2025/1/21 川﨑依邦の日々「自国第一」
1月21日(火)
9時 訪問リハビリ。
11時 大阪事務所にてA社とミーティング。
13時 大阪事務所にてB社とミーティング。
14時30分 大阪事務所にて金融機関とミーティング。
ついにトランプ大統領となる。
不法移民が強制送還されると送還される国(例えばメキシコ等)も不法移民も
どうしていいかと困る。
そんなことは知ったことかとアメリカ第一を実行する。
世界のトレンドは自国第一となる。
日本の国も自国第一となるのではないか。
ますます格差が広がるのではないか。
2025/1/20 川﨑依邦の日々「経営改善計画の作成」
1月20日(月)
11時 シーエムオースタッフと個人面談。
13時30分 大阪事務所にてA社と打ち合わせ。
本日は暦の上では1年でもっとも寒い大寒の日。
しかし、天気は4月頃という暖かい日。
シーエムオーの「経営改善計画」の作成を主目的とする個人面談は約60人に及ぶ。
予想していたとはいえ大変なコストと時間がかかる。
しかし、2月初めまでには峠を越えたい。
2025/1/19 川﨑依邦の日々「広島の街」
1月19日(日)
本日は晴れ。
何気なくNHKの「第30回全国都道府県対抗男子駅伝」を見る。
コースは広島の街を走っていく。
ゴールは平和公園のところであった。
折り返しは宮島であった。
この街を18歳のときに出た。
いろいろなことがあった。
私の母が2000年9月27日に86歳で死去するまで
年に1~2回のペースで帰省していた。
それからは、仕事でちょくちょく広島に行っていた。
画面で見ると広島の街は大きく変わっている点(特に広島駅前)と
見慣れた風景が広がっていた。
感慨に浸って画面を見続けた。
感慨とは「この街で私は生まれたのだ」との想いである。
2025/1/18 川﨑依邦の日々「ifに取り囲まれている」
1月18日(土)
8時 シーエムオーの役員会議。
10時 シーエムオーの各拠点テレビ会議。
12時 大阪事務所にてA社長と面談。
14時 大阪事務所にてシーエムオースタッフと面談。
本日は晴れ。
昨日に続いて阪神淡路大震災の追悼番組を見る。
様々な追悼番組に接するたび、故・晃弘のことが思い出される。
もしも(if)あのとき、こうしていたらあんなことにならなかったのに…。
後悔の念が残る。
人生はその都度ifに取り囲まれている。
2025/1/17 川﨑依邦の日々「故・晃弘と共に生きる」
1月17日(金)
9時 訪問リハビリ。
11時 大阪事務所にてシーエムオースタッフと面談。
13時 大阪事務所にてZoomにてA社のミーティング。
本日は阪神淡路大震災の日から30年。
6,434人が犠牲となり、30万人以上が避難した。
テレビ各種で30年を期しての番組がある。
それを見るとまだまだ生き残った者は当然つらい。
私も8年経ったが亡き息子、晃弘(2016年2月13日突然死・34歳5ヵ月)のことが
まざまざと昨日のことのようによみがえる。
生き残った私は、息子晃弘にお詫びしたい。
「もっと生きたかったのにすまない」と晃弘に言いたい。
阪神淡路大震災で生き残った人々は、あの日のことは心に刻まれていると思う。
私も晃弘のことは、一口で言葉にできないが
心の中の晃弘と共に手を取り合っていきたい。
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