CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2019/4/19]オヤジとリーダー

4月19日(金)

後継者の育成― 事例A

 

(1)オヤジとリーダー

A社長は70歳である。物流業を創業したのは、45歳の春。今では、車両台数50台、社員数70人の中堅物流業に成長している。年商は10億円、経営は堅実である。

A社の経営会議のメンバーは、6人である。全員が現場出身で、創業メンバーである。A社長が独立の旗を上げた時、運転手として集まった者たちである。

A社の成長要因はどこにあるか。

①人一倍汗を流したこと

独立した時は、青ナンバー(免許)ではなかったので、同業者が嫌がる仕事を引き受けて、人一倍汗を流した。手積み、手卸ろしは当たり前で、汗びっしょりの日々に耐えてきた。このハードワークに耐えてきたのが、成長要因の1つである。

②柱となるメイン荷主をつかんだこと

創業して10年は、文字通り地をはってきた。免許を取得して、メイン荷主をつかむことができた。はじめはわずかな額であったが、徐々に拡大していった。荷主が高度成長の波に乗ったのである。運送、それに配送センターの運営と、業容を拡大していった。必死についていった。こうした1歩、1歩で中堅物流企業へと脱皮していった。

③A社長の人柄

創業メンバーの運転手が、経営幹部となっている。A社長についてきている。A社長を“オヤジ”ということで信頼している。

経営幹部は全員、50歳を越えている。50歳を越えても、忙しい時には大型車のハンドルを平気で握って走る。フォークリフトにも乗る。全員が、野戦型のリーダーである。プレイングマネージャーである。1日中、机に座っていることは、まずない。

とにかく、体を動かす。A社の成長要因は、結局のところ、人一倍の汗、メイン荷主の存在、社長の人柄に求めることができる。

この成功要因に、暗雲がたち込めてきた。経営幹部も50歳を越えて、体力も弱ってきた。かつては24時間眠ることもなく働き続けることができた体力も、年には勝てない。さらに社長も、70歳の坂を超えた。これから、A社はどうなるのであろうか。

「社長と一緒にやってこられたメンバーも、50歳を越えました。後継体制はどうですか」

現在の経営幹部の役職は、単に“リーダー”である。役員ではない。リーダーの中から、経営を任せられる人物はいるか。ドングリの背くらべであり、無理にだれかを引き上げようとすると、波風が立つ。引き上げられた者へのやっかみ、ねたみが生じる。

「今まで一緒にやってきたのに、何であいつだけが役員に登用されるのか」との声が起きる。

A社長は、役員構成は家族で固めている。ファミリーカンパニーという側面がある。

筆者の問いに対して、A社長は「分からない」と答える。A社長には、息子がいる。40歳である。この息子は、学者の道に入っている。

「今さら“家業を継げ”と言っても、わしの息子には無理ですよ」

「確かに無理かもしれません。しかし、ファミリーカンパニーである以上、息子さんしかいませんよ」

配送センターの土地取得と建物の設備投資で、3億円の借金がある。この借金を他人にすんなりとかぶせられるであろうか。まして、リーダーは全員現場出身で、今でもハンドルを握る者ばかり。いわゆる、経営者タイプではない。

「後継体制はどうしますか」

重ねて、筆者が問う。

「もっといい会社にして、だれに売るしかないかも知れません」と社長は苦笑いする。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月20日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/18]創業30年に幕をおろす

4月18日(木)

大切な心の経営― 事例A

 

(1)創業30年に幕をおろす

会社に出てこなくなった社長の代わりとして、やむなく古参幹部が団体交渉の席につく。しかし悲しいかな、古参幹部には決定権がない。組合からはコテンパンに責められる。古参幹部の1人が「これではやってられない」と退社するほどの事態である。

二代目社長の強がり底が見えた。裏付けのない経営力しか持っていなかったA社長。単に先代の息子、というだけのことである。団体交渉に引っ張り出されてからのA社長は見るも無残。カッとはくるが、組合からの街宣車攻勢でやむをえず譲る。

