CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2021/8/21]川﨑依邦の日々「眼鏡購入―視力向上」

8月21日(土)16,199歩、歩行距離14.1㎞。禁酒472日目。曇り。

9:00~12:00 大阪CMOにて内務。

14:00 眼鏡の買い替えに行く。

裸眼の視力は両目0.3とのこと。

眼鏡を付けて視力が0.7ぐらいになるものを購入する。

受取は約1週間後の8月30日。

遠近両用である(価格30,000円)。

確実に視力は上がっている。

かつては裸眼の視力が0.1と言われていた。

もっと前の20代の頃は0.1を切っていると言われた。

このようなことがあるのかと不思議な感じがする。

眼鏡をはずしても文庫本の文字は普通に見える。

自分の老眼はどうなったのであろうか。

これなら眼鏡なしでもいけるかもしれない。

視力検査は日本に100台しかないとの触れ込みの機械で行ったので

間違っているとも思えない。

現在の眼鏡もかけると視力0.7ほどで、

視力は悪くなっていないと言われた。

眼鏡なしでも本を読めるとは大発見である。

試しに眼鏡なしで本を読んでみることにする。

特に支障が無ければ眼鏡なしでいけるかもしれない。

遠くを見るときに眼鏡が必要になるだけかもしれない。

文庫本「借金王」(小島 宣隆,角川文庫)読了。

バブル崩壊後、100億円の借金を抱えて現在に至ると略歴にある。

出版日は2000年11月。

著者は1938年生まれとあり、生存していれば83歳である。

「今も生きているのか。」とちょっと気になった。

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| 投稿日: 2021年08月23日 | 投稿者: unityadmin

[2021/8/19]川﨑依邦の日々「東京駅での婦人」

8月19日(木)14,620歩、歩行距離11.6㎞。禁酒470日目。雨のち晴れ。

8:15発の新幹線にて新大阪より東京へ向かう。

新幹線の車中は乗車率20%ぐらいでガラガラである。

東京に着くと、大きなスーツケースを抱えて

ウロウロしていた婦人(60歳過ぎと思われる)に

呼び止められる。

「尾久駅へはどう行ったらいいのですか。」

上野までの電車に乗ると一緒に着いてきて横の席に座る。

婦人は手元のスマホをいじって

生まれたばかりの赤ちゃんの顔を見ている。

地方から孫に会いに上京してきたのかもしれない。

あるいは徘徊婦人かもしれない。

スーツケースの上に冷麺が入ったスーパーの袋を乗せていた。

「ちょっと変わっているな。」と思いつつ、

上野に着くと「次ですよ。」と教えてあげた。

「ありがとう。」と言われた。

街の中には徘徊している人もいるかもしれないとふと思った。

いわゆるボケ(認知症)の人が歩き回っているかもしれない。

帰り道が分からなくなって途方に暮れているかもしれない。

年をとってくると途方に暮れることもある。

人の名前がすぐに出てこないとかである。

ある経営者はここのところダブルブッキングをよくする。

スケジュールが重なったりするのである。

私は今のところそういうことはない。

人の名前も大体すぐに出てくる。

とは言っても、

東京の街をわけもなく徘徊してしまう日が来ないとも限らない。

私の母は86歳で死去する10年前ぐらいからボケた。

ボケ始めは「財布が無い。」である。

だんだんと目に輝きがなくなった。

そのうち私が何をして生きているかについて

関心が無くなってきた。

「元気か。」の一言である。

そして、施設に入って息子である私が見舞いに行っても

息子とは分からなかった。

それでも調子が良い時は

「私には依邦という子どもがいて、

それは可愛い可愛い男の子だったよ。

よく勉強のできる子だったよ。」と自慢していた。

私は胸がつぶれる思いでその言葉を聞いていた。

親不孝者だったからである。

…東京駅で会った婦人は無事に目的地に着いたかなと思いつつ、

母のことを思い出した。

14:00 A社。終了後、大阪に戻った。

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| 投稿日: 2021年08月23日 | 投稿者: unityadmin

[2021/8/18]川﨑依邦の日々「いろいろな電話」

8月18日(水)4,896歩、歩行距離3.4㎞。禁酒469日目。雨のち曇り。

朝から激しい雨。

10:00 A社。

午後は大阪CMOに戻り、18:00頃まで内務。

携帯に電話がある。

「川﨑さん、〇〇です。」と親しげにいきなり経営相談である。

「申し訳ないですが、私はあなたのことを知りません。」

「17~18年前に一度、

セミナーの後30分ぐらいお会いしたことがありますよ。

本も書いているでしょう。」

私は全く思い出せない。

そんなこともあったかなという程度である。

それにしても17~18年前に一度会ったきりなのに

いきなり電話とはめずらしく不思議なことである。

私は忘れていても「セミナーで会った。」とか

「質問したことあるよ。」とか

私の事を忘れていない人もいる。

「非通知」の電話もかかってくる。

「はい、川﨑です。」すると、ぷつっと切れる。

この「非通知」の電話は何だったのかしばらく気になる。

色々な電話がかかってくる

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| 投稿日: 2021年08月20日 | 投稿者: unityadmin

