CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

2025/1/16 川﨑依邦の日々「理不尽の死」

1月16日(木)
11時 大阪事務所でA社の面談。
13時 大阪事務所でZoomにてB社の面談。
ようやくイスラエルとハマスの停戦合意の報に接する。
1月19日からということである。
それまでの数日間(3日間)で死ぬ人もいるだろう。
死ぬ人にとっては理不尽の死である。
世の中には理不尽の死で溢れている。
もっと生きたかったはずである。

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| 投稿日: 2025年01月16日 | 投稿者: unityadmin

2025/1/15 川﨑依邦の日々「瞽女唄(ごぜうた)のこと」

1月15日(水)
10時30分 大阪事務所でシーエムオースタッフの個人面談。
11時30分 大阪事務所でA社のミーティング。
13時 大阪事務所でB社のミーティング。
本日はくもり。
朝の散歩のとき、瞽女唄が浮かぶ。
瞽女とは「鼓を打ったり三味線を弾いたりなどして、歌をうたい、門付けをする
盲目の女芸人」のことである。
最後の瞽女は、105歳で亡くなった小林ハルさん。
彼女は73歳まで現役の瞽女であった。両目が見えない。
チーム3~4人で杖をついて村々を回り人を集めて、瞽女唄を歌い、それを生業とする。
冬は雪の降りしきる田んぼ道を杖をついて歩く。
「村人に喜んでもらいたい」この一心である。
瞽女は生きるために歌う。時には屋根のないところで野宿する。
「ニワトリと一緒で瞽女は死ぬまで歌わないといけない」
生きることの凄まじさを感じる。

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| 投稿日: 2025年01月15日 | 投稿者: unityadmin

2025/1/14 川﨑依邦の日々「精一杯の人生」

1月14日(火)
9時 訪問リハビリ
11時 大阪事務所にてA社長(明石市)と個別面談
13時 大阪事務所にてB社長とZoomにて個別面談
14時 大阪事務所にてシーエムオースタッフと個人面談
このところあちこちで風邪、もしくはインフルエンザにかかったとのニュースに接する。
私は今のところ大丈夫。
三度の食事も美味しく食べている。
体重は58㎏~59㎏で去年の今頃より1㎏くらい増えている。
睡眠時間は8時間をキープしている。
日々を大事にして精一杯の人生である。

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| 投稿日: 2025年01月15日 | 投稿者: unityadmin

2025/1/13 川﨑依邦の日々「サンドウィッチマンの病院ラジオ」

1月13日(月)
本日は各地で成人式。
サンドウィッチマンの病院ラジオ「神戸・長田 西市民病院編」を見る。
印象に残ったひとつは在日の84歳のおばあさん(オモニ)。
冷麵屋をずっと続けていたが、84歳にして癌が判明する。
「もうこの歳やから手術したくない」
ところが娘3人の勧めが決め手となって
「一日でも娘たちのために長生きしたい」と10時間にも及ぶ手術に耐える。
オモニが病気になって娘たちは言う。
「オモニを介護するのは感謝しかない。オモニ、ありがとう。」
ここにも必死で生きようとしている人がいるとジーンとした。

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| 投稿日: 2025年01月15日 | 投稿者: unityadmin

2025/1/12 川﨑依邦の日々「一人きりの成人式」

2025年1月12日(日)
まもなく成人の日。
地方によっては今日の日もある。
成人を迎える人にとっては、いよいよ大人へのけじめの日。
私の成人式は、ふるさと広島にも帰らず東京で迎えた。
一人の成人式であった。
「いよいよ成人になる」と思ったものである。
ポール・ニザンという小説家の
「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと
だれにも言わせまい。」
という一句に共感したものである。
たしか東京の3畳一間の下宿で一人きりの成人式であった。
あれから55年の月日。
吉田拓郎のフォークソング「今日までそして明日から」の
一句が思い浮かぶ。

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| 投稿日: 2025年01月15日 | 投稿者: unityadmin