[2019/5/19]トップの気迫
5月19日(日)
鬼業仏心の経営― 事例A
(1) トップの気迫
A社(車両50台)はこの不況期、1年ごとに経営悪化の坂道を転げ落ちている。ついには、社会保険料の滞納という事態にまで、追い詰められている。滞納分は手形で決済しているが、決済日がきても落とせず、ジャンプを依頼するほどである。トップの報酬を月額180万円から90万円へと半減させたものの、その報酬は未払いのままである。いつつぶれてもおかしくない経営状況が続いている。
ここまでの事態は、なぜもたらされたのか。さしずめ難破船のごとく死の淵をさまようA社。1つは売り上げの不振である。ピーク時と比べて30%の売り上げダウン。この現象の真因は、実は内部にある。トップと働く社員の心がバラバラになっている。不信が根付いている。どうして不信の嵐に巻き込まれることになったのか。それはトップの姿勢からだ。
トップは文字通り裸一貫からスタートした。初めのトラック1台すら借金で購入し、ゼロからというよりマイナスからのスタート。このマイナスから徐々に浮上してきた。このプロセスで、トップは「自分より偉いものはない」と自己過信してしまった。経営に対する自信と自己過信は紙一重。自信は経営に対するビジョンを裏付けとするが、自己過信は「オレは偉い」との我欲を支えとする。
このように、マイナスを跳ね返して車両台数を増やしてきたプロセスで、トップは人の言うことに耳を傾けない超ワンマン社長となってしまった。極め付きは本社社屋の建設である。土地、建物を全額借金で手配した。バブルのころである。「なに、これぐらい大丈夫だ。創業のころから借金漬けだ。オレの力をもってすれば大丈夫だ」と胸をたたく。個人で購入して、それを会社に貸す形を取り、会社からの家賃収入で個人の借金を返済することとした。
社内の世論はざわめく。「どうしてこんな無茶をするのか。今のままのほうが経費が少なくて済むのになあ。社長の自己満足に付き合わされてはかなわないなあ」。しかし、面と向かってはだれも何も言わない。超ワンマン社長への応対はイエスのみ。ノーと言えば、すなわちクビ――だからだ。
バブルが崩壊して、会社は家賃が負担となっている。ニッチもサッチもいかない。安いところへ移転しようとしても、それでは社長個人の借金の返済が滞ってしまう。売ろうとしても、購入時の50%ではどうしようもない。社長の借金返済ができないのである。「自己過信が招いた分不相応の行動」――としか言いようがない。
分不相応といえば、このトップは何かにつけて派手なのである。交際費もぱっと使って「ええかっこ」してしまうたちである。とくに荷主は大企業なので、担当者もそれなりに飲み食いする。1杯飲み屋、焼鳥屋などの水準ではない。荷主の担当者に分不相応に無理して付き合う。「オレは偉い。すごい」と見えを張るのである。さらにその上、公私の混同がひどくなっている。自分の楽しみでゴルフに行っても、会社の経費で落とす。トップはゴルフにのめり込む。平日でも平気でゴルフ場通いをする。そのため、社内の管理がルーズになる。超ワンマンのトップが不在がちなので、社内の空気のタガが緩む。部下の働きぶりのチェックもおろそかになる。勤怠がはっきりしなくなる。朝の出勤でも、ひどいのになるとタイムカードの打刻を他人に任せてしまい、遅刻を隠蔽する。休日に出勤もしていないのに、さも出勤したかのように装って、休日出勤手当を不当に受け取る。
これらは、すべてトップの管理能力の欠如が原因である。その上、超ワンマンにもかかわらず、このトップは大事な決断で、グズグズしたりコロコロ変わってしまう。給与の決定がそうだ。なかなか昇給方針を決めないで引き伸ばす。しかも、いったん決めてもすぐにひっくり返す。一晩たつと、判断にぐらつきが出てくるのだ。
自己過信、分不相応、公私の混同、管理能力の欠如、決断力の欠如――といったトップの姿勢で、社内不信の根が深くなっている。これが経営悪化の真因である。
反省のきっかけはどこから来たか。トップは毎日、資金繰りに追われて、ヘトヘトになって家に帰る。ある日、妻いわく、「お父さん、どうしたの。元気ないね。意欲をもってスタートした事業でしょう。もう一度原点に帰って下さい。トコトンやったらどうですか」。妻の励ましではっとするトップ。「そうか、原点とは何だろうか――」。不信の根を解きほぐし、信頼へと転換する原点とは何か。
