[2021/7/27]川﨑依邦の日々「蝉時雨」
7月27日(火)15,415歩、歩行距離13.1㎞。禁酒447日目。曇りのち晴れ。
11:00 大阪CMOにA社来社。
14:00 B社。
17:00~18:30 大阪CMOにて物流経営講座をオンライン開催。
テーマは「事業承継」。
蝉時雨の日々が続く。
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」(松尾芭蕉)というよりも
激しい雨の音みたいである。
この雨もいつか止む。
蝉時雨は人生の儚さを感じさせる。
あと1ヶ月もすれば蝉は次々と力尽きていく。
儚いものである。
さらに時の流れも実感させてくれる。
かくして人生は川のように流れていく。
[2021/7/25]川﨑依邦の日々「オリンピック番組」
7月25日(日)17,820歩、歩行距離14.7㎞。禁酒445日目。晴れ。
8:00~12:00 大阪CMOにて内務。
東京オリンピックにて競泳女子の大橋悠依選手(25歳)が
400メートル個人メドレーにて金メダルをゲットした。
極度の貧血を克服しての大勝利である。
「もう無理です。水泳を辞めます。」
とまで追い込まれつつも遂にやった。
滋賀県出身のスイマーである。
母が貧血を克服する食事メニューを作って支えたのである。
順調な競技生活を送ったオリンピック選手は少ないと思う。
ケガに苦しんだり、極度のスランプに陥ったりして
そこから這い上がってくるのである。
下町スケーター(江東区出身)の堀米雄斗選手も15歳で渡米し、
プロになって東京オリンピックの舞台に立った。
父はタクシー運転手である。
彼のスケボーを支えたのは父である。
息子を渡米させるために父は休みなくタクシーのハンドルを握り、
運転手仲間の洗車を請け負って遠征費を稼いだのである。
大橋悠依選手も堀米雄斗選手も私は全く知らなかった。
今回のオリンピック番組で知った。
2人の人間ドラマに感動した。
阿部兄弟(神戸市出身)の金メダルもすごかった。
勝負の綾というか一瞬の迫力が凄かった。
というわけで昼から夜にかけ「オリンピック番組」を見続けた一日であった。
[2021/7/24]川﨑依邦の日々「風呂屋」
7月24日(土)19,510歩、歩行距離16.3㎞。禁酒444日目。晴れ。
本日は朝起きてすぐ腹筋10回、腕立て伏せ10回した。
ブルーインパルスへの誓いの実践の第一歩である。
腹筋や腕立て伏せは久しぶりであったため、できるか不安であった。
なんとかできた。
9:00 大阪CMO出社。
10:30 警察署にて7月22日の落とし物を無事回収する。
落とし物を回収できて心からホッとする。
夕方は近所の風呂屋に行く。
番台にいつもの女の人の姿はなく、顔がそっくりの女の人がいた。
「いつもの女の人の娘さんですか。」と言うと
「娘?ウフフ。」と嬉しそうに応答する。
後でいつもの女の人に聞く。
「そうですよ。娘です。」と言われる。
いつもの女の人は80歳を超えているとのことである。
そうすると娘さんは50歳は超えている。
「娘?ウフフ。」と嬉しそうにしていたわけがわかる。
いつまでも若く見られて嬉しいのだ。
この風呂屋は優に50年は続いている。
いつもの女の人のご主人は90歳を超えている。
いつの日かいつもの女の人から娘さんへとバトンタッチする日が来るかもしれない。
これが人生というものである。
[2021/7/23]川﨑依邦の日々「ブルーインパルス」
7月23日(金)22,857歩、歩行距離18.2㎞。禁酒443日目。晴れ。
朝は久しぶりに隅田川沿いを走る。
清洲橋→新大橋→両国橋とぐるっと一回りする。
走りやすいコースである。
夏に強い花として真っ赤なハイビスカスが咲いていた。
12:00頃、日本橋三越百貨店の新館前にある
スターバックスで一人でアイスティを飲んでいた。
「あきらめるな!会社再建」(清水直)を読んでいると、
周りの人がそわそわしながらスマホを青空にかざしている。
「何事か。」と読みかけの本を閉じてスターバックスの外に出た。
日本橋の上で多くの人々が空を見上げている。
つられて私も空を見た。
7色の虹の雲である。
ブルーインパルスが空中を飛んでいる。
「そうか、いよいよ東京オリンピックか。」
と思って青空を見続けた。
オリンピック選手の激闘が始まる。
オリンピック選手の爪の垢にも及ばないが、
突然「腹筋と腕立て伏せを毎日しよう。」とひらめいた。
ブルーインパルスが飛ぶ空を見上げてひらめいたのである。
[2021/7/22]川﨑依邦の日々「始末書」
7月22日(木)19,276歩、歩行距離16.2㎞。禁酒442日目。晴れ。
8:25発の飛行機にて伊丹空港より羽田空港に向かう。
久しぶりにJALにて東京へ行く。
伊丹空港に着いて
ブレックファースト(朝食)しているときに重大なことに気が付く。
手提げ袋に入れていた
東京CMOのキーなどが付いたキーホルダーが無い。
しかも名刺入れもない。
慌てる。
すぐさま手荷物検査所に連絡する。
飛行機の出発時刻が近づき、
「これからどうしますか。」と客室乗務員に聞かれる。
「とりあえず、羽田に行く。」と答える。
羽田空港に着くと手荷物検査所から
「全力で探したけれど見つかりません。」と連絡がある。
これはCMOに対して
始末書を書かないといけないかもしれない事態ではと不安が頭をよぎる。
ふと、手提げ袋なので下車する時にキーホルダーや名刺入れが
タクシーの車内で客席に落下したのかもしれないと気付き、
タクシー会社に届いていないかと思う。
タクシー会社に連絡すると、
タクシーの運転手さんが警察署に届けてくれていたことが判明する。
始末書を書く事態は免れる。
それにしても紛失した時は青くなった。
これからは不用意に手提げ袋に大事なものは突っ込まないことにする。
ちなみに名刺入れの中は運転免許証、健康保険証、Suica、
エクスプレスカード、病院の診察券などである。
本当に危ないところであった。
“九死に一生を得る”とはこのことである。
連日、タクシーの運転手さんにはいろいろと助けて頂いた。
感謝する。
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