2022/10/26川﨑依邦の日々「大阪物流経営講座第391回 ― 32年と7ヶ月」
10月26日(水)20,043歩、歩行距離14.6㎞。晴れ、曇り。
5 :00 公園4周。
7 :00~9:00 大阪CMOにて内務
10:00 京都市A社ミーティング。
14:00 大阪市B社役員会議
18:00 大阪物流経営講座第391回開催。
継続は力なりである。
大阪物流経営講座も32年と7ヶ月続いている。
時代の流れの中で一貫して〝運送会社の経営〟を大テーマにしている。
本日は「働き方改革の対応策」について〝生きる〟として展開した。
セミナー会場には約15年ぶりにお会いする経営者も受講していた。
「久しぶりですね。お元気でしたか」と声を掛けた。
日々生きていくのは必死だ。
一日が終わると反省もする。
ああすれば良かったとか色々反省する。
皆様のお役に立った一日を送ったかとか反省する。
とにかく今日も一日無事終わってホッともする。
「明日も頑張ろう」と自らを励ます。
斗いはまだまだ続く。
2022/10/25川﨑依邦の日々「強い心を持つこと」
10月25日(火)17,714歩、歩行距離12.8㎞。曇り、晴れ。
5:00 公園4周。62分。
こんな早い朝でも歩いている人がいる。
7:00~8:00 大阪CMO内務
10:00 姫路市にてA社のバンクミーティング
16:00 大阪市にてB社の幹部会議
競泳の池江璃花子さんの母・池江美由紀さんの
「母なればこそ子と歩む ― 可能性を信じて」というメッセージを読む。
美由紀さんは子育てにあたって子供に「強い心」を持ってもらうこと、その為には
「自分を信じること」「人間力を育てること」「本番力をつけること」の3つであると述べる。
白血病からレースに復帰して1年。
2021年4月東京五輪代表選考会の100mバタフライ決勝で1位になれたのは
「自分を信じる力」があったからと述べる。
人間力を育もうと娘・璃花子にはお手伝いをたくさんさせた。
「あなたがしないと家族が回らない」と仕事を子供に任せ、
人の役に立つことが当たり前と考える人間になった。
本番力をつける為、娘・璃花子は幼少の頃、
水泳大会の前夜に布団の中でイメージトレーニングをしていた。
このことが練習以上に能力を発揮することに繋がっていった。
「選ばれた人だけが夢を実現できるのではなく、
私たち親が今日、今からかける言葉によって子供たちは成長し夢を叶えられるはずと思っている」
母・美由紀さんの言葉である。
経営コンサルタントとして中小企業経営者の伴走者としてなるほどと頷く。
強い心を持つことである。
もうダメとか諦めなさいとか後ろ向きの言葉ではなく前向きな言葉を発することである。
2022/10/24川﨑依邦の日々「心に傘を差す」
10月24日(月)22,406歩、歩行距離15.7㎞。水中ウォーク60分(64回目)。曇り、通り雨。
4 :30過ぎ 公園4周。68分。
いつもよりゆっくりと歩く。
真っ暗である。
公園の街灯が消えているところもあり、ゆっくりと行く。
7 :30 健志社長とミーティング。
終了後9:00歯医者に行く。
歯のメンテナンスである。
11:00 門真市A社にてミーティング。
14:00 姫路市B社にてミーティング。
姫路まで行ってB社までの道約10分。
にわかに通り雨が来る。
傘も無い。
しかも雨足は激しくなる。
雨宿りするところもない。
雨に打たれて歩く。
ハンカチを頭に乗せて早足で行く。
あるポスターが頭に浮かぶ。
それは自殺防止のホットラインのポスターである。
〝心に悲しみや辛さの雨が降ったら心に傘を差してあげますよ〟
心に傘とは言い得て妙である。
B社のミーティングが15:00過ぎに終わって外に出てみると雨は上がっていた。
やはり通り雨だった。
自分も辛い人や悲しみに沈んでいる人がいたら心に傘を差してあげられる人にならなければと思う。
17:30過ぎ プールにて水中ウォーク60分(64回目)。
夕食はおでんを食す。
2022/10/23川﨑依邦の日々「秋の芋」
10月23日(日)17,155歩、歩行距離11.3㎞。水中ウォーク60分(63回目)。晴れ、曇り。
6 :00過ぎ 公園4周。64分。
9 :00~14:00 大阪CMOにて内務。
14:00過ぎ プールにて水中ウォーク60分。第63回目となる。
こうして日々活動できていることに感謝する。
「ありがとうございます」と周りの人々と自然に心から言いたい。
まさに生かされていると実感する。
自分1人のみで生きている訳ではない。
食べ物にしても生きている食材(ご飯、肉、パン、野菜、etc.)のおかげで口にすることが出来る。
本日は鳴門芋のふかしたものを約1本食す。
毎日毎日芋を食べていると嫌になると聞いたことがある。
太平洋戦争中(1941~1945年)食べるものがなくて芋しか食べれない人がいた。
この人は戦後食糧事情が良くなると決して芋を口にしなかったという。
私は毎日は食べない。
私の場合芋を食べると便通が良い。
元気良くおならも出る。
葛飾柴又のフーテンの寅さんではないが
「今日も元気だ。お芋が美味い。音を聞け」と言いたくなる。
秋の芋は美味しいですね。
2022/10/22川﨑依邦の日々「脱皮しないヘビは死ぬ」
10月22日(土)16,254歩、歩行距離13.9㎞。水中ウォーク60分(62回目)。晴れ。
5 :00過ぎ 公園4周。61分。
7 :00~9:00 大阪CMOにて内務。
9 :00過ぎ プールにて水中ウォーク60分(62回目)。
12:00 シーエムオーグループの経営方針発表会の為会場に行く。
13:00~17:00 シーエムオーグループ「経営方針発表会」終了後、懇親会。
来期はシーエムオーを中軸としてシーエムオーグループは運送会社10社の体制となる。
2007年11月名古屋にて運送会社1社からスタートして15年である。
15年の歴史で継続不能となった運送会社は2社ある。
それでもよくぞ今までやり抜いてきたものである。
私は運送会社を専門とする経営コンサルタントであり、運送会社の経営者である。
1988年9月に創業し今年で34年である。
それから2007年11月運送会社の経営者となる。
私は元々運送会社の経営コンサルタントを目指していた訳ではない。
元々20代や30代前半の頃は経営コンサルタント志望ではなかった。
夢にも思っていなかった。
それが1988年9月独立する。
そして運送会社の経営者にもなる。
生きていく為に目の前の事に力を尽くしていく中でいつの間にか
「経営コンサルタント」としての立ち位置となり
「経営者」へと成り上がっていったわけである。
性格において変わらないものもあるが変わることもできる。
自己変革していく力は自らの内部にある。
周りの評価によってこれからもシーエムオーグループは変化を恐れず成長していく。
自らをマイナス思考に落とすことなく自己の内部のエネルギーを信じていく。
自らの立ち位置は自然に周りの評価によって定まってくるものである。
私が「経営コンサルタント」と自覚したのは30代前半(34~35歳頃)
お客様から「経営コンサルタントの先生」と呼ばれたからである。
「そうか、自分は経営コンサルタントか」と自覚したものである。
私が「運送会社の経営者」と自覚したのは58歳(2007年11月)の時、
当時の労働組合の団体交渉に出た時である。
経営者は会社の生命線を握っているし、全責任を負っていると自覚したものである。
人は変わるものである。
変化にたじろいではならない。
“脱皮しないヘビは死ぬ”との格言がある。
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