2022/12/25川﨑依邦の日々「家族経営」
12月25日(日)17,004歩、歩行距離11.6㎞。ウォーキング67分。曇り、晴れ。
7:00 公園4周。
67分。
10:00~13:00 大阪CMOにて内務。
新事務所の補修工事をしていた。
職人が3人いた。
職人の親方夫婦もいた。
仕事をしながら夫婦喧嘩をしていた。
親方が「この道具がない」と言って奥さんを叱っていた。
はたから見るといささか微笑ましくある。
日曜日なのにお仕事ご苦労様です。
家族経営である。
心の中で「仲良く頑張って下さい」とつぶやいた。
2022/12/24川﨑依邦の日々「2023年は希望の年でありますように」
12月24日(土)15,013歩、歩行距離9.7㎞。ウォーキング69分。晴れ、曇り。
7:00過ぎ 久しぶりに公園のウォーキングに行く。
4周。
69分。
「久しぶりですね」と道行く顔見知りのおばさんに声を掛けられる。
空を見ると一点の曇りもなく青い空が広がっている。
大阪は小春日和である。
10:00~13:00 大阪CMOにて内務。
15:00過ぎ いつものクラブ温泉(風呂屋)に行く。
オロナミンC1本と牛乳1本を飲む。
「冬があり 夏があり
昼と 夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が
咲くように
悲しみも
苦しみもあって
私が私になってゆく」(「悲しみの意味」⦅サフラン⦆2002年)
星野富弘さんの詩である。
1946年生まれ。
1970年頸髄を損傷し手足の自由を失う。
1972年から口に筆をくわえて文や絵を描き始める。
絶望を生きる希望に転化している詩である。
どんなことがあっても生きていかねばならない。
……〝2023年は希望の年でありますように〟心の中で祈りの手を合わせている。
2022/12/23川﨑依邦の日々「雪が降る」
12月23日(金)15,731歩、歩行距離11.1㎞。曇り。
7:30 大阪の新事務所に出社。
9:00まで内務。
9:30 A社(東大阪市)に行く。
A社長と資金繰りについて打合わせ。
その後一緒に年金事務所に行く。
13:00 大阪CMOにてB社経営会議。
30分で退席し一路姫路市に行く。
15:30 姫路市C社着。
途中大阪、兵庫と雪が降る。
歩いていて頬が千切れる様である。
空はどんよりとしてパラパラと白いものが降りてくる。
雪である。
ホワイトクリスマスである。
17:00 C社の会議終了。
一路大阪の梅田へ戻る。
18:30頃着く。
「ホワイトクリスマスがやってきた」と車中で明石の海を舞い散る雪を見て物思いにふける。
海に降る雪は積もることはない。
しんしんと降って消えていく。
儚い。
それでも美しい。
新潟では大雪で車が何十台も立ち止まっているらしい。
「トラックの運転手さんも大変だなあ」生きていく事は辛いことでもある。
大阪の梅田に戻ってみると人混みで溢れていた。
どこからともなくジングルベルのメロディが聞こえてくる。
もう今年もあとわずかである。
来年は良い年でありますようにと降る雪に祈りを込めた。
2022/12/22川﨑依邦の日々「寒い1日」
12月22日(木)11,243歩、歩行距離7.8㎞。雨のち曇り、そして晴れ。
5:30~6:30 東京CMO出社。
内務。
9:00 所沢市A社ミーティング。
給与について打合わせ。
13:00 千葉市B社経営改善の進捗チェック。
2023年は待ったなしである。
生き残りをかけていく。
終了後一路新大阪へ。
18:00着。
午前中は雨が降りしきる。
冷たい雨である。
午後になると雨が上がる。
名古屋辺りは青い空。
大阪に着くと星が見える。
目まぐるしい天気の1日。
そして寒い1日。
2022/12/21川﨑依邦の日々「復活する日」
12月21日(水)11,807歩、歩行距離8.2㎞。曇り、晴れ。
終日関東にて活動する。
5:30~ 6:30 東京事務所にて内務。
東京マンションからテクテク歩いて東京事務所に行く。
まだ暗い道である。
交通信号の明かりが行く手を示す暗さである。
寒い朝である。
手袋をして歩いている。
10:00 足利市に着く。
渡良瀬川が流れている。
静かなこれと言って目立つものはない。
人口減少が続く地方都市である。
10:30~12:00 A社にてミーティング。
終了後12:39発足利市駅からりょうもう号で東武動物公園へ。
それから急行に乗り換えて春日部へ。
更に東武アーバンパークラインにて梅郷へ。
14:00過ぎになる。
それから車でB社に行く。
14:30 B社ミーティング。
ミーティング終了後、B社スタッフと給与について個人面談をする。
18:00頃 とぼとぼ東京マンションに辿り着く。
20:00過ぎ ベッドに入る。
ふと車中で他人が手にしていたスポーツ新聞に大きく「武道館公演、永ちゃん当日中止」とある。
矢沢永吉は73歳、広島出身。
心ひそかに「永ちゃんは頑張っているな」と励まされてきた。
私も73歳、広島出身で一ファンである。
ボーカルとして1番大事な喉の不調の為中止との事。
21日で150回という前人未到の記録を打ち立てるはずだった。
永ちゃんも無念の事であろう。
しかし必ず復活すると信じている。
私も帯状疱疹に痛めつけられている。
本日は拡大鏡を購入した。
右目の霞みも取れてきた。
心なしか右頭の痛みも薄らいでいるような気がする。
私も帯状疱疹の不調から復活する。
日々コツコツ活動する。
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