[2022/4/15] 川﨑依邦の日々 [明日のことは思い煩うな]
4月15日(金)6,830歩、歩行距離4.4㎞。禁酒709日目。雨曇り
6:00 始発の新幹線で新大阪から東京へ。
10:00 A社長とミーティング。A社における労務トラブル解決をする。
15:00 B社長と会談。そのあと寿司屋でご馳走になる。
20:00 東京から大阪の自宅へ帰る。23:00頃着。
関東は小雨がぱらついており、一日中肌寒く感じた。
新大阪に22:30頃到着し、
タクシー乗り場付近にあるビルの屋上を見上げると
温度が表示してあり、13℃であった。
温度計を見上げながら自分に問う。
「今日一日全力を尽くしたか?」
「・・・まだまだ、力尽きるところまでは行っていない」
時間の隙間を活用して昼過ぎにドトールコーヒーにて原稿を書いた。
5月号のCMOニュースの原稿である。
タイトルは〝生きる=入るをはかって出ずるを制す″
近くのコンビニから完成原稿を大阪CMOにFAXする。
ドトールコーヒーでは隣の席のおばあさん2人連れの会話が耳に入る。
「うちは60歳で仕事を辞めて、それから趣味の海外旅行によく行ったわ」
「どこに行ったの」「ハワイやタイ、韓国や色々な国」
「誰と行ったの」「女友達と一緒よ。今更主人と一緒に行ってもつまらない」
「主人は留守番よ」「70代は海外を飛び回ったのよ。
さすがに80歳を超えると足が言うことを利かないよ。
行ける時に行っておかないと損よ」
「そうよね、生きてるうちが花よ」・・・・。
5月号CMOニュースのタイトルは初め
〝入るをはかって出ずるを制す″にするつもりだったが、
隣席の会話をさりげなく耳に入れているうちに、
生きる=入るをはかって出ずるを制す″とした。
「生きる」を追加した。
花はいつか枯れるけど、今日一日全力を尽くしていくことだ。
明日は明日の風が吹く。「明日の事は思い煩らうな」である。
[2022/4/14] 川﨑依邦の日々 [今日も走れた]
4月14日(木)19,061歩、歩行距離13.2㎞。禁酒708日目。小雨のち曇り
5:00近所の公園を4周、約60分。
小雨のため傘を差して走った。道行く人は誰もいない。
雨の日は犬の散歩の人もいない。
片方の手でだけで傘を持つと腕が疲れるので左右に持ち替える。
やがて5:30を過ぎるとうっすら明るくなり、
小雨もいつの間にか止んでいた。桜は葉桜になっている。
一か月前はまだまだ暗かったのに夜明けが着実に早くなっている。
小鳥がしきりに鳴いている。「朝がきた」と実感する。
「今日も一日スタート!」と心を励ます。
60分かけて4周走り終えると達成感があり、
脳内のやる気ホルモンが出てくる気がする。
「今日も走れた」と安堵する。いつまで走ることができるか。
たまに走っていると右足がつったり、足の裏が痛くなったり、
膝がガクガクする時もある。
いつの日か走れなくなる日が来るだろう。それもやむを得ない。
スマホの直近一年間のデータでは一日平均12.4km。
40代のころから走っており、
ここ30年間のデータは一日平均10kmを刻んでいる。
10:00 A社にてミーティング。その後銀行へ行く。
16:00 大阪CMOにて事務スタッフとミニミーティング
17:00 大阪CMOにて社長とミーティング
[2022/4/13] 川﨑依邦の日々 [一日一日生きていく]
4月13日(水)17,228歩、歩行距離15㎞。禁酒707日目。曇り、晴れ
4:00起床。いつもの通り自己流のストレッチを10分間。
続いて腹筋、腕立て伏せ、屈伸を30回ずつ行う。
2021年7月24日から始めて一日も欠かしていない。
本日(4/13)で264回目。
5:00公園を4周、約60分ジョギングをする。
いつも左回りで走っている。雨の時は傘を差して走る。
こんなに自分は真面目な男であっただろうか。
そもそも早朝4:00に起きるなどということは青春時代には考えられなかった。
青春時代は一日中寝ていたものである。
社会人になって心配していたことは「朝起きられるか」ということであった。
それが判で押したように毎朝4:00に苦も無く、
目覚まし時計無しで起床している。
さらにストレッチまで毎日するとは我ながら驚きである。
そして60分の朝のジョギングである。
・・・「継続は力なり」ということを信じている。
あるいは「千里の道も一歩から」「ローマは一日にして成らず」・・・
これらの言葉は母から折に触れ聞かされていた。
