CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2019/2/22]20年目、転機と決心

2月22日(金)

物流企業生存の道― 事例A

 

(1) 20年目、転機と決心

創業20年目にして勝負のときが来た。年商10億前後のとき、11億円の設備投資に打って出る。物流センターの建設である。「一か八か」、会社の命運をかけての勝負である。月を追うごとに車両台数を増やし、売り上げを伸ばしていった。昼も夜もない。仕事に対する全力投入―。いつしか20億の年商へとたどりつく。そのプロセスで社員確保のために9億かけて社員寮をつくる。

車両台数は200台を超えていく。急成長である。しかし一方で、急成長はピンチでもある。

A社長が今まで得意としてきた営業開拓活動がままならなくなる。それどころではなくなったのである。恒常的に人材不足となる。人材確保のために走りまわる。毎日面接するほどだ。さらに重苦しいのが資金繰りである。年商と肩を並べる借金の重圧である。借りては返すのくり返し。売り上げ増加に伴う運転資金もひっきりなしに迫ってくる。銀行開拓の日々である。来る日も来る日も資金繰りに追われるのである。

荒波を乗り越えて、それでも年商はついに30億を突破した。借りては返すのくり返しで借入金も20億ある。特にここ2カ年はアップアップの資金繰りが続いている。売り上げが伸びているので持ちこたえてきているが、銀行の締めつけはキツい。思うようにスンナリと資金調達ができない。

A社長は必死である。資本金の増資もした。取引先に自社株を所有してもらう。役員、幹部にも出資してもらう。いつしか資本金は2億となる。A社長は40%の株主である。それでも追いつかなくて、知り合いの経営者に協力してもらい、1カ月以内の期間で資金のキャッチボールをしてしのいでいく。A社長は生き残りの策を決断し、実行していく。

①賃金カットの実施

A社長を含む役員の報酬10%、幹部5%、一般社員4%のカット。―これらの実施により、月額500万円の人件費ダウンとなる。

②経費の圧縮

長年続けてきた海外への社員旅行を中止する。また、新年互礼会で発表してきた表彰制度の廃止に踏み切る。班長会議(社員数が増えてきたので全体会議をやめて班長会議に変更)を、月1回日曜日から3カ月に1回にする。いわゆるコミュニケーション費用の圧縮である。

③創業メンバー役員の降格

創業メンバーの2人が役員となっている。海山越えてきたA社長の同志である。しかし、A社長は決断する。「この苦境を役員として乗り越える力はない。この際、役員を降りてもうおう」。

死に物狂いの生き残り策である。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年02月23日 | 投稿者: unityadmin

[2019/2/21]成長の道のり

2月21日(木)

物流企業生存の道― 事例A

 

(1) 成長の道のり

A社は年商30億の物流会社である。長短借入金は総計で20億余りある。社員寮の土地建物に9億、物流センターの設備投資で11億といったところである。

社長は現在55歳。ある地方から都会へ出てきて衣料品店に就職した。衣料品店では10年ばかり営業を担当する。「このまま他人に使われるだけの人生でいいのだろうか」―社長は30歳のとき独立する。

普通免許を取得していたので、運送業で身を立てることにした。車1台からのスタートである。自らハンドルを握り、その合間を活用して荷主の開拓に励む。毎日飛び込みを続けていく。車も2台、3台と増えていく。10年ばかりして運送業の免許を取得する。それまでは、業界用語でいうところの白トラ、営業許可なしのモグリ営業である。

A社は営業免許を取得して本格的な成長期に入った。おもしろいほどに日銭が入り、もうかった。創業期のメンバーを引き連れて夜ごと飲み歩いた。A社長も若かった。働きざかりの40代である。

成長を支えた要因は何か。それは飛び込み営業による荷主開拓力である。この業界はあまり営業をしない、受け身タイプのトップがほとんどである。それに反してA社長は飛び込みを全く苦にしない。配達業務のちょっとした合間を活用して飛び込んでいく。

「私は衣料品店時代に外商で鍛えられていましたからね。日参して高級衣料品を売り付けたときの粘り、熱意が役立ちましたよ」

かくして免許取得後10年にして車両50台の中堅運送業に成り上がっていく。この業界の平均規模は20台以下で、全体の70%を占める。その中にあって体ひとつ、車1台からスタートして20年(前半10年はモグリ)にして車両50台は「よくぞ成長したり」である。成長要因には、ほかにコミュニケーション力もあげられる。

A社長は働く一人ひとりの気持ちを大切、大事にする。月1回、全体会議をする。創業期からの伝統である。社員2人のときから50人まで、一貫して変わるところがない。テーマは「交通事故を無くすこと」、「荷主に尽くすこと」が中心である。月1回、日曜日に行う。その上、会社行事を重視する。社員旅行は毎年行う。初めは国内であったが、ここ5年ばかりはハワイ、香港、台湾、グアム、韓国―といった海外旅行である。