トップは自らの姿勢を正すこととした。朝一番に出社して、自ら社内を掃除することを日課とした。社内の掃除とは、トイレ、机の上、乗務員休憩所などのことである。「いよいよ、うちの社長も危ない。経営が苦しくなってちょっと変だ」との乗務員の陰口を背にしても、トップは続けた。「石にかじり付いてもやる」との執念を発揮して、とにかく掃除を続けた。
トップは省みる。今までは、何と愚かであったことか。妻の想いも置き去りにして、深夜に帰宅。よくも飲み歩いたものだ。「オレの会社だ。煮て食おうが焼いて食おうが、オレの勝手だ」と居直り、このために従業員との間に不信のミゾが深くなっていった――。
毎朝5時に起きて、ひたすら社内の掃除に打ち込む日々。トップは変わろうとし、変わっていった。毎朝の掃除を、雨の日も風の日も続けて1年。トップは経営再建計画を発表して協力を呼びかけた。経営理念確立の呼びかけである。
つづく
[2019/5/18]心の底からのやる気
5月18日(土)
初心忘るな盆踊り― 事例A
(1) 心の底からのやる気
厳しい仕事の日々の中で、心を1つにして困難に立ち向かっていく勇気の源泉が″祭り″というわけである。夜店の手配から始まって、何から何までA社で行う。このプロセスが貴重である。超ハードな日々の中で準備していくのである。みんなの喜ぶ顔を見たい一心で行う。この姿勢が、経営活性化につながっている。
「うちの幹部に勇気の力を教えてやって下さい。うちの幹部には、業務知識はあります。しかし、頭で分かっているだけで、行動に結びつかないのです。覇気がないのです」。ある物流会社のトップが、筆者に教育研修を依頼した。勇気を教える研修とは何か。A社のケースには次の学ぶべき点がある。
「会社の姿勢をはっきりさせて、心を1つにすること」
A社では、地域社会への貢献、従業員の福利を目的として、夏の盆踊りを企画、実施している。このプロセスで心が1つになる。これが企画、実施する幹部に勇気、やる気、覇気を呼び覚ましていく。会社の姿勢や生き方とも深く連動するものである。従って、勇気を教える研修とは、「会社の姿勢=理念」の明確化、共有化をケーススタディ中心に行うことである。
祭りは楽しい。心からリラックスできる。そして、生きることに対して励ます力がある。祭りとは祭礼のことで、神に対するものが語源である。むかしから人びとは、豊作、健康、天候と生きていることそのものに感謝してきた。
A社の祭りの1つが盆踊り。感謝と愛情がある。荷主、地域社会、従業員とその家族に対する感謝と愛情がある。「その日がくるのが楽しみだ」とワクワクする思いは、1人ひとりに力を与える。「もう少しで盆踊りが来るぞ。その日まで無事故で頑張ろう」と、A社では励ましながら、その日を迎えている。「さあ、今年の祭りは終わった。来年もみんな元気で迎えよう」と、明日からの健闘を誓う。
難しい理屈では、こうはいかない。単純明快に、祭りそのものが力を与えている。力とは、経営活性化へ向けての心の底からのやる気のことである。こうした祭りに価値観を見いだしていく「会社の姿勢=経営理念」の存在こそ、経営活性化原則のポイントの1つである。
以上
[2019/5/17]他人の幸せの実現
5月17日(金)
初心忘るな盆踊り― 事例A
(1) 他人の幸せの実現
盆踊りは、A社長の″やる気の源泉″になっている。苦しかった日々、もちろん今でも苦しいが、それ以上に何もなくて「ないないづくし」の日々を励まされてきたのである。楽しい音楽、タイコに合わせて踊る風景、涼しげな浴衣、子供のキャーキャーはしゃぐ声。これらが、A社長の生きる喜びをかき立ててきた。
A社長いわく、「わたしは中学卒で、集団就職列車に揺られて都会に出てきました。職は転々、いろんなことをやりました。「故郷は遠くにありて思うもの」ですね。いつも、夏の盆踊りの季節になると故郷を思い出しました。村祭りのこと、年老いた両親のこと……。それに引き換え、自分のダラシないこと。いまだに独身で定職にもつかず、都会をフンワリ、フンワリと漂っている自分。縁あってトラック1台を持ち、ガムシャラに頑張った日々。結婚したこと。子供が生まれたこと。今までのいろんな人生の歩みが、夏の一夜によみがえってくるのです」。
A社長は、ただ今50歳。
盆踊りの開催費用をA社長が負担するのは、地域社会への貢献である。自分と自分の企業を育ててもらっているという、感謝の念の表れである。そして、A社長にとっては、自殺まで考えて追い詰められた苦しさから立ち直った原点の確認でもある。
