[2022/5/26] 川﨑依邦の日々 [マスク無しの人]
5月26日(木)13,953歩、歩行距離 10.3㎞。禁酒750目。晴れ、曇り。
6:15発の新幹線にて東京へ行く。 10:00 A社 面談 13:00 東京CMOにてCMOグループ管理メンバー2人と個人面談 14:00~15:30 関東物流経営講座 終了後すぐに別のCMOグループ管理メンバー2人と個人面談 18:00発の新幹線(自由席)にて新大阪へ。 21:00 自宅に帰り着く。 珍しく新幹線の指定席が取れず自由席(2号車)に乗る。 人々の移動は本格的にコロナ前の水準に戻りつつある。 それでも街ですれ違う人はマスク一色。 私は街で会話をしないのでマスクはしない。 政府の指針も公園等街中で会話をしなければマスク着用は義務としないとなっている。 およそ100人とすれ違ってもマスクをしていない人は見かけない。 たまにアゴマスクの人がいるくらい。 今日はマスクをしていない人、若い男1人に遭遇する。 目と目で「よし」と確認し合う。 さらにこれまた若い女性1人もマスクをしていなかった。 颯爽と靴音を立てて街を闊歩していた。 今日一日で遭遇したマスクをしていない人はわずか2人だけ (私もいれると3人)。 圧倒的少数派である。 電車に乗り、優先席に座る。 車両の乗客は10人ばかりでガラ空きである。 それでも全員マスクを付けている。 私はちょっと配慮してアゴマスクで、 顔を下に向けて寝たふりをする。 これから暑くなる。 せめて街中ではマスク無しの人が徐々に増えてくることを期待する。 |
[2022/5/25] 川﨑依邦の日々 [上を向いて歩こう]
5月25日(水)18,365歩、歩行距離 15.9㎞。禁酒749目。晴れ。
5:00 公園4周、約60分。
7:30 社長とミーティング
9:00 A社 役員会議
11:00 B社 役員会議
15:00 大阪CMOにてC社ミーティング
17:00 大阪物流経営講座(第386回)
「父『永六輔』を看取る」(永千絵・作)を読む。
2016年7月7日享年83歳、
永六輔の娘の著書である。
千絵さんはほとんど化粧しない。
「オンナおじさん」と呼ばれているそうである。
永六輔が「おとこおばさん」と言われていて、
顔がそっくりの娘とのこと。
夫、息子2人、犬1匹、猫3匹と同居している。
永六輔、本名永孝雄の血が千絵さんには色濃く流れている。
親子というものはどこかしら似ているものである。
「上を向いて歩こう」は永六輔作詞である。
涙がこぼれないように上を向いて歩こう、と言っている。
涙はうれし涙ではなく悲しみの涙である。
1人ぼっちの寂しさが滲み出ている。
軽快なメロディに乗せて1人ぼっちの夜でも、
悲しい事や辛い事があっても上を向いて歩こうと言っている。
この歌のメロディと歌詞には
「人生は基本的には悲しく辛いものですね。それでも歩いていこう」
というメッセージが流れている。
19:00過ぎ、大阪物流経営講座が終わって外に出れば、
まだうっすらと明るい。
ふと空を見上げて「上を向いて歩こう」と呟く。
[2022/5/24] 川﨑依邦の日々 [新幹線人生]
5月24日(火)7,246歩、歩行距離 5.2㎞。禁酒748目。晴れ。
6:15発の新幹線にて東京へ行く。
10:00 埼玉県A社にて経営会議。
15:00 埼玉県B社にてミーティング。
終了後は新大阪へ、22:00過ぎに着く。
帰りの新幹線では約2時間寝る。
熟睡し、ハッと気付くと京都駅であった。
思い返せば新幹線で乗り過ごし終点の広島まで行ったことがある。
既に戻る新幹線もなく、駅前のビジネスホテルに1泊し、
翌朝始発の新幹線で新大阪に戻ったことを懐かしく思い出す。
私はベッドの次に新幹線の中でよく眠れる。
たびたび新幹線を乗り過ごし
姫路、岡山、福山そして広島まで行ったものである。
寄り道というか、予期しないところまで連れていかれたものである。
「しまった。また乗り過ごした」とその都度反省したものである。
ところがこの反省は喉元過ぎればなんとやら、で懲りない反省である。
ようやくここ2年ばかりは禁酒のおかげで乗り過ごすことは無くなった。
それでも新幹線の中はよく眠れ、
