[2022/3/22]川﨑依邦の日々「就職記念日」
3月22日(火)18,163歩、歩行距離12.7㎞。禁酒685日目。雨。
5:00 近所の公園4周。60分。9km。
7:30 社長とミーティング。
11:00 A社長と一緒に銀行に行く。
16:00 大阪CMOにてオンラインでB社長と面談。
17:00 大阪CMOにてC社長と面談。
3月22日は私にとって就職記念日である。
1977年3月22日、社会人としてスタートした日である。
東京から電車を乗り継いで徳島にて入社式を迎えたのである。
新幹線で岡山まで行き、高松まで宇高連絡船に乗っていく。
高松で降りて大きな公園(栗林公園)を散歩した。
桜のつぼみが顔をのぞかせていた。
それからいよいよと思って高徳線(高松から徳島行)に乗り、
未知の土地へと行ったのである。
いままでの時代にさよならして
これから次のページを開いていく、
ゼロからの第一歩を踏みしめていく気持ちであった。
俵万智さんのサラダ記念日
「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
ならぬ
「三月二十二日は就職記念日」である。
今年で満45周年である。
自分一人で生きているのではない。
出会う一人一人に助けられてきた。
感謝あるのみ。
過ぎ去った日は返ってこない。
「今」があるのみ。
「今」を精一杯生きていくことが大事である。
「就職記念日」にあたって自らに言い聞かせる。
「初心を忘れるな。
不安の中でこそ次の1ページをめくった時の
『ファイト』精神を思い出せ!」
…人生はこれからも続く。
「ファイト」の一言に尽きる。
[2022/3/21]川﨑依邦の日々「3連休」
3月21日(月)17,181歩、歩行距離14.4㎞。禁酒684日目。曇り。
6:00 近所の公園4周。60分。9km。
8:00~11:00 大阪CMOにて内務。
4月のCMOニュース、原稿作成等。
夕方は韓国ドラマを続けざまに3本見る。
一旦見ると続きを見たくなってしまう。
時代劇である。
娘を殺された父親の奮闘ぶりを軸として展開する。
スリルに満ちた展開である。
たしか題名は「チェイサー」。
全シリーズで16話ぐらいあり、
この3連休で6話まで見た。
韓国ドラマを楽しんだ3連休であった。
[2022/3/20]川﨑依邦の日々「お彼岸の墓参り」
3月20日(日)15,075歩、歩行距離13.2㎞。禁酒683日目。曇り。
6:00 近所の公園4周。60分。9km。
8:00~9:00 大阪CMO内務。
その後、お彼岸の墓参りへ。11:00着。
13:00~15:00 大阪CMOに戻り、内務。
日本のリーダー全15巻(TBSブリタニカ)
をようやく5巻まで読み進める。
全シリーズ読破はこのペースだと6月末ぐらいまでかかる。
一旦読み始めると完読を目指す。
この本は伝記みたいなもので、
1冊に5人分が紹介されているため
全部で75人の伝記を読むことになる。
いろんな生き方があるものである。
お墓にて手を合わせて
川﨑晃弘社長(私の長男、34歳5ヶ月、2016年2月13日死去)、
川﨑勘作(私の父、67歳、1976年12月16日死去)、
川﨑アサ子(私の母、86歳、2000年9月27日死去)
に頭を垂れる。
いつの日か私も墓に入る時が来る。
それまでは一日一日精一杯全力で生き抜いていく。
日本のリーダーシリーズ(伝記)を読むと
一人一人の人生にはいろいろなことがあると感じる。
文字通り山あり谷ありである。
寿命は天命である。
生かされていることに感謝する。
お彼岸の日においしいものを食すのも人間の知恵である。
おはぎを2つとモロゾフのプリンとチーズケーキを1つ食す。
死んだ人、私の長男晃弘や父、母に恥じない生き方を墓前にて誓う。
そして守ってくださいともお祈りする。
[2022/3/19]川﨑依邦の日々「世相」
3月19日(土)15,794歩、歩行距離13.8㎞。禁酒682日目。曇り、雨。
6:00 近所の公園4周。60分。9km。
いつもと1時間遅いと公園で出会う人の顔ぶれも変わる。
犬の散歩の人が増えてくる。
9:00~15:00 大阪CMOにて内務。
3月の物流経営講座での講演内容をチェックする。
15:00過ぎ 風呂屋に行く。
朝日新聞「声」欄をまとめた
「声」(朝日文庫)の1945年~1947年版を読む。
1945年8月15日に日本が太平洋戦争に敗戦した頃から
2年間の投書欄である。
一口に敗戦のショックとは言いながらも
敗戦の翌日からケロリとしてこれからしっかりと生きて頑張ろう
と呼び掛けている声が多い。
食糧難の時代である。
農家から野菜を盗んだ野菜泥棒を叩き殺した農民が
無罪となったことを取り上げて野菜泥棒を取り締まれ
と投書しているものもあった(1945年8月3日付)。
野菜を盗んで叩き殺された人は
今から思えば哀れなことこの上ない。
「女性に足袋を履かせよ」(1945年9月6日)との投書もある。
アメリカ兵の進駐にあたって
アメリカ兵は女性の素足に異常な関心を示すので
足袋の配給を急げというものである。
黒だろうが白だろうが構わないので
一日も早く配給をお願いするとある。
着る服もない時代である。
「声」の投書を読むと
1945年~1947年の時代の世相をつくづく感じる。
今の時代はようやくコロナの重圧が薄れつつある。
街に人があふれ出す。
これからどんな世相が展開していくのであろうか。
[2022/3/18]川﨑依邦の日々「明日があるさ」
3月18日(金)16,689歩、歩行距離14.6㎞。禁酒681日目。雨。
5:00 近所の公園4周。60分。9km。
6:00過ぎより雨となる。
そのまま終日雨。
8:00 大阪CMOにて社長とミーティング。
10:00 A社長と合流。
13:00 大阪CMOにB社来社。
15:00 大阪CMOにて金融機関と打ち合わせ。
夕方18:00頃、外へ出ると雨が降りしきっている。
風呂屋へ行こうと思ったが、
雨の中自転車を漕ぐのが鬱陶しい気がして中止する。
心の中で“明日があるさ、明日があるさ”とハミングする。
いつまでも雨が降り続くこともない。
土砂降りも止む。
雨の日もあれば晴れの日もある。
“待てば海路の日和あり”
―今は思うようにいかなくても、
じっと待てばそのうちにチャンスがめぐってくる。
だから辛抱強く待て―
である。
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