[2021/7/12]川﨑依邦の日々「家にこもるな、町へ出よう」
7月12日(月)17,795歩、歩行距離15.2㎞。禁酒432日目。曇り。
7:30 社長とミーティング。
11:00 A社。
14:00 B社。
17:00 大阪CMOにて面談。
コロナ禍で景気の先行きが読めない。
大企業の2021年3月期決算では絶好調のところもある。
例えば、ヤマト運輸は対前年比2.5倍の経常利益である。
ところが、中小企業ではそうはいかない。
オリンピックがあるといっても
どこまで人の心が明るくなるか不透明である。
観光地は予約が徐々に埋まっていると聞く。
家の中にじっと籠っているのも
そろそろ限界に近づいているのかもしれない。
東京の街もオリンピック期間中は人流が増えるらしい。
すると人の心も徐々に明るくなり、
中小企業の景気も上向くかもしれない。
運送業でもようやく「オリパラ案件」として
オリンピックやパラリンピックの特需も出てきている。
寺山修司という作家の「書を捨てよ、町へ出よう」
という本にちなんで「家にこもるな、町へ出よう」
とのムードになるかもしれない。
梅雨も明けていよいよ夏本番である。
心も明るくパーッといきたい。
[2021/7/11]川﨑依邦の日々「自転車競技」
7月11日(日)14,817歩、歩行距離12.2㎞。禁酒431日目。晴れ。
9:00~14:00 大阪CMOにて内務。
久しぶりに昼間は快晴。
雲一つない青空が広がる。
青空は心までリラックスしてくれる。
ここのところ、雨や曇りの日が続いていたのでなおさらである。
生きていてよかったとしみじみ思う。
夜、NHKテレビの録画してあった
オリンピックの自転車競技代表争い(枠は2人)の番組を見る。
自転車競技は転倒すると腰の骨を折るなどの大怪我をする。
ひどい時は4ヶ月も走れない。
それでも復活してくる。
大逆転で代表枠に滑り込んだ宇都宮の選手は印象に残る。
イケメンで独身である。
かつバセドー病と言う逆境を乗り越えている。
大逆転した自転車レース(スペインで開催)を
ファンが宇都宮の大画面で見守る。
殆ど若い女性ばかりで、
さながら嵐のファンのようである。
両手を合わせて一心に祈るファン。
祈ることのみ。
ついに逆転すると女性ファンは泣き崩れる。
まるでドラマみたいである。
印象に残る。
私からすれば自転車競技は競輪のイメージである。
おっさんが車券を握りしめて勝負する。
小倉から始まって全国のあちこちに競輪場がある。
ギャンブルそのものである。
それがオリンピックの自転車競技となると女性ファンが主力。
所変われば品変わる。
[2021/7/10]川﨑依邦の日々「セミの一生」
7月10日(土)16,764歩、歩行距離14.8㎞。禁酒430日目。曇り。
8:00 シーエムオー役員会。
10:00 シーエムオーグループテレビ会議。
12:00 業務配車会議。
近所の公園にて今年初めてセミの鳴く声を聴く。
セミは地上に出て鳴くまで6~7年かかる。
地上に出たら約2週間精一杯鳴き続けて力尽きる。
いつも7月初旬に近所の公園のセミは鳴き始める。
木々の間を通ると時雨の如くセミの声が降り注いでくる。
いよいよ本格的な夏がやってくる。
セミ時雨の中を通るとき儚さを感じる。
わずか2週間の生命を思うと儚い。
一方、セミの晴れ舞台とも感じる。
6~7年も地中にいてようやく地上に出てくる。
思いっきり悔いのないように輝いてほしいと思う。
セミの鳴き声を耳にすると何故か元気がでてくる。
今年もまた鳴き声を聞けたと思ってホッとする。
1年経ったのである。
去年の夏は力尽きて木にしがみつく力もなく、
地面で動き回るセミを何匹も見た。
ジョギング中、
そのセミを拾って「飛べ。」と気合を賭けても地面に落ちる。
今年も8月の終わり頃には地面でもがくセミを見ることだろう。
これがセミの一生である。
自然界の掟である。
“生きている以上は全力を尽くせ”
とセミの鳴き声が励ましているように感じるのである。
[2021/7/9]川﨑依邦の日々「心の風邪を吹き飛ばせ!」
7月9日(金)14,130歩、歩行距離9.9㎞。禁酒429日目。曇りのち雨。
10:00 A社。
終了後、大阪にとって帰る。
九州や山陰で猛威を振るっている大雨。
梅雨前線が暴れている。
とはいっても梅雨明けも近い。
いよいよ猛暑のシーズンがそこまで来ている。
心してこの夏を乗り切ることである。
汗をしっかりかいて、睡眠も確保し、
食事はきちっと取り、夏バテをしないことである。
土用の丑の日にウナギを食することである。
さらに心を健康に保つことである。
ストレスや不安のせいである日突然心が風邪をひくことがある。
心の風邪は夜眠れないとかなんとなくだるいとかが引き金になる。
世の中には心配しても仕方がないことがある。
たとえばコロナのことである。
コロナばかりはなるようにしかならないと開き直っていくことである。
不安に思ってもどうすることもできないのがコロナである。
[2021/7/8]川﨑依邦の日々「重いカバン」
7月8日(木)5,829歩、歩行距離4.1㎞。禁酒428日目。雨。
関東にて活動。
10:00 A社。
14:00 B社。
雨の中巡回する。
カバンが重い。
本も3冊入っているため、ゆうに10kgはある。
駅の階段もまるで山登りをしているみたいである。
徳川家康の名文句
“人生は重い荷物を背負っていく”
との言葉が浮かぶ。
私の場合は比喩ではなく実際である。
重い。
なかでも800ページもある本は堪える。
「地ひらく」石原莞爾の伝記(歴史物)である。
622ページまで読んでいるのであと200ページ。
完読する。
確かに重いカバンを背負っていると人生の重さを感じる。
一人で生まれて一人で死んでいく。
孤独である。
私の場合、道中は基本一人旅だが、
息子晃弘社長と一緒に歩いているのだと思っている。
周りの人に支えられて何とか一歩一歩進んでいる。
オリンピックは無観客、
東京は緊急事態宣言(8月22日まで)である。
色々な祭りも自粛あるいは中止である。
今年の夏はブルーである。
「重いカバン」が肩にズシリと堪える。
かくなるうえは何気ない楽しみを見つけていくことである。
孫と一緒にセミを捕りに行くとか、
おいしい弁当をテイクアウトで食べるとかである。
とにかくこれからも重いカバンを背負って歩く。
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