[2022/4/2]川﨑依邦の日々「一番風呂」
4月2日(土)14,680歩、歩行距離13.5㎞。禁酒696日目。曇り。
6:30 近所の公園4周。約60分。9km。
9:00~15:00 大阪CMOにて内務。
その後「一番風呂」を目指し、
500円玉を握りしめて風呂屋に行く。
風呂代490円。
靴箱は「一番」、
衣類を入れるロッカーも「一番」をゲットする。
一種の縁起担ぎである。
そのうち宝くじでもあたると良いと思って「一番」にしている。
とは言え宝くじはここ2年間買っていない。
「どうせ当たらない。」と思っているからである。
宝くじは「ひょっとして」という夢を買うものである。
実は風呂屋で「一番」にこだわるのには理由がある。
そのうちこれぞということで「一番」になりたいからである。
これぞとは何か。
日本一の物流の経営コンサルタントである。
自分で決めるものではなく、
他人の評価によって決められるものである。
自らの特徴を生かして伸ばしていく道の中に
「一番」が見えてくると思う。
熱い風呂に無念無想で浸っている。
無念無想の片隅に「一番」になるぞとの思いがわいてくる。
そういえば、水泳の池江璃花子選手も日々「一番」を目指して
冷たいプールに浸かっているとふと思った。
(私は池江璃花子選手のファンである。)
こちらは熱い湯である。
「一番風呂」での見果てぬ夢である。
[2022/4/1]川﨑依邦の日々「鈍足と大地震」
4月1日(金)23,292歩、歩行距離20㎞。禁酒695日目。曇り、晴れ。
5:00 近所の公園4周。約60分。9km。
春とはいえ肌寒い。春冷えである。
9:30 A社。
11:30 大阪駅から新快速に乗り、
三宮や明石を通過して姫路に向かう。
事故の為、延着する。
14:00 B社。
新快速が鈍足となる。
通常であれば姫路まで1時間のところ、
2時間ほどかかり到着する。
早めに姫路に着いて
久しぶりに姫路城の桜を見るつもりであったが断念する。
B社にもギリギリの到着となる。
しかし、鈍足もこれまた味がある。
車中から風景をじっくりと見る。
途中、明石の海が広がっている。
明石海峡大橋ができた時には記念イベントがあり、
徒歩で渡ったことを思い出す。
三宮では1995年1月に阪神淡路大震災があったことを思い出す。
その日は大阪の自宅マンションにて5:47にぐらぐらと揺れ、
びっくりして起きる。
食器棚の食器は壊れた。
大阪でも震度5強。
それでも朝のスケジュールをこなそうとした。
ところが電車は止まっている。
歩いて経営指導先に行ったものである。
約1ヶ月は神戸方面の経営指導先へは行けなかった。
あれから26年。
月日は流れている。
…そろそろ大地震が来るかもしれぬ。
防災グッズもそろえておかなければならない。
大地震が来たら来たでどうすることもできない。
なるようにしかならない。
「鈍足電車」の中で大地震の事であれこれ物思いにふけった。
[2022/3/31]川﨑依邦の日々「エイプリルフール」
3月31日(木)13,918歩、歩行距離10.2㎞。禁酒694日目。曇り。
5:30 ホテルを出て散歩に行く。
まっすぐの一本道を往復する。
約60分。
10:00 「事業譲渡」の件にてクロージング。
13:00 喫茶店にてA社長と面談。
A社長「やる気が出てきました。」とのこと。
これから伴走していく。
18:00 大阪着。
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」
といつも心で呟いてきた。
今年もその通りになった。
いよいよ明日からは4月1日である。
エイプリルフールを知っていますか。
1年に1回、4月1日は嘘を吐いていい日である。
大昔、小学校6年生の時、ある女の子が私に
「大好きです。結婚してあげる。子どももできた。」
とメモを4月1日に渡してきた。
「え!」と驚きうろたえた。
すると
「嘘よ。嘘に決まっているよ。エイプリルフールよ。」
と言われた。
からかわれたのである。
その時、年に1回嘘を吐いていい日、
エイプリルフールがあることを知った。
