2024/2/4~5 川﨑依邦の日々「なるようになる」
2月4日(日)~2月5日(月)
1.2月4日は日曜日であった。
午後1人で近所の小さな公園に行った。
ベンチに腰掛けて佇んだ。
幼児がパパやママと一緒に10人ばかりたむろしていた。
じっと見つめていると、かつての自分を思い出す。
脳梗塞発症前はよく孫たちと駆け回ったものだが、
今はこうしてベンチに腰掛けて佇んでいる。
「なるようになる」と1人呟く。
2.2月5日(月)朝は、大阪シーエムオーにいく時に雨合羽を着た。
大阪は雨。〝雨にも負けず〟の宮沢賢治の詩が浮かぶ。
10時より銀行と打合せ。
14時よりA社経営相談。
過ぎ去った過去を振り返ることなく今を生きる。
「なるようになる」
2024/2/3 川﨑依邦の日々「節分」
2月3日(土)
8時よりシーエムオーグループの役員会。
10時よりシーエムオーグループの各拠点をオンラインで結んでの幹部会議。
本日は節分の日。
今年は、東北東のやや東に向いて恵方巻きを食べると良い事があるらしい。
とは言っても能登の地震、津波では連日寒空で生き抜こうとする人々がいる。
一気に家族全員(妻、子2人)死んでしまい、自分1人(夫)残された人もいる。
言葉では言い表せない。悲しみに満ちている。
それでも節分がやってくる。
2024/2/2 川﨑依邦の日々「涙の河を渡る」
2月2日(金)
本日は9時より訪問リハビリがあった。
14:00からはシーエムオーグループの幹部と個人面談。
NHKの朝ドラ「ブギウギ」をなんとなく見た。
主人公の歌手(鈴子)と彼氏の女の子の赤ちゃんが誕生したが、
彼氏が顔を見ることなく病気(結核)で死ぬシーンだった。
涙腺が弱くなったせいか思わずウルウルしてしまった。
涙腺が弱くなった一つは脳梗塞にある。
しかし、たとえ脳梗塞でなくても我が息子晃弘を思い出して
ウルウルしたことであろう。
息子晃弘が突然死した2016年2月13日以来、
私は心の中で涙の河を渡っている。
晃弘に一目もうすぐ8歳になる我が娘の顔を見てほしかった。
2024/2/1 川﨑依邦の日々 「担雪埋井(たんせつまいせい)」
2月1日(木)
本日は10時A社の役員会(家族会議)をCMO大阪事務所にて行った。
「担雪埋井(たんせつまいせい)」という言葉がある。
井戸の水に雪を埋めるという、一見徒労と思われる行為を続ける姿に
人間の努力、諦めない営為の大切さを示している言葉である。
正に私がリハビリで肉体と精神の回復、言い換えれば再生を目指すのは
「担雪埋井」そのものである。
天に課された修行のようなものである。修行の目的の一つに悟りがある。
今のところ私は何ら悟りを得ていない。
ただ「担雪埋井」と呟き念じつつ、ヨロヨロと杖に助けられて歩いている。
全て絶望と沈むのではなく「担雪埋井」と念じ、一筋の明かりを求めて
ヨロヨロと杖歩行している日々である。前を向いて杖歩行している。
2024/1/31 川﨑依邦の日々 「雨ニモマケズ」
1月31日(水)
本日は10時に白内障の術後の検査のために眼科に行った。
経過は順調で問題なしと診断された。自分としては、ほっとした。
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」を思い出す。
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な体を持ち
欲はなく 決していからず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを
自分を勘定に入れずに よく見聞きしわかり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ 褒められもせず
苦にもされず そういう者に私はなりたい
私の人生はこの詩のようにはいかなかった。雨や風にたじろいだ。
確かに日本全国47都道府県は全て回った。
とは言うものの出会った会社の1人1人にこの詩のように勇気や励ましを与えてきたか。
忸怩たる思いであるが、私はこの詩のような生き方を送りたいと思っている。
言わば伴走型の経営コンサルタントでありたいと思っている。
たとえ”でくのぼう”と呼ばれても困っている人や悩んでいる人に寄り添う
経営コンサルタントであり続けたいと思っている。
この思いこそ私の原点にあるものである。
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