[2022/6/6] 川﨑依邦の日々 [紫陽花が咲き誇る]
6月6日(月)13,653歩、歩行距離 10㎞。禁酒761目。小雨が降りしきる。
5:30 東京CMO出社。
いつもの如く川﨑晃弘社長の遺影に手を合わせて
今日一日の無事を祈る。
9:00 千葉県A社。
打合せ後A社の取引銀行に行く。
13:30 埼玉県B社。
B社長と共にB社の管理者一人と個人面談をする。
終了後新大阪に戻る。
18:00着。
ワンルームマンションから東京CMOの事務所まで小雨の中を歩く。
川沿いに色とりどりの紫陽花が咲いている。
およそ300mくらいに渡って咲き誇っている。
薄い紫や薄いピンク、白、青と鮮やかである。
いつもは脇目も振らず歩を進めていたが、
小雨の中ふと目に入った。
「こんなに紫陽花が咲いている」と気付く。
どこからか「やっと綺麗に咲きました」
と紫陽花の声が聞こえる気がする。
いつの間にか季節は梅雨。
真夏の足音もすぐそこまで来ている。
[2022/6/5] 川﨑依邦の日々 [一人ぼっちの一日]
6月5日(日)6,616歩、歩行距離 4.6㎞。禁酒760目。曇り。
6:00発の新幹線にて東京へ。
総武線と京成線を乗り継いで成田へ行く。
10:00 A社の家族会議
13:00に終了し葛西のワンルームマンションへ。
15:30頃到着する。
洗濯用洗剤が無くなっているのでコンビニへ買いに行く。
その後古本屋へ。
夕食は定食屋でカットステーキとミックス定食(1020円)を食す。
食事を終えるとワンルームマンションに戻り
19時のNHKニュースを観る。
その後1時間ばかり文庫本
「あるキャッチボール屋さんの悲劇」
(つかこうへい・作)を読む。
21:00 ワンルームマンションにて就寝
「今日は楽しい一日でしたか」
「・・・」
川の流れのように一日が過ぎていく。
A社での家族会議、
いろいろと乗り越えていかねばならないことがある。
「あきらめない『もうだめだ』のちょっと先に
もう一つ『もうだめだ』があるのだよ」
とA社の頑張りを促す。
心から楽しかった一日はいつ頃のことであろうか。
記憶には直ぐ浮かんでこない。
それでも川は流れていく。
一人ぼっちの一日が過ぎていく。
[2022/6/4] 川﨑依邦の日々 [心残り]
6月4日(土)11,292歩、歩行距離 8.2㎞。禁酒759目。曇り、晴れ。
早朝5:00過ぎ 館林駅前を散歩する。
近くのお寺に行く。
ここに私の学生時代の友人の墓がある。
(2014年12月65歳にて死去)
墓を探したが分からなかったので本堂に向かって手を合わせる。
18歳で上京して三畳の下宿先の隣に彼がいた。
それ以来の親友である。
肺癌で亡くなった。
死去する前の2014年8月にお見舞いに行った。
まさか死ぬとは思わず2時間ばかり気楽に会話した。
もう少しじっくりと彼の話を聞けばよかった。
彼は自分の息子のことを心配していた。
「俺の息子が生活に困らないようにもう少しお金を貯めておけばよかったよ」
彼の息子は大学院を出てフリーターをしていた。
彼は息子の為にお金を貯めようとして60歳で定年退職後
デイトレードで毎日株の取引をしていた。
損はしなかったがお金はたいして貯まらなかったと言っていた。
彼との会話で自分の息子の話がでたのはこの時が初めてであった。
心残りであったと思う。
思えば人生で心残りでないことがあろうか。
人はこの世に心を残す。
無念の想いや果たすことのできなかった夢のこと等、
心を残して旅立って行く。
ウロウロとお寺の墓を歩き回って彼の墓を探したが、
見つからず結局諦めた。
それでも手を合わすことが出来てよかった。
18:00より大阪にてCMOグループA社の
「がんばろう、決起大会」と題する懇親会に出る。
