CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

2022/12/28川﨑依邦の日々「帰りたい場所」

12月28日(水)6,813歩、歩行距離4.8㎞。曇り、晴れ。

関東日帰り出張。

10:00 群馬県高崎市A社にて役員会議。

13:00過ぎ 埼玉県草加市にてB社ミーティング。

帰りは17:00の新幹線にて東京→新大阪へ。19:30着。

車中では帰省客の家族連れで賑やかである。

それぞれ「帰りたい場所」がある。

「帰りたい場所」は故郷であったり人それぞれの地である。

私は今住んで生活しているところが「故郷」みたいなものである。

心の中に「故郷」がある。

出身地広島を18歳で旅立ってから生々流転。

あちこちと流れ流れてきた。

そして「今」がある。

特に「帰りたい場所」はない。

今住んでいるところが故郷であり帰る場所である。

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| 投稿日: 2023年01月04日 | 投稿者: unityadmin

2022/12/27川﨑依邦の日々「とんぼ返り」

12月27日(火)7,762歩、歩行距離5.6㎞。曇り、晴れ。

7:50発のフライトにて秋田出張。

秋田空港から能代まで行く。

10:30~12:30 A社にて会議。

給与改革とマネジメントの確立がテーマである。

秋田は雪が残っている。

珍しく昼頃からは太陽がはっきりと顔を出した。

「いつもはどんよりした日々が続いて憂鬱になりますが、珍しいですよ」とA社スタッフの言。

ポカポカとしている。

雪国のイメージはない。

14:55にて伊丹空港へとんぼ返りする。

16:20着。

本日はとんぼ返りの出張であった。

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| 投稿日: 2022年12月28日 | 投稿者: unityadmin

2022/12/26川﨑依邦の日々「師走」

12月26日(月)19,785歩、歩行距離14.1㎞。ウォーキング66分。曇り、晴れ。

4:30過ぎ 公園4周。66分。

7:30~8:30 健志社長とミーティング。

9:30 門真市A社役員会議。

13:00 京都市B社経営会議。

16:00 大阪CMOにて取引銀行と面談。

17:00 大阪CMOにてC社スタッフと給与改革について打合わせ。

2022年も残りわずか。

師走である。

新年を迎える準備があちこちで始まっている                                             。

何とか無事に2023年の新年を迎えたいものである。

明日(12/27)から12/29はあちこちに仕事で行く。

帯状疱疹の顔の右側のブツブツは峠を越した。

それでも右目は軽い斜視となり右の頭もズキズキと痛い。

切実に辛い。

つくづく人生は順調の日々だけではない。

辛い事もある。

それでも今年も残りわずか。

2022年を越えていく。

生きてる限りは前へ向かって進む事である。

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| 投稿日: 2022年12月27日 | 投稿者: unityadmin

2022/12/25川﨑依邦の日々「家族経営」

12月25日(日)17,004歩、歩行距離11.6㎞。ウォーキング67分。曇り、晴れ。

7:00 公園4周。

67分。

10:00~13:00 大阪CMOにて内務。

新事務所の補修工事をしていた。

職人が3人いた。

職人の親方夫婦もいた。

仕事をしながら夫婦喧嘩をしていた。

親方が「この道具がない」と言って奥さんを叱っていた。

はたから見るといささか微笑ましくある。

日曜日なのにお仕事ご苦労様です。

家族経営である。

心の中で「仲良く頑張って下さい」とつぶやいた。

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| 投稿日: 2022年12月26日 | 投稿者: unityadmin

2022/12/24川﨑依邦の日々「2023年は希望の年でありますように」

12月24日(土)15,013歩、歩行距離9.7㎞。ウォーキング69分。晴れ、曇り。

7:00過ぎ 久しぶりに公園のウォーキングに行く。

4周。

69分。

「久しぶりですね」と道行く顔見知りのおばさんに声を掛けられる。

空を見ると一点の曇りもなく青い空が広がっている。

大阪は小春日和である。

10:00~13:00 大阪CMOにて内務。

15:00過ぎ いつものクラブ温泉(風呂屋)に行く。

オロナミンC1本と牛乳1本を飲む。

「冬があり 夏があり

昼と 夜があり

晴れた日と

雨の日があって

ひとつの花が

咲くように

悲しみも

苦しみもあって

私が私になってゆく」(「悲しみの意味」⦅サフラン⦆2002年)

星野富弘さんの詩である。

1946年生まれ。

1970年頸髄を損傷し手足の自由を失う。

1972年から口に筆をくわえて文や絵を描き始める。

絶望を生きる希望に転化している詩である。

どんなことがあっても生きていかねばならない。

……〝2023年は希望の年でありますように〟心の中で祈りの手を合わせている。

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| 投稿日: 2022年12月26日 | 投稿者: unityadmin