それでも内心、嘘でも嬉しかったものである。
ちなみにその女の子とは手も繋いだことはない。
時には悲しい嘘を吐かなければならないこともある。
今までを省みれば色々と嘘を吐いてきた。
年に1回どころではない。
それでもエイプリルフールは面白い行事である。
「4月1日、ついに全国のコロナの感染者数はゼロになりました!」
…エイプリルフールの嘘である。
すっきりした4月を迎えたいものである。
「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」
そして4月1日となる。
2022年も早くも1/4過ぎた。
まだ3/4もある。
「人生はこれからです。
明日は必ずやってくる。
明けない夜はない。」
これは嘘ではない。
[2022/3/30]川﨑依邦の日々「晴れの空」
3月30日(水)11,789歩、歩行距離8.7㎞。禁酒693日目。曇り。
5:30 東京CMO着。
内務をして6:30東京駅へ。
東京駅から高速バスに乗り12:00鹿島セントラルホテル着。
A社での経営相談を実施。
テーマは「給与改革」。
それから再び高速バスで東京に戻り川越へ行く。
18:00 B社長と会談。
3月の一日の平均歩行数は15,722歩。
年間2021/5~2022/3の平均歩行数は15,318歩である。
テクテクと歩いている。
どこまで歩き続けることができるか。
行くところまで行く。
寒い日も暑い日も、雨でも嵐でも、、、ひたすら歩き続ける。
元気になる脳内ホルモンが出てくる。
ストレスや落ち込みが薄れていき、気分が晴れてくる。
「人生はなるようにしかならない」と開き直ったりする。
「後ろを振り返るな、前を向け」
と天のメッセージが聞こえてくる時もある。
デコボコ道、登り坂、下り坂、とにかく一歩一歩。
歩き続けたいつの日か一切の曇りない、
気持ちのいい晴れの日に会うことを願っている。
[2022/3/29]川﨑依邦の日々「晃弘社長へ」
3月29日(火)18,292歩、歩行距離16.1㎞。禁酒692日目。曇り。
6:00 始発の新幹線にて東京へ、そして上越新幹線にて高崎へ。
10:00 A社。
18:00 葛西駅前のドトールコーヒーにて
CMOグループのA君(配車担当者)と個人面談。
15:00~17:00 までは葛西臨海公園を散歩する。
6年前朝よくジョギングをしていたコースである。
6年前は晃弘社長が存命の頃である。
ジョギング終了後、
晃弘社長の運転で約5分の所にある東京CMO事務所へ行っていた。
晃弘社長がいなくなってからは
毎朝東京CMOへは葛西から約30分かけて歩いて行っている。
したがって久しぶり、6年ぶりの葛西臨海公園である。
桜はもちろんのこと、
黄色のチューリップが咲いている。
変わりない風景である。
それでもこの6年間は辛い日々が続いている。
心から楽しいと思う日はない。
「もう、終わりにしようと思う瞬間がある。
限界がここにあるんだと感じる日がある。
大きな絶望に飲み込まれそうな夜がある。
けれど、まだ、その手の中に、
それを超えようとする小さな灯りがある。
もう一度、全力を出したいと願う自分がいる。
まだ、まだ、これで終わりじゃない。
自分の知らない最高の自分が
ここじゃないどこかできっと笑っている。
あなたはきっとあなたを飛び越える。
たとえ、それがどんな形であっても。
可能性が、
そこにある。
だから、
進み続ける。」
3月29日朝刊の1ページを使っての全面広告の文章である。
晃弘社長の死から6年、
この文章を目にしてストンと心に落ちた。
まだまだ〝全力を出したいと願っている自分がいる″
〝まだまだこれで終わりじゃない″
この文章は就職や入学、卒業、あるいは新たなる転機に進む
一人一人への応援メッセージのように思う。
葛西臨海公園の自然は続いている。
〝可能性がそこにある。だから進み続ける″
と心の中の晃弘社長に語りかけた。
- 最近の投稿
- アーカイブ
-
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
- カテゴリー