[2022/2/19]川﨑依邦の日々「回転寿司」
2月19日(土)13,087歩、歩行距離12㎞。禁酒654日目。曇りのち雨。
5:30過ぎ 近所の公園を4周する。
9:00~13:00 大阪CMOにて内務。
17:00 夕食はくら寿司(回転寿司)に妻と一緒に行く。
2人で2950円。
確かに安い。
すぐ食べられる。
トロ、貝柱、海老、玉子、アボカドサラダ、ウナギ等々である。
一皿125円である。
極上トロ皿は250円である。
茶碗蒸しも250円である。
デザートに大学芋と豆乳アイスを食す。
回る寿司を見てタッチパネルで画面にて次々と注文する。
するとサーと注文したものがやってくる。
IT化している。
席に着いたとき注文の仕方が分からなかった。
回る寿司を手で取ろうとしてもダメだった。
傍らのタッチパネルで注文することに気づいた。
街の寿司屋の店主と会話を楽しむという風情は皆無である。
食べ終えた5皿を投入すると画面がグルグル回る。
ガチャポンで「はずれ」と出る。
当たると何か景品をくれる事になっている。
それにしても目まぐるしく、
何を食べようかと迷う。
メニューが多すぎる。
ようやく決めてタッチパネルで注文する。
回転寿司の中では2人とも会話は殆ど無し。
無言である。
ひたすら画面を見て注文する。
サッとくる品物をすぐ食べる。
忙しい食事タイムである。
周りの客は広い店内で3~4組。
期せずして黙食タイムの回転寿司体験であった。
行くときも帰るときも雨の中タクシーを利用した。
サッと行ってサッと帰る。
タクシー代とあまり変わらない食事代であった。
[2022/2/18]川﨑依邦の日々「生きる」
2月18日(金)7,355歩、歩行距離5.2㎞。禁酒653日目。くもりのち晴れ。
6:00 始発にて新大阪から一路品川へ。
米原あたりは大雪のためノロノロといく。
定刻より45分遅れで東京着。
そこからJR山手線にて池袋へ、
さらに東武東上線にて目的地まで行く。
10:15着。
道中は「贋世捨人」(車谷長吉)を完読する。
私小説の名作である。
A社長と合流し打合せ場所に行く。
公民館のような所である。
12:00ぐらいまでA社長と向かい合う。
広い部屋(50人は入る教室)にて2人だけである。
労務トラブルの解決策について打合せする。
昼食はうなぎ屋でご馳走になる。
ランクは「松」のうなぎのお重と
名物料理の白焼きのうなぎ4切れに肝吸いである。
うな重のご飯は半分残す。
座敷での昼食なので座布団を2枚重ねる。
立ち上がるとき少々難儀する。
「よっこらしょ」と立ち上がる。
再び東武東上線にて次の目的地に行く。
14:00 B社長と合流。
B社長の車にて約10分にある打合せ場所に行く。
部屋に入ると仏壇がある。
数年前に先代が(B社長の父)急死したとのこと。
仏壇は先代が祀ってある。
B社長の母がお茶を持ってきてくれる。
打合せのテーマは「経営改善計画」の作成である。
帰りは最寄り駅から池袋駅へ、そして品川へ。
そこから新幹線に乗って新大阪へと帰り着く。
家に帰り着いて何気なく中井貴一主演の時代劇第6回分を観る。
題名は「雲霧仁左衛門」である。
雲霧一党のメンバーのそれぞれの個性が光っている。
服装とか町並みの雰囲気とか細部にもよくこだわっている。
雲霧一党のメンバーは生きていく中、
親分仁左衛門に助けられてきた。
親分仁左衛門と心の絆で結ばれている。
そこのところがよく表現されている。
原作は池波正太郎である。
今度原作で読んでみたいと思った。
テーマは「生きる」ことにある。
おそらく原作も「贋世捨人」も小説のテーマは「生きる」ことにある。
今日一日私も生きぬいてきた。
[2022/2/17]川﨑依邦の日々「真冬」
2月17日(木)17,001歩、歩行距離15㎞。禁酒652日目。晴れ。
10:30 大阪CMOにてスタッフミーティング。
13:00 大阪CMOにA社来社。
15:00 大阪CMOにB社来社。
朝5:00過ぎの公園でのジョギングは
今冬一番と言っていいほど風が冷たい。
頬がちぎれる感じがして、手も悴む。
それでも枯れ木を見ると小さな芽がでている。
小さな芽が冷たい風にさらされてじっとしている。
本日の最低気温は0℃。
体感では-1℃ぐらい。
さすがに散歩する人も見かけない。
その中を一人ジョギングする。
「雪でも降ればいいのになあ。」
と思っていると小さな雪が風に吹かれて舞ってくる。
ふと見ると公園の外の道路に人がいる。
背中に電球をつけて椅子に座っている。
70歳を過ぎている通行調査の人である。
一日の歩行数を調べている。
仕事とはいえ、大変なことである。
防寒着をまとっているとはいえ…。
思わず「おはようございます。ご苦労さんです。」
と声をかけた。
大阪の真冬も寒いが、もっと寒いところもある。
大雪のところもある。
「生きていくのはつらいことだなあ。」
と真冬のジョギング中にしみじみ思う。
[2022/2/15]川﨑依邦の日々「冬の時代」
2月15日(火)19,517歩、歩行距離17㎞。禁酒650日目。くもりのち晴れ。
5:00 近所の公園を4周する(約60分)。
7:00 大阪CMOに出社。午前中は大阪CMOにて内務。
13:00 京都へ行く。
14:00 A社。
17:00~18:00 大阪CMOにB社来社。
A社とのミーティングはコロナ禍のため60分足らずで終了。
あちこちのクライアントでも陽性者が出たとの連絡が入る。
とはいってもオミクロン株のピークアウトはそろそろ始まっている。
おそらく今年の4月~6月は人の動きも活発になり、
観光業や宿泊関連、飲食関連などは息を吹き返すに違いない。
しかし、じわじわと中小企業の廃業と倒産も増えてくると思われる。
経営にとっては本格的な「冬の時代」が迫ってきている。
[2022/2/13]川﨑依邦の日々「川﨑晃弘社長の墓参り」
2月13日(日)14,670歩、歩行距離13.3㎞。禁酒648日目。くもりのち雨。
8:00~9:00 大阪CMOにて内務。
その後、川﨑晃弘社長の墓参りに行く。
曇り空である。
2016年2月13日に川﨑晃弘社長は突然死(虚血性心不全)した。
公園のジョギング中、
いつもの定時連絡が無いので、
同居していた健志社長に連絡をしたところ異変が分かった。
6:42に死亡を確認した。
それから上京し、葛西警察署にて対面した。
翌日14日に大阪に連れて帰り、
16日に通夜、17日に葬式を行った。
15日は大阪物流経営講座で涙ながらに講師を務めた。
「晃弘」と口にするだけで涙が止まらなかった。
朝の公園で葬式の挨拶の練習をした。
泣いてしまいどうしても挨拶のセリフが詰まるのである。
本番の挨拶も鼻水と涙が止まらなかった。
シーエムオーのスタッフが総出で葬式の準備をした。
晃弘社長の思い出の小冊子も作り、葬式の当日に配布した。
この小冊子が元となり
川﨑晃弘社長追悼本「ピンチはチャンス、スピードは力なり」を
2017年1月に出版することができた。
あれから6年が経った。
川﨑専務も「もっと長生きしてほしかった。」と語りかけていた。
「どうか見守ってください。志はしっかりと引き継いでいます。」
と手を合わせた。
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