[2022/9/4] 川﨑依邦の日々 「晴れたり曇ったりの一日」
9月4日(日)14,770歩、歩行距離 11.3㎞。水中ウォーキング60分(34回目)。晴れ、曇り。
6:30 公園4周。
9:00~15:00 大阪CMOにて内務。
15:00過ぎ プールにて水中ウォーキング60分(34回目)。
外へ出てみると、
曇り雲となっていた。
刻一刻と台風11号が近づいている。
晴れたり、曇ったりである。
今朝は一点の雲も無い青空が広がっていた。
台風11号が接近しつつあるというのに
大阪では青い空。
曇りの日もあれば晴れの日もある。
[2022/9/3] 川﨑依邦の日々 「CMO創立34周年タルト」
9月3日(土)13,764歩、歩行距離 10.3㎞。水中ウォーキング60分(33回目)。曇り。
9:00~11:00 大阪CMOにて内務。
11:00過ぎ 散髪に行く。
8月は散髪に行けなかった。
お店の人は
「8月はみえなかったね」と私の事を覚えていた。
お店の90歳のご主人は不在であるが、
体の具合が悪いと聞いていたので
あえて「ご主人はどうされていますか」と尋ねる事はしなかった。
その代わりいつも最後に肩揉みをしてくれる息子に
「上手ですね。
これなら指圧でもやっていけますよ」
と褒めまくると、
嬉しそうにニッコリと微笑んでいた。
90歳ともなると生きているだけで儲けものである。
13:00過ぎ プールにて33回目の水中ウォーキング60分。
15:00 銭湯に一番乗りする。
夜にはCMOの創立34周年(1988年9月1日創立)を祝して
イチゴ等のフルーツタルトを半分食す。
残りは明日にとっておく。
稲盛和夫氏89歳、
ゴルバチョフ元大統領90歳と立て続けに訃報を聞く。
生者必滅、
生命あるものは時が来れば必ず死ぬという事である。
生きていく幸せとは何であろうか。
・・・少なくともフルーツタルトは美味しかった。
CMO創立34周年のささやかなお祝いのタルトを口にして
ほんのちょっぴり幸せを感じた。
[2022/9/2] 川﨑依邦の日々 「ダイエットの極意」
9月2日(金)17,219歩、歩行距離 12㎞。雨、曇り。
5:00 公園4周。
7:00~11:00 大阪CMOにて内務。
11:00 A社 経営ミーティング。
13:00 千葉県B社 オンラインミーティング。
14:30 C社と打合わせ。
17:00 C社長と一緒に弁護士事務所へ。
19:00頃 レストラン和食さとにて
うどんすき1人前を食す。
少し硬めのうどんであるが出汁が美味しい。
デザートにみつ玉ぜんざいを食す。
いつしか甘党となっていた。
毎日体重計に乗っている経験からいうと、
スイーツを食べても太る事はない。
スイーツばかり食べていて栄養失調になった人もいる。
この人はケーキ屋でアルバイトをしていて、
残り物のケーキを3つも4つも食べていたとの事。
スイーツは血糖値を高くするため、
食べ過ぎは良くない。
とは言っても頭は糖分が回らないと働かなくなる。
「3時のおやつ」は理に適っている。
3時頃になると頭が疲れてくる。
そこで甘いものを食べて脳を活性化させるのである。
同じスイーツでも和菓子の方が体に優しい。
そこでみつ玉ぜんざいを食した訳である。
毎日体重計に乗っている経験から、
3食とも米を食べると必ず体重が増える事が分かっている。
日本人はおむすび等お米が好きである。
「腹が減っては戦は出来ぬ」と米ばかり食していると太る。
確実に体重を減らそうと思うのであれば夕食を抜けば必ず減る。
しかし夕食は楽しみである。
夕食を抜くのは辛い。
そこで3食とも普段食している量の80%にする。
1ヶ月も続ければ必ず痩せる。
そして3日に1回スイーツを食べて脳を元気づける。
これが無理なく痩せていくダイエットの極意である。
[2022/9/1] 川﨑依邦の日々 「川﨑晃弘社長へ」
9月1日(木)16,811歩、歩行距離 12㎞。水中ウォーキング60分(32回目)。曇り、小雨。
晃弘社長が死去(2016年2月13日)して
6年と約6ヶ月、日数にして2,390日が経った。
9月1日は株式会社CMOの創立記念日である。
1988年9月1日に独立し、
34年の月日を刻んできた。
16:00頃 京都府のホテルにてA社長と会った。
晃弘社長が突然死する1週間前、
2016年2月7日(日)に
A社の経営会議に共に出席した。
この日が晃弘社長と一緒に仕事をした
最後の日となった。
A社長は晃弘社長との想い出を語った。
「晃弘君はいつも鞄を肩に掛けていたね。
このホテルで3回も面談したよ。
鞄を肩に掛けた姿と喋る口調は
川﨑先生とそっくりだったよ。
晃弘君のバイタリティは凄かったよ。
私の息子は足元にも及ばないよ。
ところで跡を継いだ次男君はどうですか」
「しっかりやっています」
「晃弘君は凄いプレッシャーと戦っていたよ。
次男君には無理をさせたら駄目だよ。
晃弘君は戦死したみたいなものだからね」。
晃弘社長の生きていた証は
それぞれの人の心の中に今でも息づいている。
跡を継いだ社長と心を一つにして、
晃弘社長の果たせなかった志を引き継いで、
CMOグループは前に向かって進む。
15年後、晃弘社長に
創立50周年の報告が出来るように奮闘する。
一日一日、晃弘社長と一緒に生きていく。
[2022/8/31] 川﨑依邦の日々 「事故を起こしたバスに乗る」
8月31日(水)6,724歩、歩行距離 4.8㎞。曇り、晴れ。
関東日帰り出張。
6:00 始発の新幹線で東京へ。
そこから更に高速バスで茨城へ。
10:30 茨城県A社 給与改定ミーティング。
13:10 ミーティング終了後、
高速バスに乗って東京駅へ向かう。
途中の高速道路にてガタッと急ブレーキがかかる。
一番前の席に座っていたので体が前に跳ねる。
接触事故である。
バスの乗客は11人である。
事故処理のためじっと待つ。
運転手さんに
「どのような事故か説明して下さい」
と依頼すると、
乗用車とバスの側面が軽く接触したとの事。
間一髪、大事故にならなくて良かった。
15:40 予定時刻より40分遅れて東京駅に着く。
人生は何が起こるか分からないものである。
パトカーも2~3台来て
慌ただしい事故現場となっていた。
代わりのバスもすぐ来なくてじっと待つしかない。
結局大した事故では無かったので
そのまま事故を起こしたバスに乗って
東京駅に向かったのである。
下車する時に連絡先、氏名を記入した。
後で事故の顛末やお詫びの手紙が来るかもしれない。
16:30 埼玉県B社長と面談。
21:00頃 新大阪駅着。
人生は予期せぬ事が起こるものである。
急ブレーキで体が跳ねたが、
シートベルトのお陰で体が飛ぶ事は無かったので
幸いだった。
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