[2021/4/17]川﨑依邦の日々「舌が手になる」
4月17日(土)17,057歩、歩行距離11.7㎞。禁酒346日目。雨。
雨の中いつも通り近くの公園を約60分スロージョギングする。
公園のバラもつぼみとなっている。
つぼみの中に赤い色の花が垣間見える。
あと一週間もすれば花開くだろう。楽しみである。
10:00~14:00 大阪CMOにて内務。A社の経営計画の作成等をする。
「「食べたい」「食べたい」舌が手になったよう。」
マラソン元日本代表原裕美子さん(39歳、2007年大阪国際女子マラソン優勝)
の現役時代の心の叫びである。
身長163cm、44kgがベストである。
現役時代は過酷な体重管理をする。1日に4~6回も体重計に乗る。
社員食堂では他の社員を尻目に自分はうどんかそばしか食べない。
他の社員は定食やサンドイッチ、パスタを食べている。
それを見ていると舌が手になったようで「食べたい、食べたい。」となる。
ついに過食嘔吐を繰り返す。摂食障害である。
監督やコーチには内緒である。
「食べたら吐けばいいんだ。」と壮絶な日々である。
このストレスの重圧で窃盗症になる。
「吐くものにお金がもったいなくて。」…2007年から万引きを始める。
その後7度の逮捕。2018年には執行猶予付きの有罪となる。
ダイエットはやりすぎると強いストレスになる。
食べては吐くを繰り返すようになるのである。
「舌が手になる」ほど食べたいのに我慢するのは精神衛生上よくない。
食べたいものを美味しく食べるのは人生にとって幸せなことである。
この人生の幸せを押さえつけることはよくない。
やはりストレスに立ち向かうにはほどほどが良いのである。
3食しっかり食べて「腹八分目」が良いのである。
そして1日1回体重計に乗ることである。
人生の幸せ=食べる喜びは大事にしていこう。
[2021/4/16]川﨑依邦の日々「かかあ天下」と「大阪のおばちゃん」
4月16日(金)13,845歩、歩行距離10㎞。禁酒345日目。曇り。
10:00 A社。
15:00 B社。
“上州の空っ風とかかあ天下”の地、群馬県高崎に赴く。
「やっぱりお家もかかあ天下ですか。」と聞く。
「そうです。」「かかあ天下とはどんな感じですか。」
「家のすべての事を仕切っている感じです。」
かかあ天下の気風はどこから来たか。
養蚕(蚕作り)からきている。
繭を作る仕事は女の人がメインとなる。男の人は脇役である。
そこから自然とかかあ天下となる。
「かかあ天下でどうですか。」と聞くと
「慣れています。うちは代々そうです。男は楽でいいですよ。」
「逆らったらえらいことになります。
なんでも「はい」「はい」です。平和なもんですよ。」
かかあ天下は辞書によると
「一家の中で妻が夫よりも強い権力を振るっていること」とある。
夕方、新大阪に向かう。
大阪は「大阪のおばちゃん」の気風である。
大阪のおばちゃんはざっくばらんである。
百貨店に行っても「まけてよ。」と粘る伝説があるくらいである。
かつて買い物は値切るのが当たり前であった。
商店街のお店の値札は交渉の入り口である。
ここから腕というか口の発揮で値切っていくのである。
今ではコンビニ、スーパーの時代で「まけてよ。」の時代ではなくなっている。
大阪のおばちゃんのルーツは大阪(上方)が商売の街ということにある。
土地土地でいろいろな気風があるものである。
[2021/4/15]川﨑依邦の日々「20歳の自分」
4月15日(木)12,390歩、歩行距離9.1㎞。禁酒344日目。晴れ。
終日関東にて活動。
10:00 A社。
13:00 時間に隙間が生じたので大宅壮一文庫に行く。
あらゆる雑誌を保管してある。
その中で「朝日ジャーナル」(現在は廃刊)の
1968年4月~1969年9月(1年6か月分)を見た。
私の記憶ではこの頃「朝日ジャーナル」の「読書から」という
投書欄に投書したことがある。
1年6か月分を探したのですがなかなか見つからない。
1969年9月21号に私の投書をやっと見つけた。
「学生、20歳」とある。「20歳の自分」に出会ったのである。
読み返してみると我ながら名文である。
「政治の季節は終わり涙の季節が始まるのだ」
当時の大学で吹きあれていた大学紛争について書いたものである。
涙の季節とは挫折の季節ということである。
青春のみずみずしい感性を感じさせる投書である。
それにしても「20歳の自分」に今の自分は何と答えるか。
「なんとかここまで生き抜いてきたよ。」
人それぞれ青春の時代がある。
青春は心の若さで満ちている。
心の若さがある限り、いつまでも青春である。
“前途に夢を持つ。一歩でも前に進む。悩みつつも生きていく”
…こうしたことが心の若さである。
「20歳の自分」と出会って
“これからも青春のように心の若さで行こう”と勇気づけられた。
失った時間は戻ってこないと感傷にも浸った。
それにしても月日が経つのは早いものである。
[2021/4/13]川﨑依邦の日々「隙間の時間」
4月13日(火)6,451歩、歩行距離4.5㎞。禁酒342日目。曇りのち雨。
関東日帰り出張。
10:00 A社。
予定通り「融資管理3級」の合格通知が大阪CMOに届いていた。
学習のコツは毎日〇時間と予定を立ててコツコツ実行することである。
この“コツコツ”が肝である。
そのうえで週1回は集中していつもの倍以上の時間を掛けて学習するのである。
学習にはリズムが大切なのである。
習い事も同じである。雨が降っても何があってもやり抜くのである。
私の学習は一日最低1時間がノルマで週1回は2時間である。
そして試験直前2週間は毎日2時間である。
平日はちょっとした隙間時間に10分でも15分でもテキストを広げる。
ちょっとした隙間時間とは電車の中、電車を待っているホーム、
食事が出てくるまでの時間、人と待ち合わせまでの時間…。
こうした隙間で1時間は学習できる。
隙間の時間を活用して「もっと落ち着いて勉強したい。」
という欲を掻き立てて週1回は集中するのである。
コツコツと隙間の時間を活用するのである。
[2021/4/12]川﨑依邦の日々「悩みと付き合う」
4月12日(月)16,931歩、歩行距離12.4㎞。禁酒341日目。晴れのち曇り。
7:30 社長とミーティング。
11:00 大阪CMOスタッフとミーティング。
14:00 A社。
16:30 銀行訪問。
18:00 B社。
一人一人にいろいろな悩みがある。
それでも本質的、根本的な悩みは一つである。
松下幸之助氏は「千の悩みがあっても本当の悩みは一つである。」と言っている。
人それぞれ一つの悩みに向き合っていくことである。
そうすればその他諸々の悩みは消えていくものである。
一つの悩みとは心の状態である。
気分が落ち込む。不安でいっぱいになる。夜眠れない。何もする気が起きない
…こうした心の悩みこそ本質的、根本的な悩みである。
付き合っていくことである。
悩みを友として生きていくことである。
その場合、信じる力が必要である。
松下幸之助氏は浅草寺に大きな観音の提灯を贈っている。
会社に神社を創って毎日1回神官(松下の社員)が祈っている。
目に見えない何物かを信じることで本質的、根本的悩みに向き合っている。
ストレスに潰されそうなときは何物かに手を合わせて祈ることである。
そして、心の状態を平静にしていくのである。
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