CONSULTANT DIARY川﨑依邦の日々

[2019/5/16]自殺も考えた社長

5月16日(木)

初心忘るな盆踊り― 事例A

 

(1) 自殺も考えた社長

A社は地域に密着している運送会社である。社長は裸一貫から、のし上がってきた。「苦労の連続だった」という。人で苦労してきた。「これは」と思って信じて任せてきた配車係に、あっさりと逃げられてしまったこともあった。ライバル会社に引き抜かれたのである。A社長は深く落ち込みながらも、その都度、立ち直ってきた。逃げた配車係は、荷主まで一緒にさらっていった。こうしたピンチにも動じることなく乗り切ってきた。

現在の従業員は100人(車両台数80台)。中型運送会社として地歩を固めている。創業20年。社長は資金繰りの苦しさから、自殺すら考えたこともあるという。有力荷主の1つが倒産して、不良債権を抱えた時のことである。どうにも金策がつかない。駆けずり回ってもダメ。「もうダメか」とガックリしている時、公園が目に入った。

フラフラとし公園に入り、ベンチに座り込む。その時、1本の木が目の前にあるのに気付く。「ここで首つりでもしたろうか」。意気消沈して家に帰り、妻に言う。「ニッチもサッチもいかない。もう、どうしていいか分からない」。すると、妻いわく「何を言っているのよ。わたしが残っているじゃないの」。この一言で社長は、気力を奮い起こしてピンチに立ち向かい、乗り越えてきたという。

A社は、ここ10年ほど連続して、夏に″盆踊り″を企画、実施し、地元の人の楽しみの1つとなっている。A社長は、いろいろな苦しいことがあっても、この盆踊りで一緒に踊ることを楽しみにしてきた。

社長は思いきって、盆踊り開催のための費用を全額負担するのである。地元の人は感謝している。A社長は盆踊りを目指して、いつも頑張ってきた。夏の一夜のきらめきを励みとしてきた。妻も理解している。「道楽しないお父ちゃんの、たった1つの道楽や。好きなようにしたらいい」。

この日のために毎年、全従業員に真新しい浴衣をプレゼントする。1人ひとりにサイズを確かめて贈る。夏の賞与の一種とでも言えようか。真新しい浴衣を着て、従業員は盆踊りに参加する。家族連れで、子供の手を引いてくる者もいる。夜店が出る。金魚すくい、タコ焼き屋、リンゴあめ屋……。

A社長はこの夏の一夜が好きである。「今年もなんとか盆踊りを迎えることができた。本当に有り難い」と、しみじみかみしめる。

地元の人や、従業員の明るい顔を見て、心からうれしさを感じる。自殺を考えた日も夏だった。妻の一言で気力を奮い起こして東奔西走の日々、盆踊りの夜にぶつかった。「オレもいつかは、あの盆踊りの輪の中で楽しみたい」。この原点を毎年夏、盆踊りで確認している。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年05月17日 | 投稿者: unityadmin

[2019/5/15]トップの自己変革

5月15日(水)

宿命的体質の転換― 事例A

 

(1) トップの自己変革

こうしたリーダーシップを取るためには、何が大切か。それは親心である。親心とは、父性と母性のことである。父性とは旗印を掲げていく力強さ、頼もしさであり、母性とは優しさ、思いやりのことである。親心には、私心がない。自分の人生を人のためにサービスしようとする菩薩のごとくである。そして、親=リーダーは、頼るものがない。頼られる存在である。従って、自立心が強くないといけない。決して泣き言を言わない。孤独に耐えられる存在である。リーダーは親、メンバーは子、こうした信頼関係が大切である。まさに、リーダーの人間性の深さ、スケールがものを言うのである。

第3歩は、トップの自己変革である。実はこのトップは、なりたくてトップになったわけではない。天から降るごとく、ある日突然、就任したのである。前任者が急死して、その息子ということで白羽の矢が当たったのである。それまでは、地道な公務員であった。従って、リーダーとしての自覚が不十分なまま、就任せざるを得なかった。内心の戸惑いが隠せないままの状態である。これでは真のリーダーが不在である。真のリーダーとして登場しなくてはいけない。自己イメージの確立である。

