2023/4/6 川﨑依邦の日々「一日一生」― 明日は明日の風が吹く「ケセラセラ」
4月6日(木)15,986歩、10.9km、水中ウォーキング60分(123回)、曇り。
4:30 公園4周、60分。
公園の桜は殆ど散りピンクの絨毯となっている。
見上げれば枝の花はまばらで
葉桜へと姿を変えつつある。
桜は、ぱっと咲いて、ぱっと散ってしまう。
『一日一生』のフレーズが頭に浮かぶ。
桜の命も『一日一生』である。
7:00 大阪CMOにて内務。
A社の経営指導の進め方についてのストーリー考案、等々。
9:00~10:30 大阪CMOに三重県の伊勢神宮辺りからA社長来社。
『事業承継』の相談である。
次は、私が伊勢に行くこととする。
当分はお伊勢参りが続く。
10:30~14:00 大阪CMOにて内務。
CMOスタッフとのミーティング等。
14:00過ぎ 近所のプールに行く。
123回目となる。
プールに入る前は「今日は止めておこうか」との躊躇いが生じる。
それでもプールに入ると前を向いてひたすら歩くことで気分が晴れてくる。
『一日一生』である。
今を大切に、前を向いて一歩一歩、
こうして水の中を歩けることは有難いことである。
窓から公園の桜の花びらが風に舞いながら散っているのが見えた。
15:00過ぎ プールを出て近くのサンマルクカフェに行く。
昼食を摂っていなかったのでチョコクロとコーヒーを注文する。
『実践 企業・事業再生ハンドブック』
全436ページのところ342ページまで読み進む。
16:30 大阪市B社長と面談。
資金繰り面のチェック。
18:00 B社長との面談を終えて外に出る。
B社の行く末を案じる。
5月末の資金繰りが厳しい。
果たして私の経営アドバイスは正しかったのか。
「とにかく一日一日、4月末を乗り越えていきましょう」
経営コンサルタントとして
「もう駄目ですよ」
とは言わないことにしている。
「やるべきことをやるだけですよ」
私の役割は付き添って、見守ることである。
いよいよとなったら、
一緒に弁護士のところに行く覚悟を持つことである。
私の方からは匙を投げてはならない・・・。
『一日一生』一日をしっかりと生きて行く
― 明日(あした)は明日(あした)の風が吹く『ケセラセラ』
なるようにしかならない。
2023/4/5 川﨑依邦の日々「継続は力なり」
4月5日(水)14,160歩、10.2km、ストレッチ体操621回目、曇り、雨。
4:00 東京マンションにて起床。
腕立て伏せ、腹筋、スクワットをそれぞれ30回ずつ行い、
更に約6分間のストレッチ体操を行う。
一日も欠かすことはない。
2021年7月23日 にスタートしたのである。
東京オリンピック開催を記念して
航空自衛隊のアクロバットチーム
『ブルーインパルス』
が都心の上空にカラースモークで五輪マークを描いたのである。
そのショーを日本橋で見た日である。
5:30 東京CMOに出社。
シーエムオーグループの日報のチェック等内務を行う。
10:00 東京駅にてA社長と合流。
『事業継承』について打ち合わせをする。
14:00 横浜のB社へ行く。
『給与改革』についての経営相談を受ける。
品川駅より16:37発の新幹線に乗り新大阪へ、19:00着。
21:00 ベッドに入る。
寝る前に明日(4月6日)の
スケジュール(明日からやらねばならないこと)を確認する。
ストレッチ体操を始めたきっかけは何であったか。
ある経営者が「私は毎日寝る前に体操しているよ。これは体にいいよ」
と言っていた。
この経営者は呆けることなく95才まで生きた。
そこで『生涯現役を貫くために、いつかは私もやらねば』と思っていた。
この経営者が亡くなって一年後の
2020年に東京オリンピックがやって来た。
(コロナの影響で更に一年経った2021年の開催となったが)
『よし、ストレッチ体操をやろう。
いつまで生きるか分からないけれどやろう。
オリンピックは参加することに意義がある。
私も、「上手ではなくても、ぎごちなくても、先ずやろう」
と天啓の如く閃いた。
『継続は力なり』を信条として雨の日も風の日も、
帯状疱疹で苦しんだ日々も乗り越えて今日まで続いている。
毎日手帳に記録している回数は本日621となった。
2023/4/4 川﨑依邦の日々「みんな、いい顔してる」
4月4日(火)6,145歩、4.4km、晴れ。
関東出張へ出かける。
6:02発の新幹線にて一路東京へ。
7時35分頃、車中から富士山を見る。
真っ白な雪を冠っている。
10:00 千葉市A社にてミーティング。
経営実績のチェックを行う。
赤字基調から黒字へと転換している。
14:00 埼玉県B社の本社にてミーティング。
当面の優先課題について棚卸をする。
17:00 葛西着。
駅前のドトールにて『事業性評価』の本を読む。
マンション泊。
新幹線の車中にて日本経済新聞の一面をいっぱいに使った広告を見る。
ちょうど車窓に真っ白な富士山
が見えている時に目に飛び込んでくる。
ページ全体が桜色に染まっており、
よく見ると桜の花びらが舞っている。
そんなに大口開けて笑うんだ。