街宣車攻勢となると、荷主がじわじわ逃げていく。ただでさえ売り上げがダウンしているのに、荷主まで尻込みしていく。強気のA社長も組合のいうことを聞かざるを得ない。

「あの超ワンマン社長に勝った。ザマみろ」と組合は勢い付く。ズルズルと組合の要求に引きずられていく。気づいてみれば、もろもろの労働条件の向上で、人件費がアップしてくる。人件費のアップに耐え切れなくて赤字が深刻化する。

3年連続の赤字で債務超過となる。孤立したA社長はついに経営を投げだす。辛抱ができなくなったのである。資金繰りがつかなくなっていたA社は、創業30年の幕をおろした。倒産である。

A社長の失敗は、現場の心をつかみ切れていなかったことにある。働く1人ひとりの心が分かっていなかったのである。いくら国立大学を出て頭がよくても、心が読めなくては経営に失敗する。「このおいぼれ」という言葉に見られる傲慢さ。派手でええかっこしいの行動。イエスマンしか周りにおかなかった超ワンマンぶり。

A社長の生き方は「私欲」に重点を置いてきた。自分さえよければいい ―とばかり、棚からぼた餅の社長の甘い蜜をむさぼってきた。そのつけが社員から孤立し、見放され、ついには「バンザイ」していく姿となった。

バンザイとは倒産のことである。A社長はいわく「やっぱり金の切れ目が縁の切れ目で、本当の意味で心の通じ合う経営幹部を持てませんでした。心の大切さを知りませんでした。先代から引き継いだすべてがパーとなりました。自己破産してはじめて自分のバカさ加減を知りましたよ」。

以上

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月19日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/17]孤立したA社長

4月17日(水)

大切な心の経営― 事例A

 

(1) 孤立したA社長

労働組合結成通知書と団体交渉申入書を手渡されたA社長。「59歳の老いぼれ分会委員長め。何を血迷ったのか」 ―すぐさま経営会議を招集して、古参幹部を責め立てる。「こうなったら、組合員の1人ひとりをやめさせろ」とけしかける。すると、おずおずとある幹部が発言する。そういうことをするなと、組合結成通知書に書いてあります。“不当労働行為をするな” ―となっています」。

だれもA社長に同調しない。今度ばかりは、何をどうしたらいいか分からない。居並ぶ幹部は下を向く。「団体交渉なんかしない。そのままにしておけ ―」とA社長。

ところが、労働組合は連日、申し入れをしてくる。「団体交渉の日時を決めて欲しい」 ―時には電話、時には直接、会社に出向いてくる。上部団体から矢のような催促が続く。

会社の幹部は返事ができない。「社長に聞いて欲しい」の1点張りである。幹部の中には、密かに腹の中で「うちのぼんぼんは組合でもできないと目がさめない」と組合にシンパシーを寄せている者もいる始末である。

肝心のA社長は逃げの姿勢をとっている。常日頃の大言壮語ぶりもどこへやら、ついには会社に出てこなくなった。逃げたのである。A社長にしてみれば、だれも自分に味方しないので、すねたわけである。「わたしは知らない」とばかりに逃げたのである。

つづく

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| 投稿日: 2019年04月18日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/16] A社労働組合の決起

4月16日(火)

大切な心の経営― 事例A

 

(1) A社労働組合の決起

A社労働組合の上部団体は、物流業界では経営者からすれば手強い相手である。名前を聞くだけで、「そんな組合ができたら、オレは会社をつぶす」と息まく経営者もいるほどである。そんな労働組合がA社にできたのである。

59歳の分会委員長いわく「そりゃわたしも、この年で組合なんかにかかわりたくありません。でも、今の社長はひどすぎます。働く者の心を踏みにじっています。先代の社長はいい人でしたよ。先代社長が生きていたら、組合なんかつくりませんよ。わたしが交通事故で入院した時、よく見舞いにきてくれたのが先代ですよ。今のぼんぼん社長は、社員がケガしても振り向いてもくれません。ここはひとつ労働組合をつくるしかありません」。

