[2022/5/24] 川﨑依邦の日々 [新幹線人生]
5月24日(火)7,246歩、歩行距離 5.2㎞。禁酒748目。晴れ。
6:15発の新幹線にて東京へ行く。
10:00 埼玉県A社にて経営会議。
15:00 埼玉県B社にてミーティング。
終了後は新大阪へ、22:00過ぎに着く。
帰りの新幹線では約2時間寝る。
熟睡し、ハッと気付くと京都駅であった。
思い返せば新幹線で乗り過ごし終点の広島まで行ったことがある。
既に戻る新幹線もなく、駅前のビジネスホテルに1泊し、
翌朝始発の新幹線で新大阪に戻ったことを懐かしく思い出す。
私はベッドの次に新幹線の中でよく眠れる。
たびたび新幹線を乗り過ごし
姫路、岡山、福山そして広島まで行ったものである。
寄り道というか、予期しないところまで連れていかれたものである。
「しまった。また乗り過ごした」とその都度反省したものである。
ところがこの反省は喉元過ぎればなんとやら、で懲りない反省である。
ようやくここ2年ばかりは禁酒のおかげで乗り過ごすことは無くなった。
それでも新幹線の中はよく眠れ、
「ハッ」と気付いて乗り過ごしそうになることもたまにある。
東京から博多行きの新幹線に乗る時は
「乗り過ごしてはいけない」と自戒している。
博多まで行くと帰るのも大変である。
もし乗り過ごして博多まで行ったら、
博多名物の明太子とラーメンを食すこととなる。
目的地を大きく外れても、
それはそれで〝人生至るところ青山あり″
でなんとかなるものである。
私は新幹線で人生のかなりの時間を過ごしている。
新幹線を友として生きている、新幹線人生である。
[2022/5/23] 川﨑依邦の日々 [生々流転]
5月23日(月)16,020歩、歩行距離 11.6㎞。禁酒747目。晴れ。
4:00 倉敷のホテルにて起床。
5:00過ぎ 街の散歩に行く。
倉敷川に沿って歩き、美観地区を一周する。
犬を連れて散歩をしている人とすれ違う。
「おはよう」と声を掛ける。
大原美術館の前も通る。
倉敷紡績創業者の旧家も見る。
重要文化財である。
約60分の散歩であった。
7:00過ぎ 倉敷から岡山、京都へと行く。
9:30 京都にてA社長と合流し銀行に行く。
11:00 A社にて管理ミーティング。
13:00 A社長と社長と一緒に営業開拓訪問する。
食品メーカーの配送をしている会社である。
18:00 大阪市にて業界組合の総会に出席。
大原總一郎の財力はすごい。
倉敷川を造り、美術館を創り、銀行も作る。
倉敷紡績のあったところは倉敷アイビースクエアとなって観光施設に生まれ変わっている。
かつてこの地で紡績女工が汗を流して働いていた。
今は大原總一郎も紡績女工もいない。
皆、生まれては消えていく。
「生々流転」である。
まさに川の流れのように生きているものは流れていく。
「夏草や兵どもが夢の跡」
・・・いろいろ頑張って生きてきても消えていくものは消えていく。
大原一族の繁栄の地も、今は観光地として生まれ変わっている。
「生々流転」は人の世の定めである。
[2022/5/21] 川﨑依邦の日々 [川﨑晃弘社長の志とDNA]
5月21日(土)14,185歩、歩行距離 12.7㎞。禁酒745目。曇り。
5:00 公園4周、約60分。 8:00~12:00 大阪CMOにて内務。 13:00~17:00 CMOグループの経営方針発表会、終了後懇親会。 各拠点9社の事務、管理、配車スタッフが集合する。 約30名。 私はCMOのDNAについて話す。 それは2016年2月13日突然死した川﨑晃弘社長の志のことである。 とりわけ2015年11月スタートした「100日プロジェクト」について話す。 当時2015年11月にM&AしたA社がスタートした。 川﨑健志社長が経営支援の為、埼玉県のB社に常駐していた。 川﨑晃弘社長は大阪の自宅から東京へ長期出張して 「100日プロジェクト」の先頭に立った。 毎日20時頃経営支援先のB社から健志社長が戻り、 晃弘社長と合流する。 ハードワークの日々。 2人で東京のマンションに宿泊しており、 帰宅はいつも23時頃であった。 2016年2月12日も23時頃東京マンションに戻る。 