グータラ生活の私に対して「継続は力なり」
「千里の道も一歩から」「ローマは一日にして成らず」
と諭されたものである。
その母の言葉が心の奥底にしまわれている。
11:00 A社―役員会。
14:00 B社―幹部会。
一日一日生きていく。
[2022/4/12] 川﨑依邦の日々 [アル中の人]
4月12日(火)9,536歩、歩行距離6.8㎞。禁酒706日目。晴れ
6:00 始発の新幹線にて一路成田へ。
10:00過ぎ A社にて経営会議。テーマは給与改革。
16:00 東京CMOに着いてB社長と面談。
終了後新大阪へ戻る。21:00着。
酔いどれクライマー永田東一郎伝を読む。
東大のスキー山岳部で活躍し、エベレストのK7まで登頂する。
彼は強烈なアル中で46歳で死去。
父もまたアル中で56歳で逝っている。
父は家に酒が無くなると台所のみりんまで飲む。
息子の東一郎は「あんなふうになりたくない」と思った。
ところが彼もまたアル中になる。
毎晩ビールのロング缶5本、
それから一人で外に出て朝まで飲み続ける。
1991年頃は1か月の酒代が30万。妻とも離婚する。
東大時代の友人(大企業に勤めている)に借金を重ねる。
サラ金にも行く。そして46歳で逝く。
『「飲みに行く金もない」って言うから
「電車のある時間に帰ってきてね」
ってお金を渡しても朝まで飲んでくる。もう悔し泣きです。
どうして人のお金でそんなに飲めるんだって、
そのうちに言っても無駄だと悟りました。』
離婚した妻のセリフである。
「永田東一郎よ、そこまで飲み続けるのは何故か」
東大を出て建築家になって順調コースを歩んでいたのに・・・。
父と同じアル中になるなんて・・・。
それにしても酒は怖い。私は2020年5月7日から禁酒している。
別にアル中ではなかったと思っている。
それでも酒に酔って2019年10月21日は雨の中、
公園で自転車から転げて腰を強打し圧迫骨折をした。
その時かかった整形外科のドクターに
「あなたの寿命は何かの事故で尽きるかもしれないよ。
何も病気であの世に行くばかりではないよ」と脅かされた。
それ以来ドクターのセリフが頭の片隅に残っている。
そして6か月後の2020年5月7日に禁酒した。
永田東一郎が飲み続ける訳は人生の友が酒しかなく、
孤独な性格であったからだと思う。アルコール依存症は怖い。
[2022/4/9] 川﨑依邦の日々 [映画タイム]
4月9日(土)14,557歩、歩行距離13.4㎞。禁酒703日目。晴れ
5:00 近所の公園を4周、60分。9km。 8:00 CMOの役員会―3月の経営実績のチェックと4月の見直し等。 10:00 CMOグループのテレビ会議。 東京、名古屋、大阪を繋ぐ。9社のメンバー集結。 昼からは1時間ばかり自宅で昼寝。 15:00過ぎ風呂屋に行く。 いつものパターンで牛乳を1本(120円)飲んで新聞、週刊誌を読む。 そのあと古本屋に行く。 50円の文庫本3冊と100円の本2冊を購入、計350円。 夕方は録画してあった映画2本を観る。約4時間。 「我が人生最良の時」とあと1本の題名は忘れた。 いずれもアメリカ映画。 「我が人生最良の時」は日本と戦った3人の太平洋戦争帰りの復員兵の物語。 1人は義手になっている。 義手のトラウマ、コンプレックスを乗り越えて恋人と結婚する。 =「我が人生最良の時」 もう1人は妻と別れて別の女性と恋を実らせていく。 =「我が人生最良の時」 あと1人は銀行の副頭取になって名スピーチをする。 =「我が人生最良の時」 結婚や恋を実らせたり、復帰祝いでの名スピーチが 果たして我が人生最良の時であろうか。 確かに、幸福の一瞬ではあるが、いつまでも幸せが続くものではない。 「良いことは悪い事の始まり、悪いことは良い事の始まり」 人生は最良もあればどん底もある。 それより私の心に残ったのは、復員兵としての心の揺れである。 3人とも良い役者で、戦争のトラウマを上手く演じていた。 アメリカ映画にしては心を描いている。名演技である。 もう一つの題の忘れた映画は一種のコメディである。 4~5人のチームを作って博物館から高い宝石を盗む物語である。 夕方は映画タイムであった。コロナ前は映画館によく行っていた。 コロナの中で足が遠のいたのである。 それでも映画タイムは時々必要だ。 先日アカデミー賞を受賞した日本映画も是非観たいものである。
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