[2022/6/3] 川﨑依邦の日々 [くずかごの中の詩(うた)]
6月3日(金)13,587歩、歩行距離 10㎞。禁酒758目。曇り。
5:00~6:30 東京CMOにて内務。
10:00 埼玉県にてA社長と会談。
12:00 会談終了後JR埼京線と武蔵野線、
更に東武伊勢崎線を乗り継いで群馬県まで行く。
14:00 B社長と合流し経営相談をする。
昨日(6/2)は久しぶりに1971年頃の古い友人に会ったのでその余韻が残る。
それぞれ前を向いて生きている。
一人はコロナで外出もままならないので
自宅でマシンを使って毎日6,000歩のウォーキングをしている。
もう一人は大病を克服して水中ウォーキングをしている
・・・それぞれ今日一日を精一杯生きている。
車中で「くずかごの中の詩」(星野佳正・作)を読む。
作者は1943年生まれ、群馬県出身。
高校の先生(都立代々木高等学校の校長を務める)をしていた。
この本は古本屋で100円で購入した。
ふと本の奥付のページを見ると作者自筆のサインがある。
「私、あの『ちゃんと向き合って話すという言葉が好きなの』
と言われて私も思い出しました。こんな詩です・・・」
と〇〇様―とサインしてある。
ここまで丁寧に自筆でサインしてある本は珍しい。
花「おおい花よ
いつも上ばかり見ていないで
たまには下も
見てみろよ
下から生えてきたんだから」
この「花」の詩はくずかごの中に捨ててあった生徒の詩である。
都立代々木高等学校は進学校ではなく朝、昼、夜の三部制の定時制高校である。
くずかごに捨ててあった生徒の詩を拾い上げて一つの本にしている。
昨日1971年頃の友人に会った余韻の中で詩を読む。
「旅人から旅人へ
自分のために生きてくれ
強く鋭く生きてくれ
『君のために生きてくれ』」
くずかごに詩を捨てた生徒のものである。
彼は庭田忠正、都立代々木高等学校定時制4年生の時の作である。
館林のビジネスホテル泊。
[2022/6/2] 川﨑依邦の日々 [明日からも生きていきます]
6月2日(木)11,568歩、歩行距離 8.4㎞。禁酒757目。晴れ、曇り。
5:00大阪CMOに出社。
関東出張の準備をする。
6:24発の新幹線にて東京へ行き、
一路埼玉県を目指す。
10:00 A社長と合流し車内で打合せをして取引銀行へ行く。
A社の「経営改善計画」について説明する。
14:00 新宿の豪華なホテルの20階にてアフタヌーンティーを楽しむ。
メンバーは1971年頃の学生時代の同期3人である。
17:00 東京駅にてこれまた6年振りぐらいにB君と会食をする。
20:00頃 古本屋に立ち寄ってから宿泊するワンルームマンションに辿り着く。
東京のマンション泊。
人生は右へ行くか左へ行くか、
まっすぐ行くか岐路に立つことがある。
その都度決断してそれぞれの道を行く。
時々あの時右ではなく左に行ったらどうなっていたか、
との思いに沈むこともある。
それでもこうして生きてきた。
1971年頃の友人に会うと吉田拓郎の
「わたしは今日まで生きてみました」のメロディが浮かぶ。
私は今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
「50年前早稲田大学にいた川﨑依邦さんですか」
ある人がCMOのホームページを見て尋ねてきた。
「老眼なのでスマホで拡大して写真を見ましたよ。
間違いなく川﨑君だと確信しましたよ」
「渋くてかっこいい男の人になっているねえ」
・・・1971年頃の友人それぞれも50年以上の風雪を耐えてきた。
「明日からも生きていきます」と励まし合った。
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