[2022/6/2] 川﨑依邦の日々 [明日からも生きていきます]
6月2日(木)11,568歩、歩行距離 8.4㎞。禁酒757目。晴れ、曇り。
5:00大阪CMOに出社。
関東出張の準備をする。
6:24発の新幹線にて東京へ行き、
一路埼玉県を目指す。
10:00 A社長と合流し車内で打合せをして取引銀行へ行く。
A社の「経営改善計画」について説明する。
14:00 新宿の豪華なホテルの20階にてアフタヌーンティーを楽しむ。
メンバーは1971年頃の学生時代の同期3人である。
17:00 東京駅にてこれまた6年振りぐらいにB君と会食をする。
20:00頃 古本屋に立ち寄ってから宿泊するワンルームマンションに辿り着く。
東京のマンション泊。
人生は右へ行くか左へ行くか、
まっすぐ行くか岐路に立つことがある。
その都度決断してそれぞれの道を行く。
時々あの時右ではなく左に行ったらどうなっていたか、
との思いに沈むこともある。
それでもこうして生きてきた。
1971年頃の友人に会うと吉田拓郎の
「わたしは今日まで生きてみました」のメロディが浮かぶ。
私は今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと
「50年前早稲田大学にいた川﨑依邦さんですか」
ある人がCMOのホームページを見て尋ねてきた。
「老眼なのでスマホで拡大して写真を見ましたよ。
間違いなく川﨑君だと確信しましたよ」
「渋くてかっこいい男の人になっているねえ」
・・・1971年頃の友人それぞれも50年以上の風雪を耐えてきた。
「明日からも生きていきます」と励まし合った。
[2022/6/1] 川﨑依邦の日々 [『うつ』を防ぐ]
6月1日(水)18,347歩、歩行距離 15.4㎞。禁酒756目。晴れ。
5:00 公園4周、約60分。
8:00~12:00 大阪CMOにて内務。
内30分はCMOスタッフとミーティング。
14:00 大阪CMOにA社長夫婦が来社。
夕食は久しぶりにお好み焼き屋へ行った。
大阪の粉もん文化は健在である。
豚、エビ、イカのミックス焼きと
食後のデザートにはプリンを食す。
どちらも美味しかった。
私は食べることが楽しみの一つである。
心配事や辛い事、悲しい事があるとご飯が喉を通らないとよく言う。
ご飯をしっかり食べることは生きる上での基本である。
うつを防ぐ鉄則は生活のリズムを崩さないことである。
私は朝は4:00に起きて夜21時までに寝る。
朝起きると晃弘社長の写真に手を合わせ、
供えてある水を替える。
その後5分間ストレッチに腹筋30回と腕立て伏せ30回をする。
それから扇町公園で約60分間のウォーキング。
朝、昼、夕食はしっかり摂り、腹7分目にする。
こうした生活リズムがある限り「うつ」にはならないものである。
「うつ」は心の病である。
些細なきっかけで心が落ち込んで立ち直れなくなることもある。
生活リズムを堅持することである。
きっと心が晴れてくる瞬間がやってくる。
「何があっても大丈夫」と思えてくるものだ。
ふとした瞬間に晴れやかな気持ちになることもある。
目の前の一つ一つの事、生活リズムを崩さず乗り越えていこう。
その内良い事もある。
[2022/5/31] 川﨑依邦の日々 [『一人旅』と『同行二人』]
5月31日(火)6,883歩、歩行距離 4.8㎞。禁酒755目。曇り、時々小雨。6:00 新幹線にて東京へ。