今では、従業員も心待ちにしている。「今年はどんな浴衣かしら」とか、「だれと一緒に行こうかしら」とかワクワクしている。荷主や地元の人に、こまめに声を掛ける。「必ず来てね」。取り引きのある銀行の支店長にも声を掛けるほどである。ここ最近は、お笑い系の芸能人も呼んでいる。それほど有名ではない。テレビにもあまり出ていない。それでも芸能人は芸能人。「やっぱりプロはすごいね。本当におもしろかったよ」と、みんな一様に喜んでいる。小さい子供たちには、お土産として花火を渡している。「ワァー、花火や」と、どの子も顔を輝かせて喜ぶ。
盆踊りの日、A社長は店の従業員から突然、恋人を紹介されて仲人を頼まれたりする。「社長、この人が、僕のフィアンセです。どうか仲人をしてください」。心なしか顔を赤くしての頼みである。フィアンセの彼女も、うつむいて頼む。1杯入っている社長は、ホンノリしている。「いいよ」と思わずうなずく。「社長、この子がことし高校に入った○○です」。「社長、うちの娘もようやく片付きました」。「うちの息子も就職できました」。
従業員からの報告が続く。ホームパーティのような感じでさえある。A社長は、つくづく喜びをかみしめる。一瞬、今までの苦労がどこかへ飛んで行く。これからの苦労も、どこかへ行くような気がする。「よし、やるぞ」と明日からの活力がわいてくる。
経営者のやる気を支えるものは、何であろうか。あくなき事業欲か。もちろんそうだ。見方を変えて言うと、「他人の喜び」が経営者のやる気をかき立てる。他人とは、荷主であり、従業員であり、企業を取り巻く人たちのことである。
他人の幸せは励みになる。身近な他人は家族、従業員、荷主、そして地元の人びとである。喜ぶ姿が経営者にとって活力の源泉となるのだ。自分のためだけに働いて、成功し続けた経営者はいない。「自分さえよければ」の精神では、成功しない。人がついてこない。やはり、「他人の幸せ」を実現するために働くのが、経営者の役目である。
その意味では、経営者は宗教家のようなものである。宗教家は、「神や仏を信じることで救われる」として、信者を獲得していく。経営者は、経済的充足を通じて生きる喜び、働きがいを提供する。違いは紙一重である。共通項は「他に尽くす」ということである。
A社長は、今年も盆踊りの日を迎えた。「雨よ降るな」と念じて、晴れとなった。真新しい浴衣を着て、盆踊りの輪の中に入っていく。お祭りは、本当に不思議である。どうして、こんなに1人ひとりを生き生きとさせるのだろうか。フエの音、タイコの鳴る音、心が躍る。心が和む。心に力が入ってくる。「企業経営も、かくありたい。人に喜びを、人をワクワクさせたい」。
イベントには、経営を活性化させる力がある。A社長の盆踊りの企画、実施のプロセスはまさに、そのことを痛感させる。
夏の日よ 初心わするな 盆踊り(A社長の一句)
A社は荷主の関係で1年365日、車が稼働しない日は1日もない。正月でも何台かは、必ず動くのである。したがって、A社長の幹部(配車係)は、ほとんど休まない。「休めない」と言うべきか。月に2日か3日休めばいいほうである。超ハードである。
この超ハードワークに耐えさせている力の1つが、夏祭りの企画である。「うちの社長は、よく働きます。タフですよ。ほとんど休みません。社長についていっている理由ですか。それは″暖かさ″ですよ。社長の心です。厳しいけれど暖かい。夏の盆踊りで実感しています」(幹部の話)。
つづく
[2019/5/16]自殺も考えた社長
5月16日(木)
初心忘るな盆踊り― 事例A
(1) 自殺も考えた社長
A社は地域に密着している運送会社である。社長は裸一貫から、のし上がってきた。「苦労の連続だった」という。人で苦労してきた。「これは」と思って信じて任せてきた配車係に、あっさりと逃げられてしまったこともあった。ライバル会社に引き抜かれたのである。A社長は深く落ち込みながらも、その都度、立ち直ってきた。逃げた配車係は、荷主まで一緒にさらっていった。こうしたピンチにも動じることなく乗り切ってきた。
現在の従業員は100人(車両台数80台)。中型運送会社として地歩を固めている。創業20年。社長は資金繰りの苦しさから、自殺すら考えたこともあるという。有力荷主の1つが倒産して、不良債権を抱えた時のことである。どうにも金策がつかない。駆けずり回ってもダメ。「もうダメか」とガックリしている時、公園が目に入った。
