2023/2/13川﨑依邦の日々「傘認知症」
2月13日(月)19,083歩、歩行距離12.9㎞。ウォーキング67分。水中ウォーク60分(101回目)。雨、曇り。
4:30 公園4周。
67分のウォーキング。
小雨が降っている。
傘を差して歩く。
7:30 大阪CMOにて健志社長ミーティング。
M&A案件の打合わせ等。
10:00 京都市A社ミーティング。
女性スタッフよりバレンタインデーのチョコレートを頂く。
15:00 京都市B社ミーティング。
17:30 大阪CMOにて千葉の会社C社とZoom会議。
18:30頃 プールにて水中ウォーク101回目。
本日(2/13)は小雨がぱらつく。
傘を手にして外へ出る。
「絶対に傘を忘れてはいけない」と固く誓う。
今まで雨の降る度、その都度傘を忘れてきた。
優に100本以上はある。
「今日こそは忘れないぞ」とタクシーに乗り込む。
「雨が降っていると傘は忘れませんよ。大丈夫ですよ」と運転手。
「雨が降っても忘れますよ」と会話する。
A社ミーティングが終わって駅に送ってもらう際、「あ、傘を忘れてる」と気付く。
A社会議室まで戻る。
しっかりと傘を握る。
B社ミーティングが終わって車に乗り込もうとすると、
「傘を忘れてますよ」と会社の人が教えてくれる。
しっかり握る。
京都から大阪までの電車に乗る。
大阪駅で降りてスタスタ歩く。
「あ!傘がない」と気付く。
朝の誓いも空しい。
電車の中に置き忘れた。
我ながら傘に関してはぼけまくっている。
傘の認知症としか言いようがない。
2023/2/12川﨑依邦の日々「季節は回る」
2月12日(日)20,654歩、歩行距離13.9㎞。ウォーキング66分。水中ウォーク60分(100回目)晴れ。
5:00 公園4周66分。
8:00~12:00 大阪CMOにて内務。
M&A案件の整理などをする。
12:00過ぎ プールに行く。
水中ウォーク60分。
ついに100回目となる。
100回記念として和栗のモンブランケーキ(704円)を購入して食べる。
目の玉が飛び出るほど美味しいというほどではなかった。
目の玉が飛び出るほど美味しかったのは20歳の時初めて食べたチーズケーキである。
更に大阪天満宮まで行く。
梅の花を見る為である。
紅梅、白梅、梅の蕾を見る。
更に自宅にて録画してあった「春よ来い」(5分)を見る。
「春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと待っている」
NHK番組で録画してあった「レジェンドの目撃~野村克也~」を見る。
野村の原点は、
プロに入って2年間全くいいところがなくてクビ寸前まで追い詰められたところにあると知った。
クビ寸前の大ピンチを跳ね返す武器がデータ(ID野球)にあったのである。
文字通りピンチはチャンスである。
これから寒い日と暖かい日を繰り返していく。
いろんなこと、辛い事、悲しい事があっても季節は回っていくのである。
2023/2/11川﨑依邦の日々「晃弘社長の墓参り」
2月11日(土)15,555歩、歩行距離11.4㎞。ウォーキング65分。水中ウォーク60分。(第99回)
晴れ、曇り(いい天気)。
7:00過ぎ 公園4周65分。
9:00 大阪CMOにて内務。
11:00 川﨑晃弘社長(2016年2月13日突然死)の墓参り。
あれから7年である。
生き残ったものはそれぞれ山あり谷ありの人生を歩んできた。
空は青い。
いい天気である。
一点の曇りもない空。
両手を合わせて「安らかに」「どうか守ってください」と祈った。
1周忌の2017年1月15日は雪だった。
しんしんと降る雪だった。
その後3年後に中島みゆきの「雪」を聞いた時1周忌での大粒の雪のことがありありと蘇った。
涙が溢れた。
「雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました
あの人が旅立つ前に
私が投げつけたわがままは
いつかつぐなうはずでした
抱いたまま 消えてしまうなんて
雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました
手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです
あの人が教えるとおり
歩いていくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
手をさしのべればいつも
そこにいてくれた人が
手をさしのべても消える
まるで 淡すぎる 雪のようです
あの人が教えるとおり
歩いていくはずだった私は
雪で足跡が見えない
立ちすくむ あなたを呼びながら
雪 気がつけばいつしか
なぜ こんな夜に降るの
いま あの人の命が
永い別れ 私に告げました」
それでも何があっても生き残ったものは歩き続けるしかない。
本日(2/11)の空は澄みきっている。
じっと空を見ていると「どのあたりに晃弘社長はいるのか」と目を凝らした。
晃弘社長は今でも私の心の中で生き続けている。
遠い遠い空の片隅ではなく私の心の中にいる。
「さようなら、また会いましょう」とつぶやいて墓の前を立ち去った。
2023/2/10川﨑依邦の日々「江戸川慕情」
2月10日(金)15,027歩、歩行距離10.5㎞。小雨、曇り。
東京マンションにて4:00起床。
いつもの如くストレッチ約6分。
中身は腕立て伏せ30回、腹筋30回、スクワット30回、片足立ち30秒。
2021年7月にスタートして以来1回も欠かすことなく567回目となる。
5:30 東京CMOに行く。
途中、新川という川のそばを通る。
「チコちゃんに叱られる!」というNHK番組で「江戸川慕情」なる歌が流れる。
映し出される江戸川区の風景と新川の雰囲気がよく似ている。
てくてく歩く。
すると小雪が舞ってくる。
風も吹いている。
「寒さがしみる」
「江戸川慕情」を口ずさむ。
いい歌である。
10:00 横浜市A社にて経営ミーティング。
14:00 川崎市にてB社の経営ミーティング。
16:17 品川発の新幹線にて新大阪へ。
大阪に着くと雨は止んでいた。
「江戸川慕情」は東京の下町の味わいがある。
ほんのりと切ない味である。
「行方知らずの旅ガラス
流れ着いた川のほとり
見つけた君にひかれたんだ
離れようにも離れられず
心を掴み引き寄せる
あぁ 江戸川のせせらぎで
あぁ 江戸川のせせらぎで
あぁ 江戸川のせせらぎで
あぁ 江戸川のせせらぎで
恋を 恋をしたんだ」
2023/2/9川﨑依邦の日々「晃弘社長に語る日」
2月9日(木)8,378歩、歩行距離5.9㎞。晴れ。
関東出張。
東京マンション泊。
6:00始発にて東京へ。
通路を挟んで隣の乗客(男)はいびきをかいていた。
私は車中約2時間本を読む。
10:00~12:00 埼玉県越谷にてA社ミーティング。
当面する経営課題を整理する。
13:00~14:30 東京駅八重洲中央口のドトールにてB社長と面談。
10年分の経営業績の数字を見る。
これからどうするかの経営相談である。
川﨑晃弘社長と一緒に約15年前中国の北京に旅行に行ったとの事。
更に自らの事業協同組合にて、人材派遣ビジネスについて講演してもらったことがあるとの事。
ここにも生前の晃弘社長のことを知っている人がいた。
「晃弘社長よ。こうして今でもお父さんは頑張っているよ」
心の中で生きている晃弘社長に語り掛けた。
16:00 埼玉県所沢市にてC社長と面談。
終了後寿司屋で会食をする。
20:00過ぎ 東京マンションに辿り着く。
それにしても昼間のB社長、「晃弘のことを覚えてくれていたか」と感慨にふける。
2016年2月13日突然死して早7年。
何とか今日まで生きてきた。
晃弘社長が目の前にいたら何と語るか。
「お母さんも元気です。弟の健志社長もしっかりやっています」
「CMOグループも潰れずやってきています。君の志を胸に日々苦闘しつつ頑張っています」
「どうか守って下さい」…尽きることなく語りかける。
それにしても晃弘社長のことを思うと辛い。
悲しい。
無念。
寂しい。
申し訳ない。
それでも生きていくしかない。
いつの日か「会長、よくやったよ。よく頑張ったね」と一言語り掛けてほしい。
晃弘社長は34歳5ヶ月という人生を精一杯やり抜いた。
「よくやったよ。君は私の宝であり、誇りであり、生きる上でのパワーの源だよ」と語りかける。
「晃弘よこれからもよろしくお願いします」
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