[2021/3/20]川﨑依邦の日々「墓参り」
3月20日(土)15,552歩、歩行距離11.1㎞。禁酒318日目。曇り。
彼岸の日である。
10:00頃、川﨑家の墓参りに行く。
晃弘社長(2016年2月13日死去。34歳)、
父(1976年12月16日死去。67歳)、
母(2000年9月27日死去。86歳)が眠っている。
お彼岸のせいか道が渋滞していていつもよりお墓に着くのに時間がかかった。
「元気でやっています。これからもお守りください。」と手を合わせた。
おはぎを墓前に供えた。
家に帰っておはぎを食した。
「こんなに甘く、もちもちしているのか。」と感心した。
生きているものは生かされているということに感謝である。
[2021/3/19]川﨑依邦の日々
3月19日(金)21,281歩、歩行距離16㎞。禁酒317日目。晴れ。
大阪にて終日活動する。
10:00 A社。
13:00 大阪CMOにて会議。
15:00 大阪CMOにて銀行の人と面談。
[2021/3/18]川﨑依邦の日々「楽しみにしていることは何ですか」
3月18日(木)10,314歩、歩行距離7.5㎞。禁酒316日目。晴れ。
10:00 A社、15:00 B社と巡回する。
埼玉に行くと桜の樹が一本咲いていた。
「桜咲く」である。
ふと見ると色鮮やかなピンクのレンゲソウが
絨毯の如く田んぼ一面に広がっていた。
東京の駅ですれ違う人の中にカラフルな赤色や黄色の和服を着た若い女性。
おそらく卒業式である。
いよいよ卒業と入学の季節がやってきた。
本格的な春がついにやってきた。
「楽しみにしていることは何ですか。」
ふとクライアントに尋ねられた。
楽しみとは何か?
「春になって満開の桜の下を歩くこと。
そして、桜吹雪の中でも歩くこと。」と答えた。
ささやかなものである。
小さな楽しみを積み重ねていくことが人生にとっては大事なことである。
3月18日(木)10,314歩、歩行距離7.5㎞。禁酒316日目。晴れ。
10:00 A社、15:00 B社と巡回する。
埼玉に行くと桜の樹が一本咲いていた。
「桜咲く」である。
ふと見ると色鮮やかなピンクのレンゲソウが
絨毯の如く田んぼ一面に広がっていた。
東京の駅ですれ違う人の中にカラフルな赤色や黄色の和服を着た若い女性。
おそらく卒業式である。
いよいよ卒業と入学の季節がやってきた。
本格的な春がついにやってきた。
「楽しみにしていることは何ですか。」
ふとクライアントに尋ねられた。
楽しみとは何か?
「春になって満開の桜の下を歩くこと。
そして、桜吹雪の中でも歩くこと。」と答えた。
ささやかなものである。
小さな楽しみを積み重ねていくことが人生にとっては大事なことである。
[2021/3/17]川﨑依邦の日々「デコボコの一本道」
3月17日(水)17,901歩、歩行距離12.7㎞。禁酒315日目。晴れ。
10:00 A社。
14:00 B社。
18:00 C社と会食。
会食は梅田の第三ビル「河久」というところである。
1985年頃(約36年前)、
私は梅田の第三ビルの14階のオフィスで働いていた。
税務会計事務所にて修行中の身である。
35歳ごろである。
税務を担当するのではなく中小企業の相談相手として活動していた。
当時のボスに誘われて度々「河久」で食事をごちそうになった。
14階の事務所は平常は私一人である。
10人ばかり入れる会議室があった。
中小企業の経営者との面談場所である。
あの頃から私は今と変わらない。
あちこちと1日3~4件中小企業を巡回する。
思えば人生とはいったい何なのか。
私は中小企業の相談相手という一本道を歩いてきた。
デコボコの一本道である。
いろんなことがあった。
なかでも2016年2月13日の長男晃弘社長(34歳5ヶ月)の突然死は大きい。
あまりの事に転びかけた。
それでも「同行二人」と自ら励ましている。
言葉にならない悲しみやつらさがある事を知った。
絶句の重さである。
これからもデコボコの一本道を歩き続ける。
[2021/3/16]川﨑依邦の日々「往生せい」
3月16日(火)13,954歩、歩行距離10.2㎞。禁酒314日目。晴れ。
10:00 A社。
14:00 B社。
17:00 A銀行と打ち合わせ。
柚月裕子作「最後の証人」を読む。
ミステリー小説である。
私はこの作家のファンである。
岩手県出身で52歳。
広島弁を巧みに操る「孤狼の血」は実に感心した。
広島弁がぴったりなのである。東北出身なのに不思議である。
私は18歳まで広島県で暮らしたので未だに広島弁が口をつく。
「往生せい」(諦めろ)。「往生せい」は諦めろという意味に加え、
手を引けとか消えてなくなれとかのニュアンスがある。
往生とはあの世の事で浄土真宗の仏教言葉から出たものである。
「往生する:困りはてる・まいる・閉口する。
仏教からきた言葉の「往生(おうじょう)」から出たものらしい。
往生とは極楽浄土に生まれ変わること。
あきらめ、屈服することを伴なわせている。」
とは言っても、まだまだ往生することはできない。
「早う楽になりんさい。」(広島弁)と言われても
「行くとこまで行くけえのう。」(広島弁)という心境である。
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