フラフラとし公園に入り、ベンチに座り込む。その時、1本の木が目の前にあるのに気付く。「ここで首つりでもしたろうか」。意気消沈して家に帰り、妻に言う。「ニッチもサッチもいかない。もう、どうしていいか分からない」。すると、妻いわく「何を言っているのよ。わたしが残っているじゃないの」。この一言で社長は、気力を奮い起こしてピンチに立ち向かい、乗り越えてきたという。
A社は、ここ10年ほど連続して、夏に″盆踊り″を企画、実施し、地元の人の楽しみの1つとなっている。A社長は、いろいろな苦しいことがあっても、この盆踊りで一緒に踊ることを楽しみにしてきた。
社長は思いきって、盆踊り開催のための費用を全額負担するのである。地元の人は感謝している。A社長は盆踊りを目指して、いつも頑張ってきた。夏の一夜のきらめきを励みとしてきた。妻も理解している。「道楽しないお父ちゃんの、たった1つの道楽や。好きなようにしたらいい」。
この日のために毎年、全従業員に真新しい浴衣をプレゼントする。1人ひとりにサイズを確かめて贈る。夏の賞与の一種とでも言えようか。真新しい浴衣を着て、従業員は盆踊りに参加する。家族連れで、子供の手を引いてくる者もいる。夜店が出る。金魚すくい、タコ焼き屋、リンゴあめ屋……。
A社長はこの夏の一夜が好きである。「今年もなんとか盆踊りを迎えることができた。本当に有り難い」と、しみじみかみしめる。
地元の人や、従業員の明るい顔を見て、心からうれしさを感じる。自殺を考えた日も夏だった。妻の一言で気力を奮い起こして東奔西走の日々、盆踊りの夜にぶつかった。「オレもいつかは、あの盆踊りの輪の中で楽しみたい」。この原点を毎年夏、盆踊りで確認している。
つづく
[2019/5/15]トップの自己変革
5月15日(水)
宿命的体質の転換― 事例A
(1) トップの自己変革
こうしたリーダーシップを取るためには、何が大切か。それは親心である。親心とは、父性と母性のことである。父性とは旗印を掲げていく力強さ、頼もしさであり、母性とは優しさ、思いやりのことである。親心には、私心がない。自分の人生を人のためにサービスしようとする菩薩のごとくである。そして、親=リーダーは、頼るものがない。頼られる存在である。従って、自立心が強くないといけない。決して泣き言を言わない。孤独に耐えられる存在である。リーダーは親、メンバーは子、こうした信頼関係が大切である。まさに、リーダーの人間性の深さ、スケールがものを言うのである。
第3歩は、トップの自己変革である。実はこのトップは、なりたくてトップになったわけではない。天から降るごとく、ある日突然、就任したのである。前任者が急死して、その息子ということで白羽の矢が当たったのである。それまでは、地道な公務員であった。従って、リーダーとしての自覚が不十分なまま、就任せざるを得なかった。内心の戸惑いが隠せないままの状態である。これでは真のリーダーが不在である。真のリーダーとして登場しなくてはいけない。自己イメージの確立である。
「自分こそリーダーである。グループがわたしであり、わたしがグループである」との自己イメージをしっかり持っていくことである。リーダーシップを取るということは、縁あって存在している自分を自覚し、その縁に感謝することである。今まではいろんな人のお陰で生きてきたから、今度は人にお返しする時――との自覚である。
1歩、2歩と踏み締めて、企業体質変換をスタートしていく。「千里の道も1歩から」である。確実に歩みを刻んでいくことである。このごろ、トップは自車の走っている姿を街で見かけると、自然に合掌のポーズを取るという。
「不思議ですねぇ。本当に有り難いとの思いが込み上げてくるのです」
トップは、心に念じている。それは“I am OK,YOU are OK.”という「全肯定」の心理である。“YOU are OK.”とは、相手のいいところ、長所を引っ張り出して、生き生きとさせていく援助の決意を表している。父性(厳しさ)と母性(思いやり)のバランスを取って生かされている自己を認識し、1人ひとりを生かしていくことである。
“I am OK.”とは、常に前向きで行く――との決意である。1歩、2歩、3歩――力強い歩みが、企業を活性化させていくのだ。
以上
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