[2022/6/4] 川﨑依邦の日々 [心残り]
6月4日(土)11,292歩、歩行距離 8.2㎞。禁酒759目。曇り、晴れ。
早朝5:00過ぎ 館林駅前を散歩する。
近くのお寺に行く。
ここに私の学生時代の友人の墓がある。
(2014年12月65歳にて死去)
墓を探したが分からなかったので本堂に向かって手を合わせる。
18歳で上京して三畳の下宿先の隣に彼がいた。
それ以来の親友である。
肺癌で亡くなった。
死去する前の2014年8月にお見舞いに行った。
まさか死ぬとは思わず2時間ばかり気楽に会話した。
もう少しじっくりと彼の話を聞けばよかった。
彼は自分の息子のことを心配していた。
「俺の息子が生活に困らないようにもう少しお金を貯めておけばよかったよ」
彼の息子は大学院を出てフリーターをしていた。
彼は息子の為にお金を貯めようとして60歳で定年退職後
デイトレードで毎日株の取引をしていた。
損はしなかったがお金はたいして貯まらなかったと言っていた。
彼との会話で自分の息子の話がでたのはこの時が初めてであった。
心残りであったと思う。
思えば人生で心残りでないことがあろうか。
人はこの世に心を残す。
無念の想いや果たすことのできなかった夢のこと等、
心を残して旅立って行く。
ウロウロとお寺の墓を歩き回って彼の墓を探したが、
見つからず結局諦めた。
それでも手を合わすことが出来てよかった。
18:00より大阪にてCMOグループA社の
「がんばろう、決起大会」と題する懇親会に出る。
[2022/6/3] 川﨑依邦の日々 [くずかごの中の詩(うた)]
6月3日(金)13,587歩、歩行距離 10㎞。禁酒758目。曇り。
5:00~6:30 東京CMOにて内務。
10:00 埼玉県にてA社長と会談。
12:00 会談終了後JR埼京線と武蔵野線、
更に東武伊勢崎線を乗り継いで群馬県まで行く。
14:00 B社長と合流し経営相談をする。
昨日(6/2)は久しぶりに1971年頃の古い友人に会ったのでその余韻が残る。
それぞれ前を向いて生きている。
一人はコロナで外出もままならないので
自宅でマシンを使って毎日6,000歩のウォーキングをしている。
もう一人は大病を克服して水中ウォーキングをしている
・・・それぞれ今日一日を精一杯生きている。
車中で「くずかごの中の詩」(星野佳正・作)を読む。
作者は1943年生まれ、群馬県出身。
高校の先生(都立代々木高等学校の校長を務める)をしていた。
この本は古本屋で100円で購入した。
ふと本の奥付のページを見ると作者自筆のサインがある。
「私、あの『ちゃんと向き合って話すという言葉が好きなの』
と言われて私も思い出しました。こんな詩です・・・」
と〇〇様―とサインしてある。
ここまで丁寧に自筆でサインしてある本は珍しい。
花「おおい花よ
いつも上ばかり見ていないで
たまには下も
見てみろよ
下から生えてきたんだから」
この「花」の詩はくずかごの中に捨ててあった生徒の詩である。
都立代々木高等学校は進学校ではなく朝、昼、夜の三部制の定時制高校である。
くずかごに捨ててあった生徒の詩を拾い上げて一つの本にしている。
昨日1971年頃の友人に会った余韻の中で詩を読む。
「旅人から旅人へ
自分のために生きてくれ
強く鋭く生きてくれ
『君のために生きてくれ』」
くずかごに詩を捨てた生徒のものである。
彼は庭田忠正、都立代々木高等学校定時制4年生の時の作である。
館林のビジネスホテル泊。
[2022/6/2] 川﨑依邦の日々 [明日からも生きていきます]
6月2日(木)11,568歩、歩行距離 8.4㎞。禁酒757目。晴れ、曇り。
5:00大阪CMOに出社。
関東出張の準備をする。
6:24発の新幹線にて東京へ行き、
一路埼玉県を目指す。
10:00 A社長と合流し車内で打合せをして取引銀行へ行く。
A社の「経営改善計画」について説明する。
14:00 新宿の豪華なホテルの20階にてアフタヌーンティーを楽しむ。
メンバーは1971年頃の学生時代の同期3人である。
17:00 東京駅にてこれまた6年振りぐらいにB君と会食をする。
20:00頃 古本屋に立ち寄ってから宿泊するワンルームマンションに辿り着く。
東京のマンション泊。
人生は右へ行くか左へ行くか、
まっすぐ行くか岐路に立つことがある。