そんなときに頬がゆるむんだ。
そんなときにへの字になるんだ。
いま改めて、
顔全体から伝わってくるものの多さと、
その素晴らしさに気がつくのです。
さらに、誰かの何気ない表情につられて、
つい笑ってしまう自分、一緒に泣きそうになる自分、
思いもよらない自分に出会えたりもする。
3年間、さまざまな制約があったからこそ、
少しずつ自由を感じられる日々が、
嬉しく思えるのです。
春です。
いつもより少しだけ
新しい世界が始まろうとしています。
ささやかな表情の行き交う毎日は
もっと広がっていくでしょう。
その日常はきっと、この上なく美しい。
悩んでいても、前を向いていても、
立ち止まっていても、ふみだしていても、
泣きあっていても、笑いあっていても。
みんな、いい顔してる。
コロナ時代が明けて、
一人一人を励ましてくれています。
『悩んでいても、前を向いていても、立ち止まっていても、
ふみだしていても、泣きあっていても、笑いあっていても、
みんないい顔してる。』
どこの会社の宣伝かと思うとページの一番下に小さく
『資生堂はすべての“いい顔”を応援していきます』
とある。
いよいよ化粧品も売れていく。
春爛漫の4月4日である。
3月3日は雛祭り(女の子の祭り)、
5月5日は端午の節句(男の子の祭り)、
4月4日は何の日であろうか。
一説によると〇〇の日である。
この日に1ページを使って
『すべての“いい顔”を応援する』
・・・深読みすれば、男性も女性も性同一性障害の人も
すべて励ましてくれている。
心を引き付ける魅力的な全ページ広告である。
2023/4/2 川﨑依邦の日々「生きる目的は生きることそのものである」
4月2日(日)12,461歩、8.3km、水中ウォーキング60分(122回)、晴れ。
6:30過ぎ 公園4周、64分。
さわやかな春の風が吹いていた。
9:00~15:00 大阪CMOにて内務。
クライアントの経営分析や経営改善策を立案する等々。
15:00過ぎ 統一地方選挙の期日前投票に行く。
20人くらい並んでいた。
15:30過ぎ 近所のプールにて水中ウォーキング60分、122回目となる。
プールの温度は31.7度。1kmをひたすら歩く。
17:00過ぎ 自宅へ帰り、録画してあった番組を観る。
気候変動による熱波の番組『気温が50℃を超える』である。
桜が例年より早く咲いたのも地球温暖化のせいかもしれない。
19:30からはNHKの「ダーウィンが来た」を観る。
マッコウクジラと巨大モンゴウイカの話である。
全長18mにもなるマッコウクジラとモンゴウイカの
深海での闘いのシーンを撮ろうとするも今回の番組では叶わなかった。
生命の神秘・奥深さを感じさせる番組である。
それぞれ生あるものは全て生きる為に死に物狂いである。
生きる目的は生きることそのものにある。
「今日も無事に過ごせて良かった」と感謝する。
「明日は4時に起きられますように」とも祈る。
一方、「このまま目を覚ます事も無く眠り続けてしまったらどうなるか」
・・・「そんなことは無い。明日は必ずやって来る」
と20時過ぎにベッドに入る。
2023/4/1 川﨑依邦の日々「青春の味」
4月1日(土)13,688歩、8.8km、水中ウォーキング60分(121回)、晴れ。
7:30 公園4周、64分。
あの寒かった頃は何処へ行ったのか。
手が悴むことも、もうない。
桜の花びらが風に吹かれている。
10:00~15:00 大阪CMOにて内務。
『実践的中小企業再生論』総ページ数344のところ162ページ迄読む。
15:00 近所のプールに行く。
水中ウォーキング60分、121回目となる。
プールサイドでは数人が思い思いのスタイルでストレッチをしている。
私は毎朝起床後5分のストレッチをしている。
16:00 近所の温泉に行く。
顔見知りの人と会話を交わす。
「右ひざが痛くて、痛くてね。ここの風呂は良いですよ。
電気風呂に入ると痛みが消えるよ」
「それは良かったですね」
・・・私は電気風呂には入らない。
電気でビリビリしそうで入らない。
風呂上りにオロナミンCを1本飲む。
このオロナミンCは発売されてから
60年近く経っているロングセラー商品である。
ゴクゴクと飲み干す。
私にとってオロナミンCは青春の味である。
20代の頃、私はオロナミンC中毒と言えるほど
1日に3~4本は飲んでいた。
当時在籍していた会社がオロナミンCを製造販売していたからである。
まさか後に経営コンサルタント業を始めるとは夢にも思わず、
更には運送会社の経営者になるなど全く頭の隅にもなかった頃である。
『何者かになる』
というイメージは全くなく、
給料はいつも使い果たし貯金ゼロ、
人事課員として給与計算係、
労務係の日々を過ごしていた。
そういえば当時ダブルワークで、
スナックのママの中学2年生になる女の子の
家庭教師を週1回して飲み代を稼いだこともある。
その時もウイスキーにオロナミンCを入れて飲んでいたのである。
ゴクゴクと飲んだオロナミンCは青春の味であった。
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