「自分こそリーダーである。グループがわたしであり、わたしがグループである」との自己イメージをしっかり持っていくことである。リーダーシップを取るということは、縁あって存在している自分を自覚し、その縁に感謝することである。今まではいろんな人のお陰で生きてきたから、今度は人にお返しする時――との自覚である。

1歩、2歩と踏み締めて、企業体質変換をスタートしていく。「千里の道も1歩から」である。確実に歩みを刻んでいくことである。このごろ、トップは自車の走っている姿を街で見かけると、自然に合掌のポーズを取るという。

「不思議ですねぇ。本当に有り難いとの思いが込み上げてくるのです」

トップは、心に念じている。それは“I am OK,YOU are OK.”という「全肯定」の心理である。“YOU are OK.”とは、相手のいいところ、長所を引っ張り出して、生き生きとさせていく援助の決意を表している。父性(厳しさ)と母性(思いやり)のバランスを取って生かされている自己を認識し、1人ひとりを生かしていくことである。

“I am OK.”とは、常に前向きで行く――との決意である。1歩、2歩、3歩――力強い歩みが、企業を活性化させていくのだ。

以上

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年05月16日 | 投稿者: unityadmin

[2019/5/14]祈りから経営理念へ

5月14日(火)

宿命的体質の転換― 事例A

 

(1) 祈りから経営理念へ

この経営理念を周知徹底するために、何回も組合と協議した。このプロセスが、A社の企業宿命転換の第2歩である。

「正しい価値観=経営理念」を持って、経営することは、企業の運を大きく開くものである。働く1人ひとりが心の底から経営理念を血肉化して、わがものにすることである。企業体質転換の第1歩が、祈りの経営として犠牲者への慰霊の気持ちを持ち続けること、第2歩が経営理念の確立(顧客第一、安全第一、礼節第一)である。

第3歩は何か。それは、トップの自己変革の実践である。

トップはわが胸に問う。「果たしてキチンとしたリーダーシップを取り続けてきただろうか」。リーダーシップとは、集団目標達成のために、各人が連帯感を持ちながら、自分の能力をフルに発揮できるように援助することである。そのためには、集団(組織)の目的をはっきりさせて、1人ひとりに周知すること、集団を1つにまとめること、そのためには、1人ひとりの役割を明確にしていくこと、そして、メンバー1人ひとりの興味と能力の現実条件が満たされるように配慮すること――である。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年05月15日 | 投稿者: unityadmin

[2019/5/13]顧客・安全・礼節・第一

5月13日(月)

宿命的体質の転換― 事例A

 

(1) 顧客・安全・礼節・第一

このプロセスで、つくづく企業の宿命を感じたA社長は、犠牲者の慰霊祭を毎年お寺で行うようになった。毎年、自問自答しているという。

「わが社の宿命をどうやって転換させていくか」

この事例をどう考えるか。過去に起ったことが不思議と繰り返される。なぜか、とりつかれているようである。こんなことがあるのだろうか。事故を起こした乗務員に対してケジメを付け、犠牲者に対してはお寺で慰霊祭を行うことで、果たして転換できるのであろうか。第1歩には違いない。だが第2歩はどうなるか。

A社では、事故を理由に社員をクビにできなかったが、経営悪化のためということで、希望退職を募り、10人ばかり辞めてもらった歴史がある。トップも25年間に3人も代わっている。今は、3代目。第2歩としては、経営陣と従業員1人ひとりの信頼関係の構築ということである。

A社の給与水準は、乗務員1人平均年収が700万円。それがため、年々収益状況も悪くなっている。「それでも、毎年上げざるを得ません」(社長)。労使間は毎年、信頼関係が深まっていく状況ではない。むしろ、不信とあきらめが深まっている。

「苦しい、苦しいと言っても、バックには荷主がいるではないか。要るものは要るのだ」とばかりに、労働組合は昇給を要求する。「仕方ない。トコトン突っ張ってストライキになっても困る」とあきらめる経営陣。

こうした状況、「労使間の不信」の変革が、企業の宿命を変えていく第2歩であり、根本的なことではあるまいか。これは重いことである。A社長はお寺での慰霊祭の中で、第2歩を模索する。

第2歩としては、A社の経営理念の確立である。「わが社の経営理念はどうあるべきか」。経営理念とは、経営する上での自社の哲学である。「わが社の哲学は何か」。言い換えれば、「自社の価値観」である。

