[2021/2/19]川﨑依邦の日々「一人の食事」
2月19日(金)11,572歩、歩行距離8.4㎞。禁酒289日目。晴れ。
10:00 A社。次いで14:00 B社。終了後大阪に帰る。
昼食はコンビニにてパンを購入。
最近のコンビニのパンは美味しい。今回は粒たっぷりのアンパンである。
ついでにコンビニのスイーツプリンも食す。このプリンもよくできている。
甘さもあり、食感も良い。
公園のベンチに座って食す。周りを見ると俯いているホームレスらしき男の人がいる。
足元にはボストンバッグ一つ。「この人は食事はどうしているのであろうか。」
よく晴れている。戸外の食事はそれなりに開放感がある。
それでも一人というのはやはり、もの悲しさがある。
そういえば、仕事の時は一人の食事が多い。
昼食でふらりと松屋や吉野家に入るといつも男の人ばかり。
それも一人が殆どである。せっせとかきこんでいる。
すき焼き定食や豚角ロース生姜焼き定食はなかなかのものである。
「一人の食事」はそれでもおいしいときがある。
[2021/2/17]川﨑依邦の日々「かぼちゃのタルトケーキ」
2月17日(水)7,712歩、歩行距離5.5㎞。禁酒287日目。
終日関東にて活動。
昼食は池袋のおしゃれなカフェレストラン。
客はまばらでパソコンに向かって仕事をする女の人、
二人連れの若い女の人、全員女性の客ばかりである。
かぼちゃのタルトケーキとパン1つで1時間は粘った。
資格取得の試験日が3月7日(日)と近づいている。ひたすら本を読んだ。
かぼちゃのタルトケーキ(500円)は真っ白い皿に乗ってホイップクリーム付きである。
たっぷりとホイップクリームを塗って約2分であっという間に腹に入れた。
ゆっくり味わっておしゃべりして外の景色を見て過ごすのが
優雅な昼食タイムだが、私の場合は一人のためそうもいかない。
それでもかぼちゃのタルトケーキは結構おいしかった。
[2021/2/16]川﨑依邦の日々「富士山」
2月16日(火)6,697歩、歩行距離4.8㎞。禁酒286日目。晴れのち曇り。
関東にて活動。
6:30の新幹線にて東京へ向かう。
途中、くっきりと美しくそびえたつ富士山を見る。
2~3分間ほどしばらく見惚れた。
山頂はすっぽりと雪に覆われている。
「真白き富士」とはこのことかとじっと車中より見続けた。
一度は富士山に登ってみたいものだ。
今まで頂上までは行ったことはない。
私がこの世に生を享ける遥か前から富士山はある。
これからもあり続ける。
富士山の歴史から見ると人の一生とは一瞬である。
とはいっても一瞬一瞬を大切にして生き抜いていきたい。
[2021/2/15]川﨑依邦の日々「運動シューズ」
2月15日(月)10,292歩、歩行距離7.4㎞。禁酒285日目。雨のち晴れ。
5:00頃、大阪の自宅を出る。20歩くらい歩いたところでいつもと感じが違う。
ふと見ると運動シューズを履いている。
すぐさま引き返し、普通の靴に履き替える。
スロージョギングに行く朝の習慣のせいで何気なく運動シューズを履いたのである。
今回はネクタイを締めてこれから東京に行く。
外は大雨である。
6:00の始発で一路東京に向かった。
A社で9:30より会議。終了後、とんぼ返りである。
15:30京都に着くと雨は上がっており、晴れ間が見えた。
京都にて銀行交渉。終了後、阪急電車に乗って大阪まで帰った。
それにしても何故、運動シューズを履いたのか。
ちょっとひっかかる。習慣とはいえ、今までになかったことである。
6:00の始発で東京に向かうという事で気が高ぶっていて、
足元まで気が回らなかったからだろうか。
女の人が口紅を付けるのを忘れるぐらいの事ではなかったか。
それにしても口紅を付け忘れるという事があるのだろうか。
朝運動シューズを履いて外に出たことについてちょっともやもやした。
[2021/2/14]川﨑依邦の日々「余震」
2月14日(日)17,382歩、歩行距離12.2㎞。禁酒284日目。晴れ。
8:00~13:00 大阪CMOにて内務。
朝からNHKテレビはマグニチュード7.3の地震のニュース一色であった。
10年前の東北大震災の余震とのことである。
「10年経ってもまだ余震とは…。」10年前の2011年3月11日を思い出した。
名古屋の喫茶店にて経営相談を受けていた。
グラッと来て、ゆらりゆらりとしばらく続き、「何事か。」と外へ出た。
そのうち「東北で大地震発生」のニュースが飛び込んできた。
あれから10年である。
10年一昔と言ってもまだ余震とはつくづく東北大震災の大ショックの凄さを感じる。
人生においても大ショックがあると何年たっても余震がある。
大ショックは親しい人との別れ(死)や大病、あるいは大きな事故と様々である。
そして折に触れて思い出されてくる。
それが人生の「余震」である。
生きている限り人生の「余震」を繰り返していくのである。
- 最近の投稿
- アーカイブ
-
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
- カテゴリー