CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2021/4/4]川﨑依邦の日々「つらくともしんどくとも努力は必ず報われる」

4月4日(日)13,477歩、歩行距離9.6㎞。禁酒333日目。曇り。

9:00~12:00 大阪CMOにて内務。

競泳の日本選手権にて江戸川区出身の池江璃花子さん(20歳)が

100mバタフライ(メドレーリレー)で東京オリンピックの代表に内定した。

「つらくても、しんどくても努力は必ず報われる。」

と勝利インタビューで涙ながら述べていた。

私は思わずじーんときた。

努力は必ず報われる。池江璃花子さんに教えられた。

努力し続けるというのが非凡である。

「コツコツやる」「諦めない」と強い気持ちでやり切るのが非凡である。

我々凡人は「やっても無駄」「もうあかん」とか言って努力し続けるのをやめる。

絶望のどん底(白血病)に沈んでもそこから立ち直っていく。

「なんとしても泳ぎたい。一番になりたい。」

という強い気持ちが努力のエネルギー源となったのである。

そして池江璃花子さんは「ただいま」と言って

100mバタフライの決勝にカムバックしてきたのである。

我々凡人は池江璃花子さんの爪の垢を煎じて飲みたいものである。

爪の垢を煎じて飲むとは

「格段にすぐれた人の爪の垢を薬として飲んでその人にあやかるように心がける。」

という意味である。

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| 投稿日: 2021年04月05日 | 投稿者: unityadmin

[2021/4/3]川﨑依邦の日々「父と子」

4月3日(土)13,823歩、歩行距離9.8㎞。禁酒332日目。曇り。

9:00~14:00 大阪CMOにて内務。

「事業承継アドバイザー」のテキストも読む。

今のところ、模擬テストにて合格ラインである60点は突破している。

試験日が5月16日なのでそれまでに合格ラインより

どれだけ点数を上積みできるかである。80点は取りたいものである。

田中邦衛が88歳で死去との報を聞く。

「北の国から」はよく見ていた。

「父と子」がテーマの昭和の良き時代の物語である。

田中邦衛演じる父親が子を想う気持ちに溢れていてよかった。

私も2人の子の父親として共感するところがあった。

田中邦衛演じる父親は言いたいことがあってもじっと我慢する。

それでも子を想う気持ちがひしひしと伝わる。

翻って私はじっと我慢することはできなかった。

むしろプレッシャーをかけていた。

子の将来に期待する気持ちがプレッシャーになっていたと思う。

「後ろ姿で生き方を子に教える」というよりは強圧的であった。

…それでも子を想う気持ちは田中邦衛の父と一緒である。

反対に私の父は「こうしろ、ああしろ」などと指図することがなかった。

進路についても好きにさせてくれた。

私の父はいつも「頑張れよ」と声を掛けてくれた。

なかなか父の期待に応えることはできなかった。

田中邦衛の死去の報を聞いて「父と子」について感慨にふけった。

父の愛情は母のそれとは趣が違う。

それでも我が子に対する父と母の愛情は深いものである。

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| 投稿日: 2021年04月05日 | 投稿者: unityadmin

[2021/4/2]川﨑依邦の日々「M&Aは茨の道」

4月2日(金)11,200歩、歩行距離8.2㎞。禁酒331日目。曇り。

A社。次いでA社の営業所を回る。

各営業所は配車係他数人の内勤者である。

A社長は約15年前のM&Aにてこの会社の経営権を取得する。

M&Aはする前よりした後の苦労の方が遥かに大きいものである。

私も初めて運送業の経営を2007年11月名古屋にて

スタートしたときのことを思い出した。

長男晃弘社長(当時26歳)が乗り込んだ。

当時のドライバーは約15人ばかりである。

スタートしてこれまで色々なことがあった。

この激闘は今でも私の心に深く刻まれている。

M&Aはする前よりもした後の方が遥かに茨の道である。

シーエムオーグループの実働部隊は

2021年3月末で車両236台、ドライバー219名になっている。

これからも茨の道を進む。

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| 投稿日: 2021年04月05日 | 投稿者: unityadmin

[2021/4/1]川﨑依邦の日々「人生には無数のイフがある」

4月1日(木)10,553歩、歩行距離7.6㎞。禁酒330日目。晴れ時々曇り。

10:00 A社。

14:00 B社。

18:00 東京駅にて専務と合流。

いつも思うことがある。

「人生には無数のイフがある。」

イフとは「もし」のことで、あの時「もし」こうしていれば…どうなっていたか。

右か左かの選択で右へ行く。

もし左に行っていたらどうなっていたか。

私も忘れられないイフがいくつもある。

その一つは18歳の時広島から東京の大学へ行ったこと。

あの時広島にとどまっていたらどうなっていたか。

そして、東京の大学を卒業して就職で徳島に行ったこと。

あの時東京に残っていたらどうなっていたか。

東北大震災から10年ということでいろいろなテレビ番組を見る。

無数のイフがある。

「もしあの時こうしていれば。」

…被災して東北にとどまらず東京や各地に出ていった人の

「もし東北に残っていたらどうなっていたか。」

人生の分岐点にてある人は右へ、別の人は左へと行く。

選んだ道は基本的には戻れない。

戻りたくても戻れない。

18歳で上京して、3畳の下宿先で加藤登紀子の歌を

「淋しかったら 帰っておいでと 手紙をくれた 母さん元気

帰りたい帰れない… 帰りたい帰れない

もしも 手紙を書きたくなっても 僕は書かない 母さん

呼んでも答えぬ 人波にもまれて まいごの小犬は ひとりでないた

帰りたい 帰れない… 帰りたい 帰れない」

と一人で口ずさんだものである。

東北の被災者達の中にも帰りたくても帰れない人もいると思う。

それぞれ日々耐えていることだろう。

それでも選んだ道である。

私もこうしていればとかあの時右へ行っていたらとか、

無数の後悔や無念さを抱えている。

それが人生である。

行くしかない。

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| 投稿日: 2021年04月05日 | 投稿者: unityadmin

[2021/3/31]川﨑依邦の日々「それぞれの花見客」

3月31日(水)21,277歩、歩行距離15.6㎞。禁酒329日目。晴れ。

13:00 A社。

16:00 大阪CMOにてB社。

いよいよ3月も終了である。

「1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。」

待ちに待った春である。大阪の桜も満開である。

6:00過ぎに近くの公園をスロージョギングしていると花見客を見かける。

若い男女10人ばかりが集まって大きな声を出して騒いでいる。

おそらく近くの飲み屋(ホスト店あるいはガールズバー)から

ふらふらと公園にたどり着いたのだと思われる。

早朝の花見客である。

昼頃はこれまた若いグループや小さな子ども連れがシートを敷いて花見客である。

よちよち歩きの小さな子どもが桜の木の下で遊んでいる。

19:00になっても会社帰りらしき人が花見客である。

缶ビール片手にふらふら歩いている。

朝、昼、夜とそれぞれの花見客である。

思わず「人生に幸あれ。」と呟いた。

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| 投稿日: 2021年04月05日 | 投稿者: unityadmin