創業メンバーを重用する。A社長が初めて採用した社員1号から3号まで、いずれも取締役として引き上げている。

「みんなわたしと一緒にハンドルを握って苦労したものばかりです。海山越えてきたのです」

50人の社員一人ひとりにA社長は積極的に声をかけていく。

「どうだい、体の調子はいいか」

「〝いつも無事故でいこう〟と心に誓っているか」

「奥さんは元気か。子供はどうだい」

「荷主さんは何かいってたか」

会話のキャッチボールを続けている。心の交流がある。こうしたコミュニケーション力が働く一人ひとりのやる気につながっていく。A社長はゴルフなど一切しない。その代わり、いつも仕事中心でひたすら働く。A社長の馬力が会社を中堅企業へと押し上げていった。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年02月22日 | 投稿者: unityadmin

[2019/2/20]息子の勝負

2月20日(水)

チェンジ=変わること― 事例A

 

(1) 息子の勝負

このままでは労働組合との交渉は平行線のままである。意を決して経営再建計画=「チェンジ計画」をつくり、実行することにした。

○チェンジ計画の内容

(ⅰ)役員の報酬は向こう1年間ゼロとする

この際、役員報酬はゼロにしよう。サラリーマン時代の貯金もある。いけるところまでいってみよう。

(ⅱ)運送部門の人員30人の希望退職を実行する

運送部門の20歳以上の社員を対象として、希望退職を募集する。期間は1カ月。条件は定年退職の退職金支給ルールに準ずる。プラス平均賃金の3カ月分を支給する。退職金の源資は今までの積立金で充当する。プラス分は自分のマンションを売って手当をする。

(ⅲ)管理職の賃金は、この際10%カットする

以上3点のリストラ計画を骨子として、チェンジすることにした。労働組合との再交渉がスタートする。息子の決意は固い。労働組合としてもどうすることもできない。「倒産」のカードを切って攻めてこられては、たじろがざるをえない。委員長は悩む。「労働組合が会社をつぶしたということになれば、世間の風当たりもキツい」。

どうするか。結論は「好きにして下さい」と回答するしかなかった。事実上の黙認である。希望退職の募集が始まった。従業員説明会を開き、経営の現状を説明し、協力を求めた。

従業員の心も揺れ動く。「このままいて、もし会社がつぶれたらどうなるか。退職金はパーとなる。ここで辞めてプラス分をもらったほうがいいのだろうか。しかし、50面さげて辞めて再就職できるのだろうか。再就職は難しい」。

希望退職応募者はチラホラ出た。10人は出た。息子はさらに延長していく。心から協力要請する。「どうか助けて下さい」。あと1カ月、あと1カ月でもう20人。これで目標に達する。

ついに30人希望退職の目標を達成した。「変わることに生きる道を思いだしていこう」。35歳の息子の決意である。

以上

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| 投稿日: 2019年02月21日 | 投稿者: unityadmin

[2019/2/19]チェンジ計画

2月19日(火)

チェンジ=変わること― 事例A

 

(1) チェンジ計画

①  息子の決意

母親は「やめたい」の一心である。息子は悩む。「父倒れる」との報を聞いて「何とかしよう」と思って入社した。確かに父親は一言も「継いでくれ」とは言わなかったが、何となくいつかは継ぐものと思ってきた。後姿の影響かもしれない。息子は決意する。

「よしここでがんばってみよう」

②  労働組合との交渉

労働組合との交渉をスタートする。内容は経営合理化への協力要請である。労働組合の委員長に対して経営内容を公開する。確かに経営内容は厳しい。どうするか。息子は赤字部門である運送部門の自社の縮小を提案する。「この際、リストラに協力してくれませんか。車両台数を30%削減するのが目標です。」委員長はスンナリとは応じない。委員長の言い分は次の通りである。

・経営陣の努力の余地はないのか

これまでの赤字の原因を我々労働者に転嫁してもらっては困る。経営陣の努力の余地はないのか。報酬はどうなっているか。資産の売却はどうか。そもそも営業努力はどうか。

息子は答える。「役員報酬は30%カットしています。資産売却はそもそも売却する資産がありません。確かに営業努力はしていません。オヤジの経営方針だからです」。

・首切りは労働組合としては容認できない

委員長は組合の立場を説明する。「首切りを容認することはできない」。息子は切々と訴える。

「このままでは倒産します。一人平均年収800万円の人件費は運送業の世間相場からいっても高いのです。どうすることもできないのです」

・荷主の協力はないのか

「赤字になっているのは荷主の運賃に問題があるのではないか。もっと荷主と交渉して運賃を上げてもらうことはできないのか」―――委員長は迫る。

「無理です。荷主自体の経営もピンチなのです。3年連続して減益です。どうすることもできません」。

労働組合との交渉は平行線のままである。進むも引くも思うに任せない。息子は脳溢血のオヤジに相談する。オヤジは言語を発しない。体もいうことを効かない。ただ、涙を流すのである。悲しそうにポトリ、ポトリと涙を流すのである。

