[2021/6/23]川﨑依邦の日々「どこまでもいけるところまで歩きたい」
6月23日(水)16,355歩、歩行距離11.2㎞。禁酒413日目。晴れ。
7:30~18:00 終日大阪CMOにて内務。
一日中どこにも行かなかったのは珍しい。
私は年間訪問件数1,000件を目標としている。
一日4件ペースである。
昨年は約700件(月にして約60件)であった。
一日2件~3件のペースである。
訪問件数は記録しており、
今年の訪問件数は6月22日現在で343件である。
これは年間700件ペースである。
コロナのせいもあるが、なかなか1,000件の目標にはたどり着けない。
1988年に創業してから20年間は1,000件ペースであった。
その後10年間は800件、ここ3年間は700件ペースとなっている。
「活動力が落ちているな。」と感じる一方
「それにしてもよく回っているな。」とも感じる。
どこまで活動できるのだろうか。
当分は700件ペースで歩き回ることにしている。
来る日も来る日も一日中机に向かって座り続けるのは
どうも私の性には合っていないようである。
それよりもあちこちと出歩くのが私の行動スタイルである。
スマホのデータによると
2020年7月~2021年6月の一日平均歩行距離は10.8km、
平均歩数は14,401歩である。
「どこまでもいけるところまで歩き続けたい。」
これが私の願いである。
[2021/6/22]川﨑依邦の日々「オンラインセミナー」
6月22日(火)15,120歩、歩行距離10.7㎞。禁酒412日目。晴れのち曇り。
10:00 A社。
14:00 B社。
17:00 大阪CMOにてオンラインセミナー「給与改革と労働時間管理」。
物流経営講座をオンラインにて開催。
約30名がオンラインにて参加する。
便利な世の中になったものである。
一種の無観客試合みたいなものである。
自分としてはいつもの調子で行えたと思う。
とはいっても、臨場感が無い分物足りなく感じた。
[2021/6/21]川﨑依邦の日々「アリとキリギリス」
6月21日(月)18,335歩、歩行距離13.3㎞。禁酒411日目。晴れ。
7:30 社長とミーティング。
10:00 A社。
13:00 大阪CMOにB社来社。
18:00 業界団体の総会に出席。
日米とも株式市場が暴落局面に入っている。
アメリカで2年後(2023年)には公定歩合の金利を上げると発表される。
2年後なのに敏感に反応する。
日本も長く続いたゼロ金利の終わりが近づいている予感がする。
おそらく2023年にははっきりするだろう。
2021年の夏から秋にかけてはどうなるか。
コロナの終息と共に消費が持ち直し、活況していくと思われる。
アチコチへと旅行(海外も含む)も始まり、
2023年ショック(金利の上昇とインフレの進行)の前の
つかの間のミニバブルとなるのではないか。
アリとキリギリスの童話がある。
アリは来るべき冬に備えてコツコツと働き、
キリギリスは浮かれて遊んで暮らす。
やがて本格的な冬が来て、
アリは今までの準備のおかげで悠々と冬を過ごすが、
キリギリスはホームレス状態となってよたよたとさまようことになる。
アリとキリギリス、どちらの道を選ぶか。
「アリの道を選びなさい。」と童話は教えている。
2023年ショックはやってくる。
いまからコツコツと足元を固めていくことである。
足元を固めるとは、個人的には貯金をして健康的に暮らすことである。
企業としては不況に強い経営体質を作っていくことである。
アリの道を行くことである。
[2021/6/20]川﨑依邦の日々「佃天台地蔵尊」
6月20日(日)18,634歩、歩行距離12.3㎞。禁酒410日目。晴れ。
10:00~13:00 大阪CMOにて読書。「地ひらく」を読み進める。
録画してあったNHK番組「72時間シリーズ」を見る。
毎回、ひとつの場所に72時間もテレビが張り付き、
訪れる人にインタビューをする番組である。
今回は樹齢400年という大きなイチョウの木のそばにある
「佃天台地蔵尊」というお地蔵さんの前である。
いろんな人がインタビューに答えていた。
印象に残った人はフルートを吹く音楽家の若い女性である。
「木や風の匂いを感じる幸せ」を語り
「生きているだけでもうけもの」と答えていた。
確かにこの一瞬一瞬生きていることがありがたいことである。
お地蔵さんに手を合わせて「感謝」の思いを伝えたい気持ちがよくわかる。
そういえば、よく行く公園の入り口にもお地蔵さんがまつってある。
いつもは素通りしている。
今度公園に行くときは
「生きているだけでももうけもの」と手を合わせようと思う。
[2021/6/19]川﨑依邦の日々「新たなページ」
6月19日(土)10,365歩、歩行距離7.5㎞。禁酒409日目。小雨。
東京にてA君の送別会、激励会に出席する。
A君はシーエムオーグループに約4年勤務した。
「これからが本番です。志を持って進め!」と激励した。
新たなページが開く。
私は民間企業を1988年8月31日に退職した。
その時、会社の社長以下約10人が送別会を開いてくれた。
中華料理であった。
そして間髪入れずに1988年9月1日に
現在の株式会社シーエムオーを創業した。
以来、今に至っている。
新たなページを開いてここまできた。
ひとつのことが終わっても新たなページが始まる。
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