A社労働組合は、結成の通知と団体交渉の申し入れをする。ここは柔らかくいくことにしている。「組合の掲示板を作って欲しい。組合事務所を設置して欲しい」である。これには上部団体の指導もある。

上部団体のオルグいわく「おたくの社長は超ワンマンですね。今ごろは血気にはやって“組合なんかつぶしてやる ―”と煮えたぎっているはずです。そこで、最初からケンカを売るよりも労働組合を認めさせることが先決です。労働組合は国が定めている適法な団体です。ところが、二代目社長は絶対認めないでしょう。そこで柔らかくいくのです。団体交渉を積み重ねていって、本丸に迫っていくのです。本丸とは本当の意味での労働条件の向上・獲得です。いずれにしても、われわれに任せてください。」

つづく

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| 投稿日: 2019年04月17日 | 投稿者: unityadmin

[2019/4/15]二代目社長の経営姿勢

4月15日(月)

大切な心の経営― 事例A

 

(1) 二代目社長の経営姿勢

二代目社長は国立大学を卒業後、荷主先に就職、5年経って父親の会社に入ってきた。若くして父親を補佐してきた。10年前に社長に就任し、父親は会長となった。周りは父親の代からの古参幹部で、社長といえど幹部の中では1番若い。しかし、頭はよく切れるうえ、経営数字のつかみ方も鋭い。

ところが、人望がいまだ身に付いていない。社内経営会議で古参幹部をボロクソになじる。「このくたばりぞこない」 ―などとわめき、経営成績が上がらないことを責める。カンシャクのうえ、父親である会長ともよくケンカする。経営会議の席上で親子ゲンカが始まる。社内では社長のことを陰で「暴君」とささやきあっていた。

「あの若社長は本当にわがままだ。父親のいうことを聞きもしない。1人で偉くなったように錯覚している。自分の思い通りにならないとカンシャクを起こす。まるで暴君だ」

その上、社長は若手経営者団体の活動にも熱心である。本業に割く時間よりも多いくらいである。昼間からそのことでよく電話が掛かり、ときには出かけていく。夜のつきあいも派手である。飲み歩くのである。しかもイベント好きである。口実をつくってはよくパーティを催す。芸能人を呼んで派手にやることが好きだ。その席で夢のようなことを語る。

「自分の会社を今に地域でナンバーワンにしてみせる」 ―などと大言壮語する。大言壮語たるゆえんは、行動が伴っていないからだ。

古参幹部は若社長が中学生のころからよく知っている。内心「この若僧が何言ってるんだ」と思っても口に出せない。諫言できないのである。二代目社長は人のいうことを聞かないのである。批判厳禁である。逆らうそぶりを示すと、「文句あるならすぐ会社をやめろ」と通告する。心ある社員は嘆いている。

「飲み歩いたりするのもいいが、もっと現場をみて欲しい。現場の苦労を分かって欲しい。これではまるで聞き分けのない二代目のぼんぼんではないか」

そうこうするうちに会長が他界した。社長にブレーキを掛けられる唯一の人がこの世からいなくなった。まさに社長のワンマンぶりが際立ってくる。周りの幹部をイエスマンで固めていく。ライオンは自分だけで、あとはみんな小羊の集団である。

二代目社長は頭がよく、社内の最高権力者である。ところが、現場の実態を肌で把握していない。交流というものがない。一方的な関係である。分かりやすくいえば、指示命令の関係でしか現場とはかかわってこなかった。ここに大きな落とし穴があった。

目立たないけれど、チョコチョコした遅刻や急な休みが増えてきた。不満がくすぶり、高まってくる。そして、ついにその日がきた。

その日とは労働組合の結成である。上部団体に加盟し、分会として名乗りを挙げる。分会の委員長は59歳。定年まであと1年、勤続40年の超ベテラン社員である。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年04月16日 | 投稿者: unityadmin