東京駅で上越新幹線に乗り換えて高崎へ。 10:00 A社 経営ミーティング 高崎の空は曇り、雨模様であった。 2~3日前の猛暑はすっかり影を潜めている。 上越新幹線の中は金沢や富山の旅行ブックを手にした乗客でいっぱいであった。 その為私は珍しくいつもの指定席の窓側に座れず通路側の席である。 人の動きが本格化している。 あちこちに旅行する二人連れ、グループ、ツアー客と 続々新幹線のホームに姿を現している。 いよいよコロナ明けが近づいている。 A社ミーティングを終えて上越新幹線にて高崎から大宮へ。 更に京浜東北線と武蔵野線を乗り継いで東所沢へ。 13:30 B社 経営ミーティング ミーティング終了後東京駅へ。 18:00頃 新大阪駅着。 18:30 大阪CMO着。 私の移動は一人である。 孤独なものである。 この活動スタイルは自分に合っている。 旅から旅への「一人旅」である。 道中は本を読んだり時折り風景を観たり、 人の動きを見ている。 いつまで「一人旅」が続くのかとの感慨に耽ることもある。 故・晃弘社長(2016年2月13日突然死、34歳5ヶ月)のことも 常に頭にある。 「実に無念です」 「申し訳なかった」 との想いが頭を離れることはない。 ある人云く「戦死でしたね」。 志半ばに倒れた故・晃弘社長のことである。 戦死だとしたら死地に赴かせたのは誰か、私である。 故に「一人旅」だが 「同行二人」でもある。 一つ一つの仕事、 一つ一つの旅は 私にとって巡礼の日々でもある。 四国八十八ヶ所の巡礼旅の如く、 これからも「一人旅」そして「同行二人」で歩いていく。
|
[2022/5/30] 川﨑依邦の日々 [宝塚歌劇団のポスターを見る]
5月30日(月)19,743歩、歩行距離 17.2㎞。禁酒754目。晴れのち小雨、曇り。
5:00 公園4周、約60分。
8:00~12:00 大阪CMOにて内務
13:30 A社 打合せ
16:00 大阪CMOに戻る。
17:30~大阪CMOにてB社(千葉県)とオンライン会議。
宝塚歌劇団のポスターが宝塚駅のあちこちに貼ってある。
かなり前(約40年以上前)に
「ベルサイユのばら」(漫画家 池田理代子・原作)
を宝塚歌劇団が演じていた。
「ベルサイユのばら」は面白いストーリであった。
原作者の池田理代子は外交官と結婚し今はオペラ歌手になっているという。
彼女は次々と変身していく。
そんなことをふと考えながら宝塚歌劇団のポスターを見る。
有名なスターを輩出している宝塚歌劇団に入るために
3~4才からバレエ、ピアノ、声楽とあらゆる芸事の修行をして
針の穴の如き難関を突破する。
それでもスターになるのはごくごく僅かである。
運の力もある。
日々の凄まじい努力に支えられ、
わずかなチャンスをものにしてスターに成り上がっていく。
一人のスターの陰には何百人もの
あるいは何千人もの汗と涙が埋まっている。
宝塚歌劇団のポスターを見て思う。
この中の誰が頭角を現していくのか、
誰がスターになっていくのか。
努力し続けることのプロセスは尊いものである。
たとえスターになれなくても頑張った人生はその人の宝物である。
誰しも人生の中で宝物は持っている。
[2022/5/28] 川﨑依邦の日々 [子育て]
5月28日(土)20,592歩、歩行距離 17.2㎞。禁酒752目。晴れ。
6:00過ぎ 公園4周、約60分。 すれ違う人との声掛けは 「暑くなってきましたね」になった。 8:00~9:30 大阪CMO内務。 16:00 A社のリーダー会議。 業績は順調に回復している。 子育ては大変である。 ある人云く「親孝行は3才までよ」。 それ以降はいろいろな事がある。 3才までは無邪気にニッコリ微笑む様にどれだけ 「幸せ」な気分にさせられるか。 「産んでよかった」としみじみ感じると言う。 とはいっても3才まで育てる間も大奮闘する。 それがやがて言葉を発し、時には憎たらしい事も言うようになり、 最近では保育園から登園拒否になる子もいる。 小学校に入るといじめもある。 私立の名門中学校に入れようとすると 小学校3年生くらいから闘いが始まる。 特にママの頑張りは鬼気迫るものとなる。 あるいはスポーツをさせると親は毎週土日、 子供に付きっきりとなる。 本格的な野球やサッカー、ラグビーとなると正月もないと聞く。 「子育て」は「親育て」とも言う。 親も成長していくのである。 |
- 最近の投稿
- アーカイブ
-
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
- カテゴリー