「ハッ」と気付いて乗り過ごしそうになることもたまにある。
東京から博多行きの新幹線に乗る時は
「乗り過ごしてはいけない」と自戒している。
博多まで行くと帰るのも大変である。
もし乗り過ごして博多まで行ったら、
博多名物の明太子とラーメンを食すこととなる。
目的地を大きく外れても、
それはそれで〝人生至るところ青山あり″
でなんとかなるものである。
私は新幹線で人生のかなりの時間を過ごしている。
新幹線を友として生きている、新幹線人生である。
[2022/5/23] 川﨑依邦の日々 [生々流転]
5月23日(月)16,020歩、歩行距離 11.6㎞。禁酒747目。晴れ。
4:00 倉敷のホテルにて起床。
5:00過ぎ 街の散歩に行く。
倉敷川に沿って歩き、美観地区を一周する。
犬を連れて散歩をしている人とすれ違う。
「おはよう」と声を掛ける。
大原美術館の前も通る。
倉敷紡績創業者の旧家も見る。
重要文化財である。
約60分の散歩であった。
7:00過ぎ 倉敷から岡山、京都へと行く。
9:30 京都にてA社長と合流し銀行に行く。
11:00 A社にて管理ミーティング。
13:00 A社長と社長と一緒に営業開拓訪問する。
食品メーカーの配送をしている会社である。
18:00 大阪市にて業界組合の総会に出席。
大原總一郎の財力はすごい。
倉敷川を造り、美術館を創り、銀行も作る。
倉敷紡績のあったところは倉敷アイビースクエアとなって観光施設に生まれ変わっている。
かつてこの地で紡績女工が汗を流して働いていた。
今は大原總一郎も紡績女工もいない。
皆、生まれては消えていく。
「生々流転」である。
まさに川の流れのように生きているものは流れていく。
「夏草や兵どもが夢の跡」
・・・いろいろ頑張って生きてきても消えていくものは消えていく。
大原一族の繁栄の地も、今は観光地として生まれ変わっている。
「生々流転」は人の世の定めである。
[2022/5/21] 川﨑依邦の日々 [川﨑晃弘社長の志とDNA]
5月21日(土)14,185歩、歩行距離 12.7㎞。禁酒745目。曇り。
5:00 公園4周、約60分。 8:00~12:00 大阪CMOにて内務。 13:00~17:00 CMOグループの経営方針発表会、終了後懇親会。 各拠点9社の事務、管理、配車スタッフが集合する。 約30名。 私はCMOのDNAについて話す。 それは2016年2月13日突然死した川﨑晃弘社長の志のことである。 とりわけ2015年11月スタートした「100日プロジェクト」について話す。 当時2015年11月にM&AしたA社がスタートした。 川﨑健志社長が経営支援の為、埼玉県のB社に常駐していた。 川﨑晃弘社長は大阪の自宅から東京へ長期出張して 「100日プロジェクト」の先頭に立った。 毎日20時頃経営支援先のB社から健志社長が戻り、 晃弘社長と合流する。 ハードワークの日々。 2人で東京のマンションに宿泊しており、 帰宅はいつも23時頃であった。 2016年2月12日も23時頃東京マンションに戻る。 「明日(2/13)はいよいよ大阪に帰る」 ・・・ところが2016年2月13日6:42突然死。 「100日プロジェクト」をやり切って力尽きた。 その後の2月13日(土)から2月20日(土)までの一週間、 CMOは全力で駆け抜けた。 2月16日通夜、2月17日葬式。 そして2月18日はM&AしたばかりのA社の労働基準監督署の監査、 2月20日CMOの新経営体制を発表した。 晃弘社長の代わりに東京と名古屋は健志社長とし、 大阪は別の幹部を登用した。 電光石火の超スピードである。 通夜、葬式の準備はCMOメンバー全員の協力でやり抜いたのである。 葬式の参列者は約400名にも上った。 2015年11月からの 「100日プロジェクト」と2月13日晃弘社長突然死、 2月20日までの1週間こそ晃弘社長のDNAそのものである。 DNAとは「ナニクソ」「艱難辛苦をものともしない」 そして圧倒的な「スピード」のことである。 しっかりと川﨑晃弘社長の志を引き継いで力の限り前進することを誓う。 |
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