[2021/8/13]川﨑依邦の日々「雨」
8月13日(金)5,417歩、歩行距離3.4㎞。禁酒464日目。雨。
終日雨が降りしきる。
7:00~12:00 大阪CMOにて内務。
本の片づけはひと段落する。
次は必要な本を残し、
いらない本を選別して処分する予定。
ノンフィクション、歴史物、学習本を3つのテーマとして残す。
いつかやろうと思ってもずるずると引きずるため、
週1回のペースで少しずつ片づけていく。
今日はスロージョギングを休んだ。
ここのところ雨模様。
「雨が空から降ってくる。地面にしみこむ。しょうがない。」
との思いがわいてくる。
どこにも出かける気分にならない。
九州、中国地方では激しい雨が降っている。
いよいよ夏も終わりか。
この雨と一緒にコロナもどこかに飛んで行ってもらいたい。
[2021/8/12]川﨑依邦の日々「本棚」
8月12日(木)15,268歩、歩行距離13.2㎞。禁酒463日目。雨のち曇り。
7:00~10:00 大阪CMOにて内務。
本の片づけをする。
15:00 A社。
新幹線の中は行きも帰りもガラガラであった。
車中は読書をした。
「企業再生の実務」
「事例民事再生法」
そして安岡章太郎の「僕の昭和史」である。
朝、本の片づけをしながら
「こんな本も読んだのか。」と自らの読書人生に思いを馳せた。
「これからあとどれくらい本を読めるだろうか。」
本棚の本を読み返すとしたらとても時間が足りない。
それこそ一生かかっても読みきれない。
「本棚」はその人の人生が映し出される。
他人から見たら私の人生はどのように見えるだろうか。
理科系ではない。
ストレートに言えば文科系である。
[2021/8/11]川﨑依邦の日々「時の流れ」
8月11日(水)24,445歩、歩行距離20.4㎞。禁酒462日目。曇り。
7:00~10:00 大阪CMOにて内務。
速報としてクライアント先の社長より
「死亡事故発生」の連絡が入る。
自社ドライバーによる横断歩道における
通行人の巻き込み死亡事故である。
逃げずに対応していくしかない。
早朝の近くの公園では蝉の鳴き声もない。
この公園の蝉の夏は終わったらしい。
かわりに鈴虫の鳴く声が聞こえる。
時は確実に流れている。
昼前に天王寺にある一心寺へ行く。
一心寺はお墓のない仏さんばかりまつってある。
骨を集めて仏体を作っている。
ここには川﨑専務の母(87歳で死去)がいる。
おばあちゃんがいる。
手を合わせる。
死去して3年以上経っている。
これまた時は流れている。
夕方、久しぶりに青春時代(20代の頃)の友人と近況連絡する。
私は酒をやめ、煙草もやめていると伝える。
「それはびっくりするよ。川﨑依邦とは思えない。
信じられない。酒もたばこも〇〇も辞めて仙人になっているのか。」
「人生は色々あるよ。
時の流れは運命の星に導かれていくものだよ。」と答える。
「相変わらずうまいこと言うね。
あの頃とちっとも変っていないよ。」と言われる。
お盆が近づいている。
時は確実に流れている。
[2021/8/10]川﨑依邦の日々「歯科医院」と「コツコツ」
8月10日(火)18,635歩、歩行距離16.1㎞。禁酒461日目。曇りのち晴れ。
10:00 A社。
14:00 B社。
16:00 C社。
本日は8:20に歯科医院へ行く。
歯のメンテナンスである。
いつもの歯科衛生士の若い女の人が担当である。
いつも手を振ってニコニコと迎えてくれる。
歯科医院は苦手である。
歯を磨くガリガリという音が気に障る。
「口の力を抜いて。」
口に力が入るのである。
「口をいーして。」とか「口を大きく開けて。」とか
いろいろ注文が入るのである。
2ヶ月に1回のペースで歯のメンテナンスがある。
「お変わりはなかったですか。」
「コロナはいつまでも続いていますね。」
…歯科医院に行くと2ヶ月の時間の速さを実感する。
次回は10月。
夏から秋へと時間が経つ。
無事に日々を過ごしていきたいものである。
さて、「企業再生の法務」(きんざい出版、830ページ)を読了する。
私的整理、法的整理の基本的イロハから
経営者保証ガイドラインに至るまでの解説書である。
読了するのに12日間かかった。
いつもカバンに入れて持ち歩いていた。
昨日(8月9日)の台風の雨で本が濡れたりもした。
ようやくこれでカバンが軽くなる。
次は「企業再生の実務」(きんざい出版、420ページ)を読む。
本を読むのもコツコツである。
今度歯科医院に行く10月までにコツコツと全力で本を読む。
[2021/8/8]川﨑依邦の日々「完走することの大切さ」
8月8日(日)13,853歩、歩行距離12.4㎞。禁酒459日目。曇りのち晴れ。
10:00~15:00 大阪CMOにて内務。
早朝6:00頃、いつもの如く近くの公園をスロージョギングする。
約60分である。
激しく蝉が鳴く。
それにしても暑い。木陰を走るとホッとする。
それでも着ているシャツが汗びっしょりとなる。
顔見知りの行きかう人が声をかけてくれる。
少なくとも60歳過ぎのおばあちゃん達である。
「体に気を付けてね。」「今日も頑張っているね。」
「後ろから近付いているのは足音でわかるよ。」
「ワクチンは済みましたか。」…励まされている。
生きている限り完走する。
自宅に帰ってシャツを脱ごうとするが、
汗びっしょりなのでシャツがうまく脱げない。
テレビでは東京オリンピックのマラソンをやっていた。
大迫選手は6位。
両耳のピアスが光る。
(ブランドはどこだろうか。ブルガリか?)
終了後のインタビューは一言で言うとかっこよかった。
「やるだけやりました。自分に100点満点をあげたい。」
と顔の汗と涙をぬぐう。
ピアスがぴかりと光る。
顔もイケメン。ホストタイプである。
次いで中村選手がゴールする。62位。
涙でインタビューに答える。
「スタートラインに立てたこと、
全ての支えてくれた周りの人に感謝します。」
そして73位(後ろから3番目)で服部選手が
文字通り満身創痍でよたよたとゴールする。
ゴールした後は車いすに乗る。
個人的には服部選手の勇気に拍手喝采を送りたい。
途中何度も棄権したいと思ったに違いない。
無様な姿を見せたくないはずである。
106人エントリーして30人も棄権するほどの
過酷なレースを服部選手は完走した。
約25年前、
私も滋賀県の飯道山のバイアスロイン山登りのコースで夏の暑い中、
よたよたになりながらビリで完走したことがある。
その時は晃弘社長(当時14歳)が一緒に走ってくれた。
応援の健志社長(当時7歳)は
専務と一緒にハイキングで参加していた。
何度も辞めようと思ったが、山の中である。
「もうリタイアしますか。」
との声を振り切ってよたよたとゴールを目指したものである。
ゴールの手前100mぐらいは先に走り終わった晃弘社長が伴走してくれた。
優しい少年であった。
その時のことを服部選手の姿を見て思い出した。
「完走することに意義がある場合もあるのだ。」と思ったのである。
勝ち負けを超えて諦めずにやり抜くことが大切なこともあると思った。
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