2022/12/30川﨑依邦の日々「生きる事そのものが仕事」
12月30日(金)12,775歩、歩行距離9.2㎞。ウォーキング64分。曇り、晴れ。
10:00~13:00 大阪CMO出社。
その後13:00過ぎにいつもの散髪屋に行く。
初めは息子さんが担当する。
「親父はこの1年人工透析です。今日も人工透析に行っています。体がしんどいと言っています」
すると親父(90歳)が病院から帰ってくる。
「今年もお世話になりました」と互いに言葉を交わす。
息子に代わって親父が担当する。
「しんどいのに申し訳ないですね。ありがとうございます」
親父云く「生きてる限りは現場に立ち続けますよ」いつも通り丁寧な仕事ぶりである。
職業とは何か。
ここまで来ると生きていることそのものが職業=仕事であると親父を見て感心する。
夕方は録画してあるドキュメント72時間「看護専門学校ナイチンゲールに憧れて」を見る。
30代40代の人が看護師を目指している。
一旦別の仕事に就職して「やっぱり看護師になりたい」とチャレンジしている人もいる。
それぞれの生き様に「いくつになってもやりたいと思えることにやり直せる」と気付かされる。
散髪屋の親父(90歳)の人生ははさみ一筋。
ナイチンゲールを目指す人は夢を持って生きている。
生きる事そのものが仕事であると言えるような人生を歩み通したい。
2022/12/29川﨑依邦の日々「広島出張」
12月29日(木)18,594歩、歩行距離12.8㎞。ウォーキング68分。曇り、晴れ。
4:30 公園4周。68分。
7:00 大阪CMO出社。
広島出張の準備をする。
8:00過ぎ 新大阪→広島の山陽新幹線に乗る。
指定席が取れない。
自由席も超満員。
新大阪→岡山までは通路で立つ。
運良く岡山→広島までは座れた。
帰省客のラッシュに巻き込まれた。
10:00 広島にてA社長と面談。
経営改善と給与改革がテーマである。
11:00 A社にて幹部ミーティング。
13:00 ドライバーの全体会議に出席。
15:00 A社の取引銀行に行く。
帰り広島→新大阪は自由席でも座れた。
2022/12/28川﨑依邦の日々「帰りたい場所」
12月28日(水)6,813歩、歩行距離4.8㎞。曇り、晴れ。
関東日帰り出張。
10:00 群馬県高崎市A社にて役員会議。
13:00過ぎ 埼玉県草加市にてB社ミーティング。
帰りは17:00の新幹線にて東京→新大阪へ。19:30着。
車中では帰省客の家族連れで賑やかである。
それぞれ「帰りたい場所」がある。
「帰りたい場所」は故郷であったり人それぞれの地である。
私は今住んで生活しているところが「故郷」みたいなものである。
心の中に「故郷」がある。
出身地広島を18歳で旅立ってから生々流転。
あちこちと流れ流れてきた。
そして「今」がある。
特に「帰りたい場所」はない。
今住んでいるところが故郷であり帰る場所である。
2022/12/27川﨑依邦の日々「とんぼ返り」
12月27日(火)7,762歩、歩行距離5.6㎞。曇り、晴れ。
7:50発のフライトにて秋田出張。
秋田空港から能代まで行く。
10:30~12:30 A社にて会議。
給与改革とマネジメントの確立がテーマである。
秋田は雪が残っている。
珍しく昼頃からは太陽がはっきりと顔を出した。
「いつもはどんよりした日々が続いて憂鬱になりますが、珍しいですよ」とA社スタッフの言。
ポカポカとしている。
雪国のイメージはない。
14:55にて伊丹空港へとんぼ返りする。
16:20着。
本日はとんぼ返りの出張であった。
2022/12/26川﨑依邦の日々「師走」
12月26日(月)19,785歩、歩行距離14.1㎞。ウォーキング66分。曇り、晴れ。
4:30過ぎ 公園4周。66分。
7:30~8:30 健志社長とミーティング。
9:30 門真市A社役員会議。
13:00 京都市B社経営会議。
16:00 大阪CMOにて取引銀行と面談。
17:00 大阪CMOにてC社スタッフと給与改革について打合わせ。
2022年も残りわずか。
師走である。
新年を迎える準備があちこちで始まっている 。
何とか無事に2023年の新年を迎えたいものである。
明日(12/27)から12/29はあちこちに仕事で行く。
帯状疱疹の顔の右側のブツブツは峠を越した。
それでも右目は軽い斜視となり右の頭もズキズキと痛い。
切実に辛い。
つくづく人生は順調の日々だけではない。
辛い事もある。
それでも今年も残りわずか。
2022年を越えていく。
生きてる限りは前へ向かって進む事である。
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