2022/10/19川﨑依邦の日々「ヒレカツ定食」
10月19日(水)15,353歩、歩行距離10.8㎞。晴れ。
5 :00 公園4周。61分。
7 :00~8:00 大阪CMO内務。
10:00 名古屋市A社ミーティング。
14:00 名古屋物流経営講座開催。
コロナ禍で中断したセミナーを復活する。
16:00 名古屋市B社長と打合わせ。
秋は深まっている。
晴天、秋晴れである。
昼食は名古屋駅前の大名古屋ビルにて食す。
ヒレカツ定食とする。
ヒレカツ100gである。
柔らかく美味であった。
デザートにシャーベットが出てきた。
価格は2,640円(税込み)。
カウンター席である。
隣もその隣も女性1人であった。
ヘルシーではあるがいつものトンカツ屋と比して2倍は高い。
この高いトンカツを昼時に女性(しかも若い。30~40代か?)1人で食すとは名古屋も懐深い。
2022/10/18川﨑依邦の日々「新幹線ベッド」
10月18日(火)12,347歩、歩行距離8.9㎞。曇り、小雨。
5 :30 東京CMO出社。
内務をする。
7:00前に事務所を出発。
10:00 茨城県A社。
15:00 埼玉県B社。
会議終了後中華料理店にてたっぷりとした食事。
19:48発にて新大阪に向かう。
22:15着。
新大阪止まりの新幹線である。
新大阪についても寝ていたので肩をポンポンと叩かれて新幹線の係の人に起こされる。
車外に出ても外へ出れないように既に仕切りがある。
「どうする」と思っていると仕切りがスーッと開く。
寝過ごしても心配無いと安心して眠りについた。
新幹線の係の人に起こされるほどよく寝た。
正に「新幹線ベッド」である。
「新幹線ベッド」の中で見た夢は電車に乗り遅れて
「困った、困った」どうして帰ろうかと途方に暮れている夢である。
肩を揺り起こされてここはどこかと一瞬ウロウロした。
「あ、新大阪に着いた」と思ってホッとした。
2022/10/17川﨑依邦の日々「いつまでマスクをするのだろうか」
10月17日(月)8,630歩、歩行距離6.2㎞。晴れ、曇り。
関東出張(1泊2日コース)。
東京マンション泊である。
A社(埼玉県) 10:00~13:00
B社(神奈川県) 15:00~17:00
いつまでマスクをするのだろうか。
外で歩く人もほとんどマスクをしている。
室内でも2m離れているのにマスクをしている。
私としてはマスクをしている人との会話(コミュニケーション)では表情が読みづらい。
たまにマスクを外す人を見て「こんな感じの人だったか」と納得する。
声と表情、仕草の全体印象がどうもマスクだと分かりづらい。
「目は口ほどにものをいう」とも言うが、どうも目だけでは全体像を掴みにくい。
目力のある人もいるが、大概は表情を読みにくい。
本日(10/17)朝5:30タクシーに乗って新大阪に向かう時、外は真っ暗である。
それでも道行く人はマスクをして歩いていた。
人通りのない早朝を白いマスクが歩いている。
いつまでマスクをするのだろうか。
ひょっとすると永久かもしれない。
2022.10.15川﨑依邦の日々「一番の薬」
10月15日(土)15,017歩、歩行距離10.1㎞。水中ウォーク60分(59回目)。晴れ。
7 :00過ぎ 公園4周。
約65分。
9 :00~13:00 大阪CMOにて内務。
CMOの経営方針発表会の準備をする。
13:00過ぎ プールに行く。
水中ウォーク60分。
59回目である。
それから15:00オープンの一番風呂に行く。
この日は70歳以上の老人は100円となるサービスデーである。
いつもながらゆったりしたお湯にドボンと浸かる。
2人連れの老人(70歳は過ぎている)が風呂の中で会話している。
「わしも情けない。この前外出してマスクをしてないと思って家に引き返したよ。
家に帰って鏡を見ると顎にマスクをしていたよ。」
「わしはもっと情けない。目薬を差そうとしたら眼鏡をしているのに差してしまったよ。」
「アッハハ」
と楽しそうにする2人の老人。
2人とも今飲んでいる薬の事も言い合っていた。
「わしは6錠よ。高血圧と糖尿病と血液をサラサラにするやつよ」
「わしもそれぐらい飲んでいる。いつも飲むのを忘れているよ。」
「アッハハ」。
大阪漫才を聞いているようである。
そして一致する。
「こうして熱い風呂に入るのが一番の薬よ。」
2022.10.14川﨑依邦の日々「従兄弟の死」
10月14日(金)8,980歩、歩行距離6.5㎞。晴れ。
広島の朝は快晴です。
9:00 広島市A社にて会議。
その後A社の取引銀行3社を回る。
15:00過ぎに従兄弟のBさんの家に行く。
Bさんは75歳にて9月23日死去。
仏壇に手を合わせる。一緒に行ったのは1歳違いの私の弟と1つ上の従兄弟の2人である。
家族葬でのBさんの長男(喪主)の挨拶文を読む。
18歳にて家業を継いでスーパーマーケット、コンビニ店そして不動産業と働き続けた。
全力を尽くして生き抜いたと記してある。
亡くなる2週間前までは仕事をし入院して自宅にてすべての家族に囲まれて旅立っていったとのこと。
亡くなる前に「ビールをジョッキでくれ」と長男に頼んだ。
ジョッキにストローを入れておいしそうにすすった。
それからフーっと息を引き取った。
「父親の人生は幸せだったと思いますよ。」Bさんの長男の言である。
Bさんの奥さんは「淋しいです」。
私とは2016年2月16日の長男晃弘の葬儀にてお会いしたのが生前の最後だった。
その時はBさんはしこたまビールを飲んで「依邦しっかりせえよ」と励ましてくれた。
18:00 新大阪駅に帰り着く。
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