「明日(2/13)はいよいよ大阪に帰る」 ・・・ところが2016年2月13日6:42突然死。 「100日プロジェクト」をやり切って力尽きた。 その後の2月13日(土)から2月20日(土)までの一週間、 CMOは全力で駆け抜けた。 2月16日通夜、2月17日葬式。 そして2月18日はM&AしたばかりのA社の労働基準監督署の監査、 2月20日CMOの新経営体制を発表した。 晃弘社長の代わりに東京と名古屋は健志社長とし、 大阪は別の幹部を登用した。 電光石火の超スピードである。 通夜、葬式の準備はCMOメンバー全員の協力でやり抜いたのである。 葬式の参列者は約400名にも上った。 2015年11月からの 「100日プロジェクト」と2月13日晃弘社長突然死、 2月20日までの1週間こそ晃弘社長のDNAそのものである。 DNAとは「ナニクソ」「艱難辛苦をものともしない」 そして圧倒的な「スピード」のことである。 しっかりと川﨑晃弘社長の志を引き継いで力の限り前進することを誓う。 |
[2022/5/19] 川﨑依邦の日々 [心のネジ]
5月19日(木)9,848歩、歩行距離 7.1㎞。禁酒743目。曇り、晴れ。
5:30 大阪CMO出社。机の上の整理をする。
6:30頃 なか卯にて540円の目玉焼き朝定食
(ご飯小盛、目玉焼き、味付け海苔、ベーコン、牛小鉢)を食べる。
店内は現場系(ガテン系)の男性ばかり。
頭の上にタオルを巻いているオッサンもいた。
7:00過ぎ 大阪駅から兵庫県A社に向かう。
A社にて「働き方改革」のプロジェクト会議で、司会を務める。
昼食は電車の中でパン2つと牛乳1本、500円。
13:00 大阪CMOにてCMOグループB社の経営、給与査定会議。
終了後内務。
「財界革新の指導者」8巻(TBSブリタニカ)を完読する。
これで今年に入って53冊の本を読了した。
夕方はなべ焼きうどん(1100円)を食す。
「心のネジ」という言葉が浮かぶ。
誰しもがネジを締めている。
朝起きて顔を洗い、歯を磨く。
食事をし、仕事をする。
この当たり前の日常は心のネジによって支えられている。
何かのきっかけでネジが緩むと、心身の不調となる。
登校拒否、出社拒否、何もしたくない、ご飯も食べたくない、眠れない
・・・心身のバランスが崩れたり、鬱になる人もいる。
何故ネジは緩むのか、よく分からない。
過度のストレス、不安のせいであろうか。
朝起きる時からリズムを作り、当たり前の日々を過ごしていく。
何気ない日常を一つ一つこなしていく。
緩んでいると思ったら心のネジを締める。
心のネジは自らで「よし」や「ナニクソ」と気合を入れることで締まっていく。
[2022/5/18] 川﨑依邦の日々 [嵐に抗して生きよ]
5月18日(水)11,660歩、歩行距離 8.4㎞。禁酒742目。曇り、晴れ。
5:00 東京CMO出社、内務。
6月のCMOニュース第1面の原稿作成等。
9:00~13:00は千葉県の京成沿線を回る。
9:00 A社にて打合せ。
その後A社の取引銀行2行をA社長と一緒に回る。
12:00頃A社に戻り「経営改善計画」のコンセプトについての打合せをする。
終了後は大阪へ、17:00大阪CMO着。
6月のCMOニュース第1面のタイトルは〝嵐に抗する″である。
時代の風向きは、先行きが不透明のみならず暗雲が立ち込めている。
これから先どうなるのか・・・景気は失速する恐れもある。
テレビで、ウクライナのマリウポリにて
84日間地下に籠って闘い続けた兵士が投降している映像を見た。
女性兵や片腕の兵士もいる。
「よくぞ籠城戦を耐え抜いた」
ウクライナの参謀本部の命令で投降したのである。
「生きて帰ってほしい」のメッセージである。
アゾフ大隊のリーダーは「徹底抗戦。血の一滴まで闘う」と言っていた。
しかし「生きて帰ってほしい」。
テレビ画面の女性兵士、男性兵士の引き締まった口、
カッと開いた目を見ると「やるだけやった」という思いと、
「疲れ果てた」という心情が伝わった。
闘う事の厳しさが漂っている
・・・「嵐に抗して生きよ」このメッセージを6月CMOニュースに込めた。
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