A社長は、自社の「経営理念=哲学、価値観」とは何かと、ふと考え込んでしまった。今まで社長は、どうしたら収支の改善ができるか、そのことばかり考えて行動してきた。改めて経営理念はと問われて、戸惑う面があるのである。しかし、経営理念を全社に周知し浸透させていくことは、確かに労使間の不信の打開につながると、A社長は思い至る。

自社はどうして存在できるのか――といえば、顧客あってのことである。「わが社は今まで、荷主に対してどんな思いでかかわってきただろうか」。運賃をもらうところということで、単にそれだけだったのではあるまいか。顧客の満足を追求するという姿勢はどうであったか。物流改善、物流提案を荷主に行ってきただろうか。感謝の念をもってかかわってきただろうか。A社長は自社の経営理念の第1に、「お客さまに満足して頂くこと=顧客満足」の追求を掲げた。

A社は、25年間で10人の死亡事故を、今後ゼロにするために、「安全第一」を次に掲げた。

安全第一でいくためには、社員の幸せを追求せねばならない。1度に5人もの死亡事故を起こした乗務員は、果たして幸せか。とんでもあるまい。このような不幸な社員を作ってはならない。安全第一を貫くことが、社員の満足につながっていく。同業他社と比して、給与水準がいいだけでは、社員の満足につながらない。事故のない職場で働けるということが、何よりも大切なことである。

3番目として、「礼節第一」を掲げた。物流業に身を置くものとして、礼節を軽視していいはずはない。物流業にとって大切なのは、礼節である。荷主のみならず、会社において礼節を貫くことである。しっかりと心を込めてあいさつをすること、決して信義に背くウソを言わないこと、時間の約束を守ること。この礼節3箇条を守り抜き、実践することである。

「顧客第一」、「安全第一」、「礼節第一」。A社の経営理念は、かくして固まる。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年05月14日 | 投稿者: unityadmin

[2019/5/12]25年で事故死10人

5月12日(日)

宿命的体質の転換― 事例A

 

(1) 25年で事故死10人

A社(物流業50人)の宿命は、事故によって死者を出す体質である。この25年間で10人の死者を出している。どうしてこんなことになったのか。

25年前の事故は、大型トラックの乗務員が高速道路上で新婚の夫婦を死亡させたものである。それ以来25年間で10人の死亡事故、いずれも相手が死亡している。

A社は、今までの事故に懲りて安全教育に取り組んでいる。運行についても無理は避けている。それでも事故は起きる。5年前には、1度に5人もの死者を出す大事故を起している。25年間で3件ではあるものの、1度に複数の死者を出す事故も起きているわけだ。

A社長は悩む。「どうしてこんなことになるのであろうか」。A社長は格別信心深いわけではないが、つくづく宿命を感じる。のろわれているのか、とさえ思う。

「わが社は神仏に捨てられるようなひどいことをやってきたのだろうか」

ハタと思い当たることがある。それは、犠牲者に対する慰霊を、毎年行っていないことである。25年前の新婚夫婦の死亡事故は、当時の事故係が退職し、いないこともあって、相手の名前すら分からない。これでは、神仏に捨てられるのではないか。これでは、宿命は転換できない。

しかも、A社は労働組合のたっての願いで、事故を起こした乗務員をクビにすることなく、配置転換だけで引き続き雇用している。これは正しいことなのか。5年前に5人を1度に死亡させた乗務員についても、組合は「われわれは運送会社です。あすはわが身です」と雇用継続を懇願した。

この5年間は裁判が続いた。一審の判決は懲役1年6ヵ月、執行猶予3年。こんなバカなことはないとばかりに、検察が控訴する。二審では実刑1年。A社長は、宿命を断ち切りたいと決意する。組合の強い抵抗を押し切って、裁判が確定した段階でこの従業員をクビにした。

組合との交渉を乗り切るための体力、気力の充実を図るため、毎朝30分ジョギングもした。

「何を言っているのだ。5人も殺しておいて、引き続き雇用せよとは、それで世間が通ると思うのか。今まで5年間も雇用してきたではないか。これが限界である」(A社長)

「あすはわが身です。何とかしてください」(労働組合の言)

結局、会社としてはクビにするが、社長が個人として、再就職に努力する――ということで決着した。

つづく

カテゴリー: 経営コンサルティング活動の実話
| 投稿日: 2019年05月13日 | 投稿者: unityadmin