2025/1/2 川﨑依邦の日々「穏やかで静かな一日」
1月2日(木)
昨夕、孫たち3人が来て、にぎやかに遊んでいた。
お年玉も渡した。
それに比して本日は静かで穏やか。
百貨店などどこも休業でしんとする一日。
雑煮の餅を2つばかり食べた。
喉に詰まらせないように味わって食べた。
和菓子の饅頭も1つ口に入れた。
年賀状もめっきり少なくなった。
テレビは途切れ途切れ箱根駅伝を見た。
「実践 企業・事業再生ハンドブック」(全446ページ)を300ページ余り読んだ。
このような一日を穏やかで静かな日というのであろう。
2025/1/1 川﨑依邦の日々「本年の新年メッセージを示す」
1月1日(水)
新年明けましておめでとうございます。
昨年は、シーエムオーグループ1人1人の健闘を心より感謝いたします。
本年はさらに自らの成長と担当する拠点の目標達成に向けて全力を尽くしてください。
私の目標は以下の通りです。
1. 各拠点の2025年10月決算着地と以降5ヵ年収支(2026年10月~2030年10月)の
「経営改善計画」を作成する。作成にあたっては、成り行きの保守的なものとグループ年商100億、経常利益8億へ向けてのチャレンジのものと2つのパターンを作成する。
そのためには、健志社長、各拠点のリーダーとヒアリングを行い、コミュニケーションを踏まえて作成する。
2.2025年、年内にいわゆるM&Aの案件を2件行う。
3.事故件数を2024年と比して2025年は半減を目指す。
私のこの3つの目標は必ず達成を誓います。
プライベートな目標は次の通りです。
1. 自主リハビリとして1日も欠かさず、自宅の廊下の行ったり来たりを100回続ける。
2. 読書は年間100冊読破する。
3. ウエイトコントロールとして57.5kg~59kgの間を維持する。
私の年間のスローガンは「一日一生」です。
2024/12/31 川﨑依邦の日々「年の瀬-大晦日」
12月31日(火)
本日はそれこそ年の瀬。大晦日である。
この1ヵ年、なんとか無事に乗り切った。
無事というのは、現状体調を悪くすることもなかった。
シーエムオーの経営実績も踏みこたえた。
まずは良し。
大阪事務所を主として、なんとかZoom等で経営相談にも対応できた。
来年2025年はどんな年になるであろうか。
「いい1年を過ごせますように」
2024/12/30 川﨑依邦の日々「故・火野正平」
12月30日(月)
11時 大阪事務所にてA社からの事業譲渡のクロージング。
いよいよあと2日で2024年が終わる。
何気なく故・火野正平の「にっぽん縦断 こころ旅~とうちゃこ」を見る。
故・火野正平の追悼番組でもある。
彼いわく、「正平を殺すにゃ刃物はいらぬ、坂の2つもあればいい」
今となってはしんみりする。
私も番組を見ながらあの県に行った、この県にも行ったと懐かしんでいる。
仕事で47都道府県すべてに行った。
なんとなく「夏草や兵どもが夢のあと 夢は枯野を駆け廻る」
という句が思い浮かぶ。
故・火野正平(私と一緒の年齢)は、今頃天国で自転車でどこを駆け巡っているのだろう。
2024/12/29 川﨑依邦の日々「故・渡辺恒雄のロングインタビュー」
12月29日(日)
晴れの日が続く。
録画してあったNHKの「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像〜」を見る。
約4時間のロングインタビューである。
戦争前の学生のときの軍隊時代、戦後の共産党時代。
政治記者としてさまざまな政治の裏舞台。
生涯一記者として墓碑銘まで記してある彼の人生。
実におもしろく見た。
今は亡き大野伴睦の担当政治記者として頭角を現していった。
余談であるが、経営コンサルタントの駆け出し時代1990年代頃、
ある建設会社の社長の使いで、大野伴睦の息子(代議士)に会ったことがある。
今は昔のことである。
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