「オヤジの人生とは一体何だったのか。このざまは何だ」。胸がふさがれる思いがする。息子には「倒産」の文字がちらつく。

「もはやこれまでか。オヤジが倒れたことを理由に店じまいするチャンスかもしれない。」眠れぬ日々が続く。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年02月20日 | 投稿者: unityadmin

[2019/2/18]直面する課題

2月18日(月)

チェンジ=変わること― 事例A

 

(1) 直面する課題

A社は特定荷主の比率が売り上げの90%を占めている。残りの10%も返り荷の荷主であるので実質は100%である。創業以来、荷主の歴史と歩みをひとつにしている。A社には運送部門と構内部門があり、運送部門が70%、構内部門30%の内分けである。A社は転換期に直面している。「チェンジ=変わること」が経営改革のテーマとなっている。

①  自車部門の赤字を傭車差益で埋めている。

運送収入に占める人件費が高いことで、自車部門が慢性赤字となっている。運送収入対人件費率は70%と、異常値である。給与体系が年功給なので、人件費の年々の上昇がどうしても食い止められない。しかも高齢化が進んでいる。平均年齢は50歳である。給与水準は乗務員平均で年収800万円である。自車収支が赤字なので新規の乗務員は採用しない。定年者が出るとその分、傭車で対応する。

自車対傭車の比率は3対7である。この3対7の比率のおかげでかろうじて運送収入は赤字をまぬがれている。自車収支の赤字を傭車差益で埋め合わせている。乗務員で構成する労働組合の力も強く、年功給である給与水準を是正できない。乗務=ハンドルを握る仕事の世間相場の1.5倍ぐらいの水準になっている。

社会保険料は会社負担が70%、個人負担が30%となっている。法定福利費も年々上昇している。なぜこういうことになるか。荷主が一社専属なので労使対立が激化してストライキが続けば、荷主に迷惑がかかる。そのため労使交渉のギリギリで、組合の要求に押し切られる。簡単にいえば、賃金引き下げができないのである。

②  荷主の物流合理化プレッシャーが強まる。

A社は荷主の成長につれて車両、人員とも拡大してきた。ところが、荷主の経営環境が悪化、ここ3カ年連続して経常利益がマイナスとなってきた。そこで物流コストの見直し、圧縮が必須の経営課題となってきた。物流コスト削減目標は30%である。この30%を3カ年で達成するということが経営上の至上命題となっている。

A社は断崖絶壁に立たされている状況である。死活問題である。今までA社は荷主に対してキメ細かく対応してきた。荷主との人間関係も良好で、それなりの交際を積み重ねてきた。冠婚葬祭にもキチンとつきあってきた。ところが荷主の危機で、ストレートに直撃された。

③  トップマネジメントの危機

A社のトップが脳溢血で倒れた。トップは65歳。A社は混乱する。これから先どうするか。脳溢血で倒れたトップは言語が思うにまかせないし、体も不自由になっている。残された幹部はお先真っ暗となる。急遽、トップの奥さんが社長となる。役員陣は、トップの息子35歳、番頭格60歳、それに奥さんの3人で構成する。奥さんの心境は、「やめたい」ということである。このまま仕事を続けていっても展望がない。赤字がかさむだけである。組合の存在も重荷となっている。確かにトップは真心で荷主に尽くしてきた。トップの気持ちを思えば、ここでやめることは無念極まりないことである。それでも先行きの見通しのないことは、はっきりしている。奥さんとしては「やめたい」。

④  A社の概要

A社は車両台数100台、乗務員95人、現業員100人、事務スタッフ15人の計210人の会社である。現トップが創業して40年。きっかけは構内作業である。荷主の社長がトップの働きぶりをみて「人を連れてこい」となったのである。

トップは10代の頃は極道稼業にも手を染め、ヤクザの道に入るスレスレだった。これが荷主の社長に目をかけれられて、構内作業の親方としてのチャンスをものにすることができたのである。

トップは経営全般を一人で取り仕切ってきたワンマン社長である。経営信条は〝荷主に尽くす〟である。荷主構成が一社専属なので、顧問税理士が「ほかの荷主も開拓したらどうか」とアドバイスしたことがあった。それに対しては「ノー」。トップの考えは、ほかの荷主を開拓することは現行荷主に迷惑がかかる―――というもである。息子はお家の一大事で、会社に入ってきた。それまでは大学を卒業後、別の会社で化学関係の研究者として働いてきた。家業を継ぐことなど思いもよらなかった。そもそも父は一言も「継いでくれ」とは言わなかった。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年02月19日 | 投稿者: unityadmin