[2021/5/19]川﨑依邦の日々「傘の忘れ物と人生の忘れ物」
5月19日(水)17,994歩、歩行距離13.6㎞。禁酒378日目。曇りのち雨。
11:00 A社。
15:00 B社。
雨が降り続く一日。
名古屋では傘を2回忘れそうになる。
1回目は本屋である。外に出て雨が降っていたので引き返す。
2回目は名古屋駅の新幹線の待合室である。
ホームまで上がってすれ違う人が傘を持っていたので気が付く。
大阪に戻ってB社との打ち合わせ終了後
「傘を忘れていますよ。」と声を掛けられる。
一日で合計3回も傘を忘れそうになる。
なんとか傘を無事に家まで持って帰ることができた。
今まで傘の忘れ物は数えきれないほどである。
「どうしてこんなに傘をよく忘れるのだろうか。」
「今度こそ忘れないようにしよう。」と固く決意してもあえなく崩される。
無事に家まで傘がたどり着くことはない。
「今年の梅雨は何本傘を忘れるだろうか。」
…今年こそは傘の忘れ物はしないようにしようと固く決意している。
ところで傘の忘れ物くらいはまだ可愛い。
時々、人生の忘れ物は無いか反省する。
人生の忘れ物、例えば、父と母に感謝の言葉を伝えたことはあったか。
色々な人生の節目、節目で大事なことを伝えることを忘れていなかったか。
…どうも忘れ物だらけのような気がする。
過去は振り返っても仕方ない。
「明日、天気になあれ。」と呟く。
[2021/5/18]川﨑依邦の日々「梅雨シーズンに入る」
5月18日(火)12,858歩、歩行距離9.6㎞。禁酒377日目。曇りのち雨。
10:00 大阪CMOにてZoomを使用し、A社と会議。
午後は5月25日17:00からの物流経営講座のレジュメの作成、
6月のCMOニュースの原稿執筆などの内務。
梅雨の季節に入る。
ここのところ曇り空や小雨の日が続く。
とはいっても紫陽花の花が咲いているのを目にしていない。
そのうち紫陽花の花を目にすることになるだろう。
例年に比して梅雨シーズンに入るのは1ヶ月近くも早いらしい。
すると、暑い夏が早くやってくることになるか。
季節の変調の兆しがある。
地震や台風などの天災がやってこないことを祈る。
[2021/5/16]川﨑依邦の日々「永遠の嘘をついてくれ」
5月16日(日)16,534歩、歩行距離12.2㎞。禁酒375日目。雨。
13:30~16:00 「事業承継アドバイザー」の試験日である。
時間ギリギリまで向き合った。
合格ラインは60点のため、クリアしたと思う。
次は6月6日の「事業性評価3級」である。
自宅に帰って2006年に静岡県つま恋多目的広場で行われた
吉田拓郎のライブを見た。
集まった人は何万人である。
途中、中島みゆきが飛び入り参加した。
「永遠の嘘をついてくれ」を吉田拓郎とコラボして歌った。
「ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便はまだ まにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けして行けない場所でもないだろうニューヨークぐらい
なのに永遠の嘘を聞きたくて
今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて
今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ
いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ
なにもかも愛ゆえのことだったと言ってくれ」
私にとっての永遠の嘘とは何か。
「〇〇になってみせる。」とか「〇〇を成し遂げる。」とか
いわゆる見果てぬ夢のことである。
私は「永遠の嘘」を吐き続けようと思う。
そのひとつが「株式会社シーエムオーが年商100億を成し遂げる。」である。
見果てぬ夢とはいいながら「志」は続く。
[2021/5/15]川﨑依邦の日々「成長のバネ」
5月15日(土)12,781歩、歩行距離9.1㎞。禁酒374日目。曇りのち晴れ。
9:00~16:00 大阪CMOにて内務。
5月16日の「事業承継アドバイザー」の試験準備をする。
合格レベルに達していることを確信する。
「何故、勉強するのか。」ひとつは知識の習得の為である。
知らないことを知ることは楽しいものである。
合格してもそうでなくでも仕事に直接響くことはない。
学ぶ楽しさを味わう為である。生涯学習の為である。
合格しても誰に褒められるわけでもない。
合格して当たり前と思われている。
とはいっても、天国の晃弘社長には褒められたい気もする。
「よくやっているね。」と一言褒められたい。
それでもまだまだ先の話、私があの世に行った時の話である。
人は褒められて成長するものである。
時には失敗して悔しい思いをしてもそれをバネとして成長するものである。
私の成長の原動力は闘争心である。
戦う気持ちがなくなると引退の時である。
読売ジャイアンツの王貞治氏曰く
「私が引退を決めたのは三振しても悔しくなかったからです。
ホームランを打ちたいという気持ちが薄れてきたのです。
闘争心が無くなってきたのです。」
成長のバネとなるものは
「褒められること」や「なにくそ」という闘争心である。
[2021/5/14]川﨑依邦の日々「アンパン1つ」
5月14日(金)16,256歩、歩行距離10.6㎞。禁酒373日目。晴れ。
10:00 A社。
14:00 B社。
16:00 C社。
大塚正士氏(大塚製薬グループの創業者)の伝記を読む。
私が大学を卒業して入社した会社が大塚グループの一社であった。
この一社は赤字会社であった。
大塚正士会長が直接週に1~2回この赤字会社の立て直しにみえていた。
当時、私は社長室というところに配属されており、
大塚会長の秘書みたいなこともした。
昼は粗食で、いつもアンパン1つ。
夜は料亭などで豪華な食事である。
私の事を「川﨑さん」とさん付けで呼び、腰の低い人だった。
82歳くらいで死去した。
伝記を読んで人の一生についていろいろと考えさせられた。
中でも大塚会長の金言
「危機に瀕しても最後まであきらめない。
トップが事業の継続に執念を燃やし続ける限り、企業は倒れることはない。」
心に残った。
さらにある時、大塚会長が松下幸之助氏と一緒になった時のことである。
松下幸之助氏曰く「大塚君。80%は運だ。私の努力は20%しかない。」
そこで大塚会長は
「人生おぎゃあと生まれたらパチンコの玉と同じだ。
あちこちの釘にぶつかってチンジャラと出るか、
むなしく終わるか自分にもわからない。」と思ったとのこと。
そしてそれでも「努力が50%。運が50%。」
と松下幸之助氏に返したとのこと。
いいやり取りである。人の一生は運の力プラス努力である。
伝記を読みながら昼食時大塚会長に
アンパン1つ差し出した記憶がよみがえった。
「川﨑さん。このアンパンがおいしいよ。」
アンパン1つで幸せそうににっこりとしていた。
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