分ばかりのウトウトタイムである。
置き忘れた本はアマゾンで注文することにした。
心残りだからである。それにしてもウトウトするのは悪い事でない。
人生至る所でウトウトすることがある。
一種の癒しタイムである。
[2022/4/7] 川﨑依邦の日々 [晴れた空]
4月7日(木)14,151歩、歩行距離10.4㎞。禁酒701日目。晴れ
5:30 東京CMO出社。
9:30 A社にて打ち合わせ。
その後A社長と一緒に銀行へ行く。
JRに乗り換えて東京駅へ。
東京→新大阪16:00着。
16:30久しぶりに大阪CMOに立ち寄る。
年間100冊目標の読書もただいま34冊読了。
順調である。現在読んでいる本は「身分帳」(佐木隆三)。
人生の大半を獄中で暮らした男の物語である。
それと「日本のリーダー第7巻」、15巻の内7巻まできた。
本日(4/7)完読したのは「晴れた空」上、下(半村良)。
分厚い本である。戦災孤児8人の主人公が
昭和20年3月10日の東京大空襲から
上野の地下街に辿り着いて戦後を生き抜いた物語である。
昭和40年頃までの時代を描いている。
8人の主人公は立派に生き抜いた。
ラストでハワイのワイキキに旅行する。
憧れのハワイ航路の歌のようにハワイの空は真っ青である。
本の題名の「晴れた空」そのものである。
ラストのワイキキの状況は細部までよく書き込んである。
昭和40年(1965年)頃、既にロイヤルハワイアンショッピングセンターや
出来たばかりのアラモアナショッピングセンターがあった。
8人が泊ったホテルはモアナサーフライダーである。
ダイヤモンドヘッドもよく見える。
「晴れた空」は8人の戦災孤児の生き抜いた証の物語である。
本日の東京の空も「晴れた空」であった。
とはいっても心まで晴れとはいかない。
心の中まで真っ青な空になることを祈っている。
ハワイのワイキキの「晴れた空」を見上げたいものである。
[2022/4/6] 川﨑依邦の日々 [人それぞれ]
4月6日(水)12,202歩、歩行距離9㎞。禁酒700日目。曇り、晴れ
5:30東京CMO出社、内務。
10:00 A社にて経営会議。
14:00 B社にて打合せ。
いずれも80歳を超えた経営者の話である。
仮にC社長、時々ぼけている。
夕方になると「ここはどこだ、早く家に帰る」
と自宅に帰っているのに発言するのである。
ところが、社員のドライバーに会うと
「元気でやっているか」と全く普通に会話をするとのこと。
週2回デイケアに行っている。
行ってもすることが無いのでデイケアを嫌がる。
同じぼけでも、おばあさんたちは噛み合っていないとはいえ
他愛のない会話を楽しむ。
ところがC社長は輪の中に入っていけないのである。
ただしカラオケタイムになるとマイクを握るらしい。
一方D社長、一言でいうと元気である。
今でもハンドルを握って長距離に行く。
並みのドライバーより運転が上手いとのこと。
車のメカに詳しく自分で大抵のことは直している。
茶飲み話をするガールフレンドもいる(奥さんはいなくなっている)。
人それぞれである。
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