2024/2/15 川﨑依邦の日々「病院通い」
2月15日(木)
月日は経つ。
脳梗塞発症(2023年7月6日)以来、7ヶ月あまり経つ。
7ヶ月の内、入院が3ヶ月、2023年10月6日退院。
現在のウエイトは、入院前より2㎏減。
2023年11月に白内障の手術、12月は目のレーザー手術。
歯の治療は2023年10月より月1回ペースで続いている。
2023年10月より原則として、週2回の訪問リハビリが続いている。
そして呼吸器内科の検査、診察とある。
2月28日~3月1日の3日間(2泊3日)は、
現在の介護認定の為と消化器内科検査(膵臓、大腸)がある。
考えるまでもなく、これほどの病院通いはプレッシャーがある。
本日の眼科検査は、白内障の術後検査で問題なしとのことである。
あとは今月下旬の入院(2泊3日)が何もないことを願っている。
2023年7月の要介護3級の認定がせめて要介護1級になっていることを願う。
消化器内科検査も何もないことを願う。
(今のところ癌を疑うような自覚症状はない)
2024/2/14 川﨑依邦の日々 「一日一生」
2月14日(水)
録画してあったBS世界のドキュメンタリーのPLOアラファト議長の
一生についての前半と後半を見た。
彼は、イスラエルとパレスチナの2国家共存を掲げていたが挫折し、
2004年フランスの病院にて原因不明のまま死去した。
(何者かによる毒殺と言われている。)
あれから20年後の2024年2月14日、イスラエルはハマス全滅の為ガザに攻め込んでいる。
パレスチナの人々は約30,000人、イスラエルの人々は3,000人命を落としている。
歴史は残酷で多くの血を吸いこんでいる。つくづくアラファトとは何者か。
彼の一生の空しさ、辛さ、悲しみを感じた。
彼の周りの人々はほとんど生きていない。(腹心は暗殺されている。)
政治というものの暗さ、怖さ、冷たさを感じる。
人の一生というものは何であろうか。私は政治家ではない。
私としては「一日一生」を掲げていくのみ。目の前のことをやり抜くのみ。
2024/2/13 川﨑依邦の日々「あっという間の人生」
2月13日(火)
2月13日は私の長男 川﨑晃弘(34才5ヶ月)の命日である。
2016年2月13日に突然死。
この間の8年間、私の脳梗塞(2023年7月6日発症)をはじめ
色々な出来事があった。
いつも晃弘は私の心の中で生きている。
「なんとかやっているよ。そろそろ残り少ないかもしれんよ」
「そんなことはないよ。会長(お父さん)らしく強気で攻めて下さいよ」
「人生は色々あってつらく苦しいよ」
「弱音を吐いたらダメだよ。会長らしく生涯現役を貫いて下さいよ」
「・・・行くところまで行ってみるよ。遠くまで行ってみるよ」
「天国でじっと見守っているよ。行くところまで行ってよ。
人の一生なんてあっという間だよ」
2月13日の命日の会話である。
2024/2/10~12 川﨑依邦の日々「平和の3日間」
2月10日(土)~2月12日(月)
2/10(土)は歯医者に行く。
2/11(日)は亡き長男 川﨑晃弘の墓参りに行く。
2/12(月)は韓国ドラマ「チャングムの誓い」の最終回を見る。
あっという間の3日間であった。
世間の激闘、例えば能登の人々、あるいはガザの人々等に比して
「平和」そのものである。「平和」そのものの日常に多くの死の匂いがある。
一人一人があちこちで死に直面している。
私も命拾いしているが奇跡のように思えてくる。
小説家 梶井基次郎の「檸檬」という作品がある。
「桜の樹の下には死体が埋まっている」有名な一句である。
今年の桜の開花を見て、私は何と思うか。
生きている自分につくづく幸せを感じる事だろう。
「早く春よ来い」と呟く。
2024/2/9 川﨑依邦の日々「運命の不可思議」
2月9日(金)
9:00 訪問リハビリ。
11:00 シーエムオー大阪事務所にてA社の経営相談。
安宅産業が消えてなくなるまでの企業ドラマのノンフィクション本を読む。
昭和52年10月に従業員の約半分1,500人は、伊藤忠に吸収合併される。
他の人々は散り散りばらばら、中でも100人くらいはまとまってイトマンに行く。
当時は名経営者と言われた河村良彦、イトマン社長の決断で
安宅商事の残党100人ばかりを引取って、
わずか約2年でイトマンの急成長を成し遂げる。
そのイトマンもバブルに踊らされて今は消える。
河村社長は犯罪者となって、刑務所に入り認知症となる。
1990年代の事である。運命の不可思議を見る。
- 最近の投稿
- アーカイブ
-
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
- カテゴリー