その都度決断してそれぞれの道を行く。
時々あの時右ではなく左に行ったらどうなっていたか、
との思いに沈むこともある。
それでもこうして生きてきた。
1971年頃の友人に会うと吉田拓郎の
「わたしは今日まで生きてみました」のメロディが浮かぶ。
私は今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
「50年前早稲田大学にいた川﨑依邦さんですか」
ある人がCMOのホームページを見て尋ねてきた。
「老眼なのでスマホで拡大して写真を見ましたよ。
間違いなく川﨑君だと確信しましたよ」
「渋くてかっこいい男の人になっているねえ」
・・・1971年頃の友人それぞれも50年以上の風雪を耐えてきた。
「明日からも生きていきます」と励まし合った。
[2022/6/1] 川﨑依邦の日々 [『うつ』を防ぐ]
6月1日(水)18,347歩、歩行距離 15.4㎞。禁酒756目。晴れ。
5:00 公園4周、約60分。
8:00~12:00 大阪CMOにて内務。
内30分はCMOスタッフとミーティング。
14:00 大阪CMOにA社長夫婦が来社。
夕食は久しぶりにお好み焼き屋へ行った。
大阪の粉もん文化は健在である。
豚、エビ、イカのミックス焼きと
食後のデザートにはプリンを食す。
どちらも美味しかった。
私は食べることが楽しみの一つである。
心配事や辛い事、悲しい事があるとご飯が喉を通らないとよく言う。
ご飯をしっかり食べることは生きる上での基本である。
うつを防ぐ鉄則は生活のリズムを崩さないことである。
私は朝は4:00に起きて夜21時までに寝る。
朝起きると晃弘社長の写真に手を合わせ、
供えてある水を替える。
その後5分間ストレッチに腹筋30回と腕立て伏せ30回をする。
それから扇町公園で約60分間のウォーキング。
朝、昼、夕食はしっかり摂り、腹7分目にする。
こうした生活リズムがある限り「うつ」にはならないものである。
「うつ」は心の病である。
些細なきっかけで心が落ち込んで立ち直れなくなることもある。
生活リズムを堅持することである。
きっと心が晴れてくる瞬間がやってくる。
「何があっても大丈夫」と思えてくるものだ。
ふとした瞬間に晴れやかな気持ちになることもある。
目の前の一つ一つの事、生活リズムを崩さず乗り越えていこう。
その内良い事もある。
[2022/5/31] 川﨑依邦の日々 [『一人旅』と『同行二人』]
5月31日(火)6,883歩、歩行距離 4.8㎞。禁酒755目。曇り、時々小雨。6:00 新幹線にて東京へ。
東京駅で上越新幹線に乗り換えて高崎へ。 10:00 A社 経営ミーティング 高崎の空は曇り、雨模様であった。 2~3日前の猛暑はすっかり影を潜めている。 上越新幹線の中は金沢や富山の旅行ブックを手にした乗客でいっぱいであった。 その為私は珍しくいつもの指定席の窓側に座れず通路側の席である。 人の動きが本格化している。 あちこちに旅行する二人連れ、グループ、ツアー客と 続々新幹線のホームに姿を現している。 いよいよコロナ明けが近づいている。 A社ミーティングを終えて上越新幹線にて高崎から大宮へ。 更に京浜東北線と武蔵野線を乗り継いで東所沢へ。 13:30 B社 経営ミーティング ミーティング終了後東京駅へ。 18:00頃 新大阪駅着。 18:30 大阪CMO着。 私の移動は一人である。 孤独なものである。 この活動スタイルは自分に合っている。 旅から旅への「一人旅」である。 道中は本を読んだり時折り風景を観たり、 人の動きを見ている。 いつまで「一人旅」が続くのかとの感慨に耽ることもある。 故・晃弘社長(2016年2月13日突然死、34歳5ヶ月)のことも 常に頭にある。 「実に無念です」 「申し訳なかった」 との想いが頭を離れることはない。 ある人云く「戦死でしたね」。 志半ばに倒れた故・晃弘社長のことである。 戦死だとしたら死地に赴かせたのは誰か、私である。 故に「一人旅」だが 「同行二人」でもある。 一つ一つの仕事、 一つ一つの旅は 私にとって巡礼の日々でもある。 四国八十八ヶ所の巡礼旅の如く、 これからも「一人旅」そして「同行二人」で歩いていく。
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