[2021/8/17]川﨑依邦の日々「てるてる坊主、てる坊主、明日天気になあれ」

8月17日(火)11,426歩、歩行距離8.2㎞。禁酒468日目。雨のち曇り。

6:00 始発の新幹線にて新大阪より一路東京へ向かう。

「今日こそは傘を忘れないようにしよう。」

と傘を握りしめて出発。

9:30 A社。

A社へは最寄駅から約15分歩く。

途中、公園の傍を通ると蝉が鳴いている。

大阪の公園は既に蝉は鳴いていない。

「東京は蝉がまだ鳴いている。」と思った。

A社での打ち合わせ終了後、

新宿そして東京駅八重洲口へと向かう。

八重洲ブックセンターにて本を2冊購入し、

名古屋に向かう。

ふと気が付くと握りしめていた傘が無い。

「やっぱり忘れたか。

どうして毎回傘を忘れるのであろうか。

あれだけ朝は傘を忘れないと誓っていたのになあ。

とほほ。」

15:00 名古屋にてB社長と合流。

17:30 C社長と会食。

C社長とはおよそ5年ぶりの再会。

「お互い生きていたか。」と固く握手する。

C社長の会社は絶好調。

77歳にして意欲たっぷり。

「75歳から経営者は本番突入ですよ。まだまだやりますよ。」

と意気軒昂、ファイト十分。

「先生の日々のブログに元気づけられています。

亡き息子さんの想いを背負って生きておられますね。

頑張ってください。」と、こちらも激励される。

食事はステーキである。

美味しかった。

本は「僕の昭和史」(安岡章太郎)読了。

大学は28歳で卒業。

脊椎カリエスを患い寝たきりになり、2年近くも闘病する。

芥川賞の受賞は30歳を過ぎてからである。

才能と運に恵まれている。

「企業再生の実務」は全420ページのところ

214ページまで読み進める。

もう少しで読了する。

大阪の自宅へは21:00頃着。

世間はコロナ一色である。

そして降りしきる雨である。

それでも一日一日生き抜いていくことである。

雨は必ず止む。

コロナもいつかは峠を越える。

今日一日の活動に感謝する。

「てるてる坊主、てる坊主、明日天気になあれ。」

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| 投稿日: 2021年08月18日 | 投稿者: unityadmin

[2021/8/15]川﨑依邦の日々「人生ドラマ」

8月15日(日)14,286歩、歩行距離9.9㎞。禁酒466日目。雨のち小雨のち曇り。

5:00 スロージョギング。

雨の中約60分。

誰にも会わなかった。

昨日(8月14日)も雨で誰にも会わなかった。

2日続きで雨の中のスロージョギングである。

今日の雨は途中、大粒の雨となった。

激しく地面を叩きつける。

あちこちで水たまりができた。

傘をさしていてもTシャツが濡れる。

汗びっしょりではなく、雨びっしょりのTシャツである。

運動靴の中にも水がしみ込んでくる。

誰もいない公園を走っていると段々と充実感がでてくる。

「こうして生きている」との充実感を覚えるのである。

前人未到の道を踏破しているような気分になり、

無人の荒野を一人行くようなヒロイズムを感じるのである。

ここまでくると変人、奇人かもしれない。

この雨はいつまで続くのか。

ずっと続きそうな気持ちがした。

ところが、大阪CMOにて7:00~12:00で内務をして外に出てみると

雨が上がっていた。

雨は上がるである。

晴れ間もさしている。

公園では幼い子ども達が5~6人遊んでいた。

滑り台やブランコで遊んでいる。

ここのところの雨で家にこもっていたので

パパママにせがんで公園にくりだしたのかもしれない。

早朝の激しい雨はどこへ行ったのやら。

早朝の雨は夢でも見ていたのだろうか。

公園で子どもらが戯れている「平和」と

雨の中のスロージョギングの「激闘」の対比は

「人生ドラマ」を見ている気持ちがする。

雨の日もあれば晴れの日もあるという「人生ドラマ」である。

…かくして時は流れるのである。

カテゴリー: 川﨑依邦の日々
| 投稿日: 2021年08月16